風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

タンホイザー @新国立劇場(2月4日)

2023-02-09 09:39:51 | クラシック音楽




オペラに嵌ると破産するから近寄らないようにしていたのだけれど、、、もう手遅れみたい
新国立劇場の『タンホイザー』に行ってきました。
初ワーグナー全幕です

なによりまずワーグナーの音楽の美しさが強烈だった。。。
ワグネリアンさん達の気持ちが心底わかりました笑。
予習で別プロダクションのものをネットで観てはいたけれど、劇場で生であの響きに包まれるとヤバイですね。
あの和声の層の美しさ、ブルックナーがワーグナー派に属していた理由が初めてわかった気がしました。今までワーグナーは抜粋演奏では聴いたことがあったけれど、こんなに和声の色合いを感じたのは今回が初めてです。これまで聴いたのは、どちらかというと押し出しの強い演奏だったので。
ブルックナーと同じで、生で浴びたくなる中毒症状が発生しますね。
ワーグナーの方が音楽に毒が濃いので、より危険かも(いやむしろ毒が薄いブルックナーの方が危険かも)。
でもこの毒もワーグナーの魅力ですね。人間臭くて大変よいです。たまらなく美しかった。
ライトモティーフ(序曲だけで予習できるの有難い)も危険ですねえ。帰宅後も耳の奥で美しい音でぐるぐる鳴り響いている。。。

アレホ・ペレスさん&東響も、ワーグナーの音楽の美しさを丁寧に作り上げていて、騒々しい演奏よりも清澄さと神聖さが感じられて、私は好感度大でした(先日の東響の『サロメ』の演奏を思うと特に一幕はもうすこし突き抜けてくれてもいい気もしましたが、後半はとてもよかったので、全体的には十二分に満足です)。
歌手陣も、合唱も素晴らしかった。当たり前ですが、皆さん歌上手いですねえ!役柄にもよく合っていました。個人的にはエリーザベト役のサビーナ・ツヴィラクの気高さが、2幕後半~3幕にかけて、その演技も含めて深く感動しました。神々しかった。タイトルロールのステファン・グールドも、よかったです(歌上手い~)。

舞台装置もシンプルでよく工夫されていて、悪くなかったように思います。ヴェーヌスの部屋の構造と使い方だけは笑いそうになりましたが・・・。読み替え演出じゃないのも嬉しい。冒頭のバレエ部分はちょっと冗長に感じられました。

ストーリーも感動しました。ワーグナーの音楽効果とともに。
あのラストは、ローマ教会はタンホイザーを救わなかったけれど、神(=エリーザベトの愛)は彼を救った、ということですよね。
「教会の説く神」と「本当の神」は異なるものだという教会批判を含んだ宗教観は、ユゴーの『レ・ミゼラブル』のそれとよく似ているなと感じました。もっともこれはおそらく、あの時代の芸術家達の多くに共通した価値観だったのだろうと想像します。
ユゴーは「神の本質は、愛すること」であると言い、遺書の中で「私は教会での祈りはすべて拒絶する。すべての人々の魂のために祈ってもらいたい」と書いていました。
最も罪深い人こそ最も救われなければならないのに、教会はその根本的なことを忘れ、タンホイザーを冷酷に切り捨てる。2幕でエリーザベトが言う「なぜあなた方は彼から贖罪の機会を永遠に奪おうとするのか」「主が苦しまれたのは、彼のような人も救うため」という言葉は、ワーグナーによる教会批判の現れですよね。巡礼者達の「信仰に”忠実”なものに祝福あれ」という歌も、ワーグナーによる皮肉でしょう。
あの場にいた人達の中でエリーザベトだけが、真の神の姿を見ていたのだと思います。

そのように捉えると、「彼のために命を捧げよう」と決めた時点で(このプロダクションでは二幕のこの歌唱はカットされているようだけど、歌手の演技から十分に伝わってきました)、エリーザベトの心はもはや利己的な”恋”ではなく、より大きな利他的な(キリスト教的な)”愛”に変わっていたのではないか、と。二幕最後でタンホイザーが脱いでいった青い衣を胸に抱く姿は、聖母マリアの象徴のように見えました。
おそらく第三幕の彼女は、相手が恋人でなくても、現に苦しんでいる人がいて、自分がその人の魂を救うことができるのなら自ら命を捧げるのではないか、とも感じました。
史実の聖女エリーザベトもそういう強さをもった人だったようで、残されたエピソードを読むと、レミゼのミリエル司教のような人だなと感じます。優しいだけではない、社会や権力に惑わされず弱者への愛を貫く頑固さも持った人。

しかしそうして毅然と去ったエリーザベトも、決して平気なわけではなかったと思うので、ヴォルフラム(デイヴィッド・スタウト)が夕星の歌で「高みへ飛ぼうとしている姫ではあるけれど、こんな闇夜では心細いだろう」と歌ってあげる男性的な優しさには、ほろりとしてしまいました。。。。
あの星が金星であるなら(ワーグナーがそう書き残しているのでしょうか?)、それはヴェーヌスの星ということになるけれど、そのことは何を意味しているのだろう。エリーザベトに恋をしているヴォルフラムもまた、内心の葛藤に苦しんでいた、という暗喩なのだろうか。タンホイザーも、エリーザベトも、ヴォルフラムもみんな、社会との、そして自身との闘いに苦しんでいる。
私の隣の高齢の男性、三幕のエリーザベトの場面でボロボロボロボロ泣いていて、鼻をすすりっぱなし、タオルで目をぬぐいっぱなしでした。わかる~!と共感しつつも、あそこまで隣で泣かれてしまうと、こちらは泣けなくなってしまいました。何か辛い罪悪感を抱えた人だったのだろうか…。
ワーグナーとユゴーは私生活が問題児なところも似ていて、同じ女性と浮名を流したりもしていたそうで。でもそういう自己矛盾や葛藤を抱えた彼らだからこそ、こういう作品が書けたのでしょうね。タンホイザーが最後まで自身の中の悪魔と闘っている人間臭さも、ジャン・ヴァルジャンの姿に重なります。

タンホイザーが救われたのは、エリーザベトの祈りが神に届いて神が彼を救ったからというよりは(歌詞ではそうなっているけど)、エリーザベトの愛と行動そのものが彼の魂を救ったようにも思えるな。「神の本質は、愛すること」と言ったユゴーの言葉のように。
このときのヴォルフラムの演技がとてもよかった。芽吹いた教皇の杖を手に巡礼者達が「彼にも救済が与えられた!」と歌う声を聴いて嬉しそうにタンホイザーを振り返ると、タンホイザーはすでに息絶えているんですよね。それを見て一瞬驚くけれど、それから静かに、悲しいけれど全てを理解したような表情で舞台袖へ去っていくところ、感動しました。あの芽吹いた杖も、ワーグナーによる一種の皮肉ですよね。教皇の言葉に反する奇跡を神が起こしたのだから。

タンホイザーがヴェーヌスの山にいた事は、現代日本人の私達からすると「それってそんな大層な罪…?」と思っちゃうので(売春宿に入り浸る男的な…?)、「とにかくとんでもない重い罪を背負っている人」と捉えた方が物語には共感しやすいように感じました。
なお歌合戦でのタンホイザーの主張は現代の我々からすると「どこが悪いのん?」と一瞬思ってしまいそうになるけれど、よく聴いていると「快楽”のみ”が愛の本質だ」と言っているのですよね。それはアウトだわ。他の男達の綺麗事すぎる歌も魅力に欠けるけれど。

以上、ワーグナーのオペラの中では一番わかりやすいストーリーのようなので(もっとも、キリスト教徒以外にはそれほどわかりやすいストーリーという感じもしませんが…)、ワーグナー入門としてよかったと思います。時間も長くないし笑。でも”あの音”に身を浸していることができるなら、どんな長時間でも、それこそヴェーヌスの山にいるタンホイザーのように快楽に漬かりきることができそうな気もします。新国のあの座布団、有難いですね。歌舞伎座にも欲しい。

※こんなCDを見つけました。
ヴィクトル・ユゴー詩による美しい歌曲」、「ワーグナー歌曲全集
サン=サーンスはユゴーを非常に尊敬していたそうですね。
ワーグナーもユゴーの詩にいくつも曲をつけているけれど、ユゴーに対する評価はどうだったのだろう。パリで身を立てたいがためにユゴーにおもねっていた、とかもあり得そうな気もする。ショパンはユゴーをボロクソに言ってましたよね。主に彼の所業に対してですが

※ネルソンスの最新インタビューを読みました。
キリスト教徒にとっては第一幕のヴェーヌスの山での乱痴気騒ぎと色欲は非常に非常に罪深いものなのだと(彼らが異教だからという意味ではなく)。そうなのか・・・。確かに七つの大罪のうちの一つですものね。
タンホイザーのラストについては彼も、ワーグナーによる教会批判だと思う、とのこと。

Andris Nelsons You're right. I mean, this opera has a very special meaning to me because my parents took me to the opera house when I was five years old and it was Tannhäuser. And the other thing, which also was a very important part, that my parents, they really prepared me for that. I mean, we are listening [to] LPs with the opera. So I knew the story. My father told me the story, so I was prepared. I knew the opera, except I just had to go to the opera itself and experience it live. And so I went very ready to hear and experience certain things. But still, what I experience it live in the opera, that was something I would never have expected. But that's the same, I think, because when we listen to the recording, it's a wonderful opportunity to listen and enjoy and to compare the recordings. But there is nothing can substitute the live experience and live performance.

And it's either symphonic music or opera. I mean, in this case it was Tannhäuser for me, even though I knew the story, even I knew it's going to end bad, I was still crying and I was still hoping that things would change in this case. Better for, not better, actually, but as a kid of course, the people dying, you know, on stage. The opera was very sad. And also the tears of happiness in a way that there is a forgiveness that we can be forgiven even if we have done bad things in our lives. If we truly turn ourselves to God and ask for forgiveness, we have this opportunity.

And I think that's, this is very close for me as a Christian. It's been very close to me because it's very much connected to Christianity, even though, of course, they are in this opera, I mean, the beginning of the opera, the Overture and the Bacchanale. It's crazy. It's a lust, it's sin. Everything is really sin and sinful. And then you have death as a contrast [in the] Third Act where the pilgrims are going to Rome to ask to be forgiven. And Tannhäuser goes with them because he has been very sinful. He comes back, and he hasn't been forgiven from the Pope. And he has his monologue, which he sings to his friend Wolfram, who is an extremely nice friend, who also sacrificed his love towards Elisabeth for his friend. So then, of course, there's Elisabeth, who prays for Tannhäuser, even after knowing that he's coming from Rome, he's not forgiven, still praying. And then when Tannhäuser dies, then comes the chorus announcing that the Pope's, how do you say this...

Brian McCreath The staff.

Andris Nelsons Staff has been, how do you say...

Brian McCreath It's sprouted flowers, yeah.

Andris Nelsons ... flowers, because he said, "Unless my staff [starts] to flourish, you are not forgiven." And that happens, you know, after death [of Tannhäuser] it happens. Then, of course, the chorus sings. And in a way it's too late because he's dead. But the feeling is the goose bumps. You want to cry because it's sad, but it's so beautiful that you know, yes, even he has God's forgiveness. So it means, in a certain sense, I think Wagner here criticizes the church. I think, as so many composers and, of course, many people, philosophers, and so... And I must say, it's nothing to do with God. It's just sometimes, you know, that, in this case, the Pope has been criticized or that, as a leader of the Christian church, you know, because he has not forgiven him. And when you read the Bible or the, you know, Jesus says, you know, you come to me with a full regret, you can be forgiven. It's just your decision. And also, he gives us a free will. And as Tannhäuser, as one of the Meistersingers, he chooses his life living in sin. But he meets Elisabeth and he decides to try to be forgiven.

The Temptations and Majesty of Wagner’s “Tannhäuser” from Nelsons and the BSO @CRB)



新国立劇場オペラ『タンホイザー』ダイジェスト映像 Tannhäuser-NNTT


『タンホイザー』指揮者 アレホ・ペレス メッセージ


『タンホイザー』タイトルロール ステファン・グールド メッセージ


『タンホイザー』ヴェーヌス役 エグレ・シドラウスカイテ メッセージ


『タンホイザー』ヴォルフラム役 デイヴィッド・スタウト メッセージ


【指 揮】アレホ・ペレス
【演 出】ハンス=ペーター・レーマン
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【照 明】立田雄士
【振 付】メメット・バルカン
【再演演出】澤田康子
【舞台監督】髙橋尚史

【領主ヘルマン】妻屋秀和
【タンホイザー】ステファン・グールド
【ヴォルフラム】デイヴィッド・スタウト
【ヴァルター】鈴木 准
【ビーテロルフ】青山 貴
【ハインリヒ】今尾 滋
【ラインマル】後藤春馬
【エリーザベト】サビーナ・ツヴィラク
【ヴェーヌス】エグレ・シドラウスカイテ
【牧童】前川依子
【4人の小姓】和田しほり/込山由貴子/花房英里子/長澤美希

【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【バレエ】東京シティ・バレエ団
【管弦楽】東京交響楽団








Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NHK交響楽団 第1975回定期公... | TOP | ダニール・トリフォノフ ピ... »

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。