藤沢周平の貧乏侍シリーズの1つですね。(ワタクシは、日本文学や時代物に詳しくないので、映画でしか藤沢周平の作品を見たことがありません。武士の世界というものにも造詣が深くないので、そういう方にとっては失礼なレビューになるかもしれません)
「貧乏侍シリーズ」っていうのはもちろんワタクシが勝手に呼んでるだけであります。「世界一受けたい授業」っていうテレビ番組などを見ておりますと、実は当時ほとんどの侍が貧乏だったらしいですが。
藤沢周平原作の映画は「隠し剣、鬼の爪」はまだ見ていないのですが、「たそがれ清兵衛」「武士の一分」は見ました。それぞれに良かったですが、ワタクシはこの中では「蝉しぐれ」が一番好きでした。
前半の青年期の流れも物語の説明にとどまらない切なさに溢れていて、フクとの関係も自然に示されていて、とても良かった。ただ、文四郎の青年期を演じた石田卓也くんがセリフがたまにめちゃくちゃ棒読みになるのが気になったけどね。可愛い顔してるから許してって感じ?
大人になってからは、あの道場と実践で見せられる変な秘儀みたいな剣の技は、原作にあるのだろうけど、映像にするとちょっとチープな感じがして笑ってしまった。いや、本当に剣に優れている人はあーいうことができるのかもしれないな。笑っちゃいけないんでしょうかね。でも、ごめんなさい。ほんとに笑っちゃったんです。
家や藩の都合で、自分ではどうにもできない人生を歩まざるを得なくなった文四郎市川染五郎とフク木村佳乃が再会するところは切なくて切なくて胸が張り裂けそうだったな。もう、フクは将軍様のお手つきで跡取りまで生んだ身。文四郎の手の届かないところへ行ってしまった人。駆け寄って抱きしめたい。二人ともそう思っているのに、堅苦しい挨拶を交わすことしかできない。
数年後、紆余曲折を経て、子を養子に出し、自らは尼になるというフク。そのころには文四郎も結婚して2人の子の父になっていた。尼になる前に、いま一度、と再会する二人。「尼になんかなるな。自分と一緒に逃げよう」いや、そんなこと言うはずもない。自分にだって家族があるのだ。“一緒に逃げよう”と言いたかったに違いないというのはワタクシの勝手な想像だけど、たとえ武士でもそう思ったっておかしくないよね。「文四郎さんの子が私の子で、私の子が文四郎さんの子であるような、そんな道はなかったのでしょうか?」再会した瞬間から、涙が出ていたワタクシですが、このセリフ以降もう号泣号泣。映画が終わるまでずっと泣いていました。時代に翻弄されてどうにもならない系って弱いんです。見終わったあとも、本当にどうにかならんかったんかな~とか、尼にならんと二人で逃げたらいいのに~とか色々考えちゃいました。