風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

子規の手紙(→佐伯正直) 明治32年8月23日

2007-11-03 02:24:20 | 
漱石いうところの「食い意地のはった」子規。
たしかにその最期まで子規の文章には食べ物の話題がひじょうに多い。
読んでいて思わず笑ってしまうほど。
しかし、明治32年8月23日に子規が従兄弟の佐伯正直に宛てた手紙を読むと、そこに痛々しさも感じないではいられない。

・・・・・・歩行(ある)く事を只今計画中に御座候。・・・隣家へ行く位ハ或いハ出来可申うまく行けバ汽車に乗ることも得んかと迄思ひ居(おり)候。
さういふてんぷな事はせん方がよからうと申さるゝ人も可有之(これあるべく)候へども人間も生きて居る間ハ石のやうにいつまでも寝てばかりハ居られず、それもさきに全快の望ある身ならバ半年や一年の辛抱ハ如何やうにも可致(いたすべく)候へども只死を待つばかりの身の上に少しでも快楽あれバ快楽のしどくといふものと存候。
此頃でも相変らず毎日の菓物ハやみ不申(もうさず)飯くハぬ日ハあれど菓物くはぬ日は無御座(ござなく)候。先々月苦痛はげしかりし際も医者が食物の尋ね候故(ゆえ)何も喰へず菓物ばかりくふ由申候処医者菓物ハよろしからぬ由申す。私打返して菓物くはぬ程ならば生きて居る甲斐ハあらじ。年々歳々寝てばかり居て肉体上の快楽ハ食物より外にハ何も無之(これなく)食物の内にてハ菓物ばかり病を慰むる者ハあらず、それをやめるなら何一つ楽(たのしみ)があるべきやと申候へバ医者も目をしばたゝき候。私も其時急に悲しくなりし事も候ひき。斯(かか)る次第なれバ医者も菓物之事ハ最早何とも申候はず。

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