ケーブルテレビで見ました。
離婚はしたが、娘想いの父ブライアンリーアムニースンは、娘キムマギーグレイスの近くにいるため仕事を辞め、娘の町に越してきた。その辞めた仕事というのはCIAだか何だかの秘密工作員。この父親、只者ではない。
ある日、キムは友達とヨーロッパ旅行に行くと言いだす。物分りの良い母親ファミケヤンセンは簡単にOKを出すが、世界の危険なところばかり見てきたブライアンはそう簡単にOKとは言えない。しかし、娘の懇願にほだされて空港に着いたら一番に電話することだの、一日の終わりには必ず電話することだの、色々と条件をつけて携帯電話を渡して旅行を了承する。
パリに着いたマギーは浮かれモード。すっかり有頂天のマギーの友人はタクシー乗り場で知り合ったフランス人と仲良くなり、パーティに行く約束までしてしまう。友人ほど有頂天にはなれないマギーだったが、それでも父親へ電話するのをすっかり忘れるくらいは浮足立っていた。
なかなか電話がかかってこないことにイライラしていたブライアン。やっと電話がつながったキムに「空港に着いたら電話しなさいと言っただろう」と怒ったのもつかの間、なんとその電話の最中にキムたちの部屋に男たちがドカドカとやってきてキムの友人をさらってしまう。その一部始終を電話で説明していたキムだったが、ブライアンは冷静に「男たちはお前のこともさらうだろう。男たちが来たら冷静にどんな風貌の男か電話に向かって説明するんだ」と言う。
果たしてブライアンの予想通り、キムも男たちにさらわれてしまう。キムが電話の向こうで言い残した数少ない手がかりを持ってブライアンは現場へと急行する。
もうここからのおとーさんがすご過ぎる。まず、キムたちに空港で声をかけた男の行方を追い、そいつを追いかけまわした挙句、その男は車に轢かれてしまう。電話でのキムの叫び声などを元に誘拐したのが人身売買目的のセルビア人の一行だということを突き止め、敵のアジトにどかどかと乗り込んでいく。
ギャー、おとーさん、つおいよー、つお過ぎるよーーーー!!!
だいたい、こういうアクションものっていいもんの人がいざって時に敵に情けをかけたりして、それで立場が逆転してピンチになって、その時にいいもんの味方の誰かが都合よく助けに来て、とかそういうパターンが多いでしょ。でも、このおとーさんは違います。敵に一切の情けはかけません。白状しない奴、嘘つく奴、容赦なくぶん殴って、ぶっ殺してやります。まどろっこしさ一切ナシ!娘を取り返すためならエッフェル塔だって倒す!んだそうです。。。
いやー、ほんと見ていて気持ちが良いですよ。北野武のバイオレンスくらい容赦ないです。あ、こっちのおとーさんはいいもんですけどね。元秘密工作員だし、知力体力共にハンパないんですもん。そんじょそこらの奴には負けません。リーアムニースンがそれを黙々とこなしていくのがまたいいんですよねー。これをスタローンとかシュワちゃんがやっちゃうと、そりゃ勝つやろって気がしてしまいますけど、リーアムニースンだからこそ、インテリジェンスも光る感じで良いんですよねー。
上映時間たった93分。まさにシンプルイズベスト!な作品です。
公開されたときに見に行きたかったのですが、見逃していた作品です。レンタルで見ました。
東西の冷戦が終わり、統一されたドイツ。東ドイツの生活の実態を調べ始めた社会学者たちが驚いたのは、西と東で相当に異なる性へのスタンスだった。
物資に乏しく、商品の選択肢がほとんどない東側。ポルノや風俗は国から禁止され、性的な活動という意味では西より劣っていると思われていたが実は、、、
第二次世界大戦後、男手が足りずどんどん社会に進出して行った東側の女性たち。国もこれを大きく支援し、男性並みに働き、子供を産んでからも会社に託児所が多数設置されているので変わらず仕事を続けられる。社会主義では国力というものが非常に重視されるので子供は国を挙げて歓迎され、労働力もまた同じ。そのように自立していった女性たちは性的にも奔放で、ベッドでも主導権を握った。そんな女性たちに触発されて男性たちもベッドでのテクニックを向上させていった(のかな???この辺は真偽のほどは分からんけど、男性が自分本位のセックスをすることを東の女性たちは許さなかっただろうから、その点で向上したと言えるかも)
一方、労働力としての男性が不足せず、男性優位の社会を築き上げて行った西側では女性は家庭に入り、いかに男性を喜ばせる(悦ばせる?)かということに心血を注ぐ。まぁいわゆる花嫁修業なるものが盛況で、教会の教義も手伝って女性には貞淑が求められた。1960年代に入り性の解放が叫ばれたが、女性たちはタントラとやらに魅せられ自分で自分のGスポットを探すという講座に夢中になったりと、ここでも相手の男性に求めることはできなかった。
西側がピルの倫理性について真っ二つに分かれて議論していたころ、東側ではピルは当然のように流通し、人工中絶も合法化されていた。教会がない分、婚前交渉も当たり前で女性が自立しているので離婚も多いが、若い夫婦やシングルマザーへの援助が完璧な社会主義の社会では、特に家庭が荒れるということもなさそうだった。子どもたちへの性教育の必要性も叫ばれ東側は躊躇せずどんどん教育する。
まぁ、外に刺激が多過ぎて内に刺激を求めない西側と他になんの楽しみもなくセックスにふけるしかない東側という単純な見方をすることもできるんだけど、社会学者さんたちの分析を見ていると、それが大いに女性の自立に関連していることが分かって興味深い。西側の60~70年代のフェミニズムも東側には全然敵わなかったということかな。
東西が統一されて、西側のポルノや風俗に目を丸くし夢中になる東側の人々に対して、最初は同情を感じおそらく優越感さえ感じたであろう西側の男性たちであったが、性の充実の実態というものはポルノや風俗で語れるものではなかったということだろう。この作品が発表された時点で東西統一から15年経って、性に対する態度や認識も統一化されてしまったと言っていました。どっちにどう統一されたんだろ。それも興味深いですが引き続き研究されているんでしょうか。
タイトルは刺激的ですが、内容はいたって真面目です。途中にたくさん挟まれるアニメが楽しいです。しかしまぁ、色んな事象を分析している学者さんたちがいるもんですね。
これもケーブルテレビで見ました。ネットのレビューは点数が低いですね。ワタクシは結構楽しんだのですが。
ちゃらんぽらんなだけど操縦の技術は確かなパイロット・ハルライアンレイノルズはある日突然グリーンのリングのパワーで瀕死の宇宙人(アビン・サー)の前に引き寄せられる。死にゆくアビン・サーの代わりに宇宙の平和を守るグリーンランタンの新しいメンバーとして選ばれたのだった。戸惑うハルだが、宇宙人に渡されたグリーンランタンとリングが反応して、自分も知らない近いの言葉がひとりでに口をついて出てきた。
かつてアビン・サーが無人の星に閉じ込めた危険な敵パララックスが復讐を開始したため、グリーンランタンのメンバーはその敵と闘わねばならない。未熟な種族とされている地球人からグリーンランタンのメンバーに選ばれたのはハルが初めて。ハルは先輩たちにグリーンランタンの技を習う。
アメコミものは基本期待しないで見ることにしているので、結構面白かったのですが、そのひとつの要因は、相手役キャロルがブレイクライブリーだったからかも。彼女はたいていはすっぱは女の子とか生意気とかちょっとアブナイ系の役が多いと思うのですが、今回は自らもパイロットとして活動的な面も見せつつ、父親の会社の役員として知的なところもある典型的なアメコミのヒロインということで、とても美しく魅力的でした。アメコミが原作の映画のヒロインっていまいちワタクシ好みの人がキャストされることが少なかったんですよねー。そんな中ブレイクライブリーはピカイチでした。というわけで、ワタクシのこの作品の評価が高いのはただのひいき目かもしれません。
例によって、好意を寄せる女の子が正体を知らずにヒーローのほうを好きになっちゃうとか、またそういうのー?って思ったら、キャロルに速攻バレて「ハル!幼馴染なのよ。そんなマスクしてたってすぐに分かるわよ!」って言ったのにはウケました。
なんか、それにしてもグリーンランタンって面白い設定ですね。あのランタンってのもちょっとよく分からないし、あのコスチュームがまたねぇ。あれ、コスチュームじゃなくて肌なんですよね。肌って・・・股間のところはどうなってんだ???パンツだけは履いてるんだっけ?
彼らが自分の想像力で武器とかを作り出すっていう設定はユニークでいいなぁと思いました。そのあたりのCGも楽しかったです。
こういうタイプの映画って結構豪華なキャストが揃いますよね。今回もそこまで大物とは言わないまでもマークストロングとかピーターサースガードがすごい特殊メイクで頑張ってるし。マークストロングなんてあまり原形留めてませんもんね。ティムロビンスがピーターサースガードのお父さんって、もうそんな歳なんだっけ?アンジェラバセットは随分久しぶりに見たような・・・
最後に地球に敵がやってきてハルが頑張って倒すんだけどさ、グリーンランタンって3600人もいるんだよね?だったら、もっと早く何人か助けに来てくれてもいいんじゃない?お互いの管轄には不可侵っていうシステム?その辺よう分からんなぁ。
これまたこういう映画にはありがちなラストで新しい敵がちらっと姿を見せるっていうパターンでしたが、これ興行的に成功しなかったらしいから続編は作られないかもしれませんねー。
豪華キャストに魅かれて見に行った作品です。とかく豪華キャストの作品というのは批判されやすいもの。この作品はどうだったでしょうか。
父:ドンロバートデニーロ。女にだらしなく下ネタ全開。どうしようもない男だが家族のことは愛してはいる。
母:エリーダイアンキートン。ドンとは別れて10年以上。養子アレハンドロベンバーンズの結婚式のために帰ってくる。
アレハンドロの実の母は敬虔なカトリック。養父と養母が離婚していると分かったら大変といまも結婚していることにする。
ビービースーザンサランドン:父のいまの恋人。母の親友でもあった人。ドンと一緒に暮らし、子供たちも半分はビービーが育てたようなもの。
長女:ライラキャサリンハイグル。不妊に悩み夫とうまくいっていない。
長男:ジャレッドトファーグレイス。29歳の現在までなお童貞。医者だしモテるはずだが、信条のためでもなんでもなくただ機会を逃してきただけのよう。
養子:アレハンドロ(バーンズ)。メリッサアマンダサイフリッドと結婚する。
というのがグリフィン家。
なぜか結婚式を挙げる牧師がロビンウィリアムズというここでもまた豪華なキャスト。
ワタクシはこういうの好きです。なんか下ネタもすごいしドタバタしてるけど、これだけのスターが揃うとやっぱり見ているだけでも華やかで面白い。もちろん、これだけのキャスト揃えたのに脚本がもったいないなぁって部分もありますけどね。父と母の偽装の結婚関係とかなんか中途半端だったし、ロビンウィリアムズなんて本当にもったいない限りでしたけど。
まぁベテラン勢は余裕でバケーションくらいのつもりで撮影してたんじゃないかと思うほどです。デニーロとキートン、サランドン、ウィリアムズの4人が撮影の合間に話してるところをのぞいてみたいです。そっちのほうが本編より面白かったりして?
アマンダファンとしては彼女の出番がほとんどなかったのはつまらなかったです。はっきり言ってあのポジションはもっと駆け出しの誰も知らないような女優さんでも良かったような…アマンダちゃん、どうしてこの仕事受けたの?って終始思いながら見ていました。やっぱりデニーロ、キートン、サランドンと仕事ができるっていうのが理由だったのかなぁ。とは言え、ワタクシ、アマンダが出ていなかったらこの作品を見に行くまではしてないと思うので、観客動員には一役も二役も買っていると思いますが。
キャサリンハイグルって顔がちょっと苦手なタイプなんですけど、彼女のコメディセンスはやっぱり若い女優さんの中では抜群じゃないかなぁと思います。シリアスもちゃんとできるし、コメディに必要な独特の間が絶妙ですね。今回はメリッサのお母さんの物真似した時が最高でした。
エドワードバーンズは「どっかで見たことあるけど、誰やっけ~?」と思いながら見ていたら突然思い出して「カスピアン王子やんっ!」って映画館で叫びそうになりました。髪の毛が短くなっていたので分かりませんでした。短髪のほうがよく似合いますね。
90分ほどのコメディですし、軽いタッチのごった煮感を楽しむつもりでご覧になると良いかと思います。
リーマンショックで不景気に陥った会社にリストラされた3人のそれぞれのその後の人生を描く作品。
販売部長のボビーベンアフレックは若手の急先鋒といったところだったのに、ある日突然リストラ担当のサリーマリアベロに呼び出されクビに。妻マギーローズマリーデウィットとまだ幼い子供2人。豪勢な持家にポルシェ。贅沢な暮らしを満喫していたボビーは現実を受け入れられないが、それでもどうせすぐに再就職先は見つかるさと甘い考えでいた。しかし、実際には全然仕事は見つからない。就職口があったとしても給料は前の半分以下。そんなところに就職できるか!と撥ね付けるボビー。妻は現実を見て生活スタイルを変えるように言うが、一向に聞き入れようとしない。妻の兄ジャックケヴィンコスナーが大工の仕事を手伝えば?と提案してくれるがそれも受け入れられるはずもない。
作業員から重役に上り詰めたフィルクリスクーパーもリストラ組。妻に近所に恥ずかしいから毎日夕方までは帰って来るなと言われる。年齢が年齢だけに再就職は非常に難しく、昔のツテを頼りにしてみるが鼻で笑われる。
CEOクレイグT.ネルソンの右腕としてやってきたジーントミーリージョーンズもリストラされる。彼は会社の株を持っておりクビになってもある程度余裕のある生活はできている。これを機に妻の元を離れ、以前から不倫関係にあったサリーのところへ転がり込む。たくさんの社員をリストラしながらも自社ビルを建てたり、巨額の報酬を得ているCEOに直接意見するが、取り合ってもらえない。
いつまでもうじうじうじうじ現実を受け入れず、生活レベルを落とす気もないボビーにイライラしっぱなしです。会社をクビになっても愚痴ひとつこぼさず支えてくれる妻がいるというのに、自分はいつまでも大物気取りでプライドだけが無駄に高い。ま、最終的に息子がXBOXを売ってまで家計を助けようとしたことを知ってやっと思い知るのですが。
妻の兄のケヴィンコスナーがいいね。口数は少ないけど背中で見せるタイプ。レバレッジだー、ヘッジファンドだーで儲ける多国籍企業とは対極にいるような職人さん気質のお兄さん。ボビーには嫌味ばかり言っていたからただただ良い人ってわけではないけど、骨太な男でカッコいい。ケヴィンコスナーの大工っぷりがいいんですよねー。ケヴィンコスナーってオールドファッションな男だから本当にそういうこと好きそうだし。
他がクリスクーパーとトミーリージョーンズだから、めちゃくちゃ渋いですねー。クリスクーパーって重役向きの雰囲気じゃないなぁと思っていたらやっぱり作業員上がりっていう設定だった。それならピッタリだね。
内容はまぁ、ありふれた雰囲気の作品ですが、役者がいいのでそれだけでも最後まで飽きずに見ることができました。
パキスタン移民イギリス籍、イギリス在住の青年アシフアルファーンウスマーンはお見合いのためにパキスタンへ行き、結婚を決め、結婚式をするために友人たちをイギリスからパキスタンに呼んだ。ローヘルファルハドハールーン、シャフィクリズワーンアフマド、ムニールワカールスィッディキーの3人は一緒にイギリスからパキスタンへと向かう。
結婚式まで時間のあった彼らは、パキスタンの隣国アフガニスタンが米軍の空爆を受けている現実を実際に見に行こうとアフガニスタンに行き、そこで北部同盟とタリバーンの戦闘に巻き込まれムニールは行方不明になり、他のメンバーはアメリカ軍に捕らえられアルカイダの関係者だと見られ尋問を受け、グアンタナモに送られ拷問される。
本物のアシフ、ローヘル、シャフィクの証言インタビューと役者たちによる再現フィルムが交互に流れるセミドキュメンタリーになった作品。最初はどの役者が誰に当たるのかが把握しにくいが、特にその特定ができなくても筋を追っていく分には支障はない。
彼らがアメリカ軍に捕らえられてからの恐怖は計り知れない。アメリカ軍の兵士たちは毎日“訓練”と称して彼らを引きずり回し、食べ物を投げ渡す。グアンタナモに移送になってからはキューバの燦々とした太陽の当たる庭でケージに入れられ昼間は酷暑に耐え夜は寒さに耐えなければならなかった。彼らは一人ずつ尋問に連れて行かれ、縛られ殴られ大声で怒鳴られた。イギリス領事館の職員だという者やイギリス軍兵士だという者が現れ彼らの話を引き出そうとするが、ただ結婚式に来たイギリス人ということ以外、彼らが言えることは何もなかった。
暗闇の中、しゃがんだ体勢で手錠を床に留められ、大音量でヘビメタを流されディスコのような強烈な光が点滅する。そんな拷問を数時間続けられ、あとは独房に閉じ込められる。行ってもいないビンラディンの演説を聞きに行ったと写真を見せられお前が写っていると脅される。その日はイギリスでバイトしていたと言っているのだから、調べればすぐに分かるはずなのに。
彼らは2001年の9月に捕らえられイギリスに戻れたのはなんと2004年の3月だった。一人がそのビンラディンの演説の日にイギリスで警察に捕まっていたことが分かったのだ。解放してからのアメリカ軍兵士の態度もひどいものだった。彼らは一言も謝りもせず、最後まで高圧的な態度でアシフたちに接していた。彼らが解放されてから分かったのは、イギリス領事館の職員とかイギリス軍の兵士だとか言っていた人たちもアメリカ軍の兵士がそのふりをしていただけだったということだった。
兵士たちに抱えられて引きずり回される姿や、グアンタナモに移送するときの目隠しとヘッドホンの姿、大音量で音楽を流す手法など、いままでCIA絡みの映画などでよく目にしていた光景だった。いままで見ていた映画などはCIAが主役の話だから、その結果テロの重要な情報が分かるというパターンのものだったけど、「ゼロダークサーティ」や「HOMELAND」の陰でアシフたちのような目に遭った人たちがどれほどいただろうか。でたらめの証拠に「これはお前だろ。お前だ!お前だ!お前だ!」とやる尋問官の姿には吐き気さえ覚えた。
グアンタナモ収容所に関してはアムネスティからも人権侵害を指摘され、オバマ大統領は閉鎖を目指すとかずっと言ってるけど、いまだに閉鎖はされていない。最近もここからの釈放者の16.6%がテロ活動に戻っているという発表をアメリカ政府がしていたけど、何%が無実の罪で捕まった人たちだったという発表は一切ないね。当然と言えば当然だけど。
しかしブッシュを筆頭に当時の政府の高官たちはグアンタナモに捕らえられた者の多くが無実であることは知っていたという発表もある。たとえ無実の人を犠牲にしたとしてもたった数人のテロリストを捕らえられればそれでいいという考えのもと、彼の政策は進んで行ったのだ。無実の人たちを数百人、拷問してでもテロリストが捕まるならそれでいい。無実の人っつったってどうせイスラム教徒のアラブ人なんだから、痛くもかゆくもない。「テロとの戦い」という大義名分の前ではすべてが正当化された。そんな図式からは世界はもう抜け出さないといけない。
2004年にアメリカのマクドナルドで起きた実際の事件を基に作られた作品です。
金曜日、ファーストフード店の店長のサンドラアンダウドは昨日の夜従業員の誰かが冷蔵庫の扉を閉め忘れたせいで食材がダメになり材料係に補充を頼んだ。本部長にはまだ報告していない。自分でなんとか解決できれば、報告はそれからでもいいと考えていた。金曜日は忙しい。そんな夜のシフトに入るバイトたちに冷蔵庫の話をし、本部から客を装った調査員も来るからきちんと仕事をするように話すがバイトたちにはいまいち響いていないようだった。混み始める店内。冷蔵庫の件で食材が足りない。なんとか店を回していく店長とバイトたち。そこへ一本の電話がかかる。警察からだった。
「そちらに金髪の若いレジ係がいるでしょう?」
「ベッキーですか?」
「そうそう、ベッキー。彼女が客の財布からお金を盗んだと被害届が出てるんですよ。実は彼女、他にも容疑がありましてね。ちょっと彼女を事務所に呼んでくれませんか」
忙しい中事務所に呼び出されるベッキードリーマウォーカー。この瞬間から彼女は4時間もの間事務所から出られることはなかった。
電話の向こうの警官は巧みに店長を誘導する。盗んだお金のありかを調べるためにベッキーのポケットやカバンを探らせる。拒むベッキーとも電話で話し、いまここで解決すれば問題は最小限で済むと説得する。仕方なく服を脱ぐベッキー、調べる店長。盗んだお金などない。警官は下着も脱がせて調べろと言う。全裸になったベッキーには事務所にあった汚いエプロンが渡された。すべて調べたが何もないと言うと警官は服を回収してベッキーには返すなと言う。彼女の兄に麻薬の容疑がかかっているから服も後で調べると言う。いつ来てくれるの?と聞く店長にベッキーの家を家宅捜索しているからすぐにはいけないと言う。
店長は忙しい店に戻らないといけない。警官は誰か別の者に見張りをさせるよう指示し、バイトの男の子に見張りを任せるが彼は全裸のベッキーを調べろという警官を拒否しこんなことに関わりたくないと言う。店長は別の誰かに見張りをさせろと言われ婚約者ヴァンビルキャンプに電話する。やってきた婚約者はバイトの男の子とは違って警官の指示に戸惑いながらも従い始める。
電話の向こうの警官の指示は徐々にエスカレートし、、、
最終的に事件はこの店長の婚約者ヴァンが警官の指示でベッキーに性的虐待までするという事態にまで陥ってしまう。
この事件の電話の相手はもちろん警官などではない。忙しい店内、自分の店で起こった事件を大事にしたくない店長、拘置所に行かずに済ませたい容疑をかけられた少女という軽いパニック状態の中何かがおかしいという気持ちをおそらくどこかで持ちながらもありえない指示にまで従ってしまう。
これは所謂アイヒマン実験を地で行く事件なのである。人間の心理として割り当てられた役割に則した行動を取ってしまう。この現場を俯瞰で見ている観客の中にはこんなことで騙されるわけないだろ。バカか。いくらなんでもここまでするわけないだろ。イヤだって言えば済むことだろと考える人もいるだろう。でも実は人間の心理というのはこういう状況に騙されやすいものなのだ。
またこの犯人パットヒーリーってやつが言葉は適切でないと思うけど、非常にうまい。こちらがどんなに疑いを持って質問してもすべてきちんとした答えを用意している。権威をカサに着て威圧的な態度で命令したかと思えば、優しく諭したり、ほめそやしたり、ちょっとした世間話的なことをしてみたり。その間にいま指示に従った方が身のためだという強迫めいたことを軽く挟んでくる。まるで電話の向こうの相手の表情を読み取っているかのように、その時その時に適切なボールを投げてくるのだ。
「事実を基にしている」という作品の中にはインスパイアされただけでかなり自由にアレンジを加えている場合が結構あるのだけど、この作品は本当に信じがたいことなんだけど、実際に起こったことにほぼ沿っている。被害者が受けた性的虐待は実際のところ映画のほうが少しぼやかしてある分マイルドなくらいだ。実際の店長の婚約者は実刑判決を受けている。
そしてさらに驚いたことに同様の事件が10年に渡って全米で70件も発生していたらしい。こういう事件が発生していると知っていたのに全店に通達していなかったマクドナルドは被害を受けた女の子に損害賠償を支払っている。もちろん同様の事件と言ってもここまでヒドイ事態に陥ったのは、この映画になったケンタッキー州での事件だけなのかもしれないけど、ウィキ英語版を見てみると裸にされて調べられた件も何件もある。被害を受けた子が賠償金目的であそこまでしたんじゃないかという声もあるようなんだけど、それはおそらく企業側の弁護士の必死の抵抗と巨額の賠償金をもらった彼女へのひがみを感じる人の中傷だと思う。そして、もし、もしも万が一彼女が賠償金狙いであそこまでしたとしたら、もうワタクシはあっぱれと言うしかない。(ワタクシは彼女は純粋な被害者だと思っています。念のため)
電話をしたほうの容疑者はいったん捕まったものの証拠不十分で釈放されているっぽい。子供もいる男性らしいのですが。容疑者は警官になりたい願望があったらしくプリペイドカードの購入歴からもかなりクロに近そうな雰囲気ですけどね…以降同様の犯行はストップしているらしいし。この犯人、電話の向こうで相手の反応を楽しんでいるだけでこの状況をどこかから覗いているわけでもなんでもなく、相手が自分に従う状況をただ純粋に楽しんでいたっていうのもなんか怖いですね。
映画の作りのほうはというと、結構淡々としているなぁと感じる人もいるかもしれない。ワタクシはその淡々とした感じがなんか薄ら恐ろしいと感じた。こんな事態になるわけなんかないだろと感じてしまっている人にとっては、バカバカしい展開が続くというだけかもしれないけど、ワタクシはアイヒマン実験を信じているタイプなので、本当に恐ろしかったし、ベッキーがどこまでの被害に遭うのか知らなかったので見ている間気が気じゃなかった。上映時間は90分なんだけど、それよりも長く感じた。でもそれはこの作品がつまらないからではなく、このいたたまれない状況から早く抜け出したいと考えてしまうからで、逆を言うとこの作品がそれだけ良くできていると言える。
手持ちのカメラでのクローズアップなどが多くてまるでその場にいるような臨場感と緊張感があり、役者の表情などを非常にうまく捉えていた。店長を演じたアンダウドがいくつかの賞を受賞しているが、本当にリアルな演技が素晴らしかったし、被害者を演じたドリーマウォーカーも体当たりの演技で非常に勇気があったと思う。
いくつかの関連リンクを貼っておきます。興味ある方はどうぞ。
日本語版ウィキペディア → アイヒマン実験/ミルグラム実験
英語版ウィキペディア → Strip search prank call scam (実際の事件の説明)
You Tube → McDonald Stripsearch (実際の事件の監視カメラの映像とニュース映像)
シネマ日記関連記事 → The Wave ウェイヴ
シネマ日記関連記事 → es
ケーブルテレビで見ました。
麻薬捜査官のサルイーサンホークは5人の子どもを抱え妻リリーテイラーは双子を妊娠中。家の壁のカビのせいで妻は体調を崩しているし、7人の子持ちにとっては手狭なため引っ越しを考えているが狙っている物件の頭金がなかなか貯まらない。
あと7日で定年退職する予定のエディリチャードギアは20年以上警官をやってきたが大した功績も残さず、無駄な争いには巻き込まれないようにしてきた。日々の楽しみといえばいつもの娼婦のアパートに通うことくらい。そんな彼は署長から教育係として新人を押し付けられる。
潜入捜査をしているタンゴドンチードルは、私生活のすべてを犠牲にしてきたが昇進は認められず嫌気がさしている。長年の潜入により警察側よりもギャング側に心を寄せるようになってきている。
この3人の共通点はブルックリンで一番治安が悪いとされている公営アパートの地域の管轄で働いているということくらいで、特に接点はない。同じ署で働いているから途中サルとエディが同じ空間にいるシーンはあるが、それくらい。邦題が「クロッシング」というからいつ交差するかいつ交差するかと楽しみに見ていたら最後の最後でほんのちょこっと交差するくらいだった。この邦題には騙された。あとから原題を見ると「Brooklyn's Finest」(ブルックリンの警官)だったので全然交差関係ないやん!って思いました。
というわけでこの3人はなっかなか交差しないので、これはほとんどオムニバス映画のような感じです。ブルックリンの三者三様の警官にスポットが当たった3つの物語。ただ、共通して流れるテーマのようなものはあって、それは映画の冒頭でサルが殺す悪党が判事に言われたというセリフ「世の中にはrighter(より良い)とwronger(より悪い)しかない」righterとwrongerというright(善)wrong(悪)の比較級というものは実際には存在しない言葉なのですが、完璧な善や完璧な悪などなく、生きていく上でより良いとより悪いのどちらを選択するかなのだというのを頭の片隅に置きながらこの3人の警官のお話を見るとなかなかに興味深いでしょう。
どうしても頭金を用意したいサルは麻薬の売人たちを捕まえたときに回収するお金を横領しようと考えていた。何度もチャンスをうかがい金を持って逃げた売人を一人で追いかけたが、そいつはお金など持っていなかった。その間にも物件の売り手にはせっつかれ、妻の病状は悪化し、子どもたちは広い家を夢見ている。みんなの期待に応えるためなら汚い手も惜しまないと考えているサルだが、すべてがうまく行かずイラつきを見せてしまい相棒にも心境の変化を感じ取られている。
教育係としての一日目にやってきた新人は正義感あふれる若者で、とにかく争いごとを避けて通れというエディに愛想を尽かして一日で教育係の変更を願い出て二日目には別の新人をつけられた。小売店での小さなケンカを止めに入った新人とエディだったが、エディがパトカーに身元確認をしに行っている間に新人が小売店で発砲してしまう。自分のミスでそうなったと認めるエディだったが、幹部たちは警察の面子のためか、相手が麻薬を所持していたことが原因だったと事実を捻じ曲げようとする。エディは譲らず定年退職の日を迎え、馴染みの娼婦に一緒になろうともちかけるが振られてしまいもともと無気力だったエディはさらに自暴自棄になる。
FBIのスミス捜査官エレンバーキンの介入により、ギャング仲間の大物キャズウェズリースナイプスをでっちあげ事件で挙げろという指示を受けたタンゴはそれを断るが、上層部はそれと引き換えに昇進をちらつかせてきた。キャズ逮捕を決心するタンゴだったが、ギャング内の内輪もめでキャズが撃ち殺されてしまい、タンゴの中の何かが変わった。
3つの物語を同時進行で見せられるのだけど、どれもまるでドキュメンタリーでも追うかのように丁寧に描かれているので全然ややこしくもないし見ずらいということもない。3人とも全然身近にいるタイプじゃないんだけど、話の運びがうまいのと演技が素晴らしいのでそれぞれの苦悩が伝わってきてそれぞれに感情移入しながら見ることができる。最後はみながより良い(righter)選択ができるようにと祈るような気持ちで見ていた。
それぞれの起承転結の結の部分が最後にあの公営アパートへと向かわせる。ここで誰がrighterな選択をしたかwrongerな選択をしたかの答えが見事に出てしまう。たたそれが客観的に見ればwrongerな選択だったとしてもあの時の彼らにとってはもうそれしか選びようがないという状況だったのかもしれない。そこに至る過程が丁寧に描かれているのでたとえそれが間違った選択だったとしても彼らの気持ちが非常に分かる終わり方になっているのがとても切ない。
リチャードギアが冴えない老警官ってなんかミスキャスト?と最初は思ったけど、全然違和感なかった。あんまり演技派のイメージはないけどやっぱりちゃんと演技してるんだな~。イーサンホークとドンチードルはぴったりのキャスティングでした。
とにかく全然交差しないので邦題に騙されないでご覧ください。
ケーブルテレビで見ました。副題に「若きウェルテルの悩み」というのが入っているので、あぁ、ゲーテって「若きウェルテル」の人ね。と分かっていたものの、その程度の知識で見ました。ゲーテって文学史とかで習ったのは覚えているけど詳しくは忘れていたしウェルテルも読んだことありません。「ファウスト」は何度も劇や映画で見たことがあったけど、それもウィキで調べて初めてあぁ、そう言えばこれもゲーテか、と思った程度です。
ゲーテアレクサンダーフェーリングが「若きウェルテルの悩み」を書くきっかけとなったシャルロッテミリアムシュタインとの恋を描いた作品。事実に着想は得ているけれどもかなり脚色されているそうですが、ワタクシは事実がどうだったのか全然知らないので映画を見ただけの感想として読んでください。
詩人になりたいゲーテは父ヘンリーヒュプヒェンの反対と出版社からの拒絶があったため、父の希望する弁護士になるため法学部に進む。村の舞踏会でシャルロッテに出会い恋に落ちたゲーテはシャルロッテの家に通い、弟、妹の面倒を見てやったりシャルロッテとの距離を縮めていく。シャルロッテもゲーテに対して同じ気持ちでお互いに気持ちを確かめた直後、シャルロッテは父ブルクハルトクラウスナーがゲーテの上司であり将来有望の男アルベルトケストナーモーリッツブライブトロイと婚約させようとしていることを知る。
ゲーテへの想いを断ち切れないシャルロッテだったが、弟や妹の教育資金などのことを考えるとケストナーと結婚しないわけにはいかなかった。1770年代の話ですから、自由恋愛で好きな人と結婚するのは普通のことではなかったのでしょうね。だからこそ、ケストナーも婚約以前のこととしてゲーテとのことを許しますし、ゲーテのことなど忘れて自分と結婚するのが当然だと思っています。家族のことを考えてシャルロッテが出した結論を責めることはできないでしょうね。実際ケストナーも全然イヤな奴とかじゃないので見ているほうもそのあたりは納得できてしまうのではないでしょうか。
しかし、そんなことで納得できるはずがないのはゲーテ。そりゃそうだよね。あんなに舞い上がっていたのに、自分の上司と結婚しちゃうなんてさ。その経験を基にゲーテは「若きウェルテルの悩み」を書く。という単純な恋愛ものなんですが、ゲーテのキャラクターが軽やかでエネルギッシュで魅力あふれる青年として描かれていてとても好感が持てます。本当にゲーテがどんな人だったのかワタクシは全然知らないですが、人の心とか感情とかそんなものは大切にされず二の次だった時代に自分の内面に目を向け豊かな感情を表現してみせたゲーテという青年にとても惹かれました。ゲーテが着ている濃い黄色のシャツに紺の上着というのはウェルテルが小説内で来ている服装で出版後当時それを真似る人がたくさんいたそうです。劇中ではヘンテコな格好と言われていたけどワタクシには普通というかオシャレに見えました。当時にしてみればおかしな格好だったんでしょうね。
ゲーテを演じたアレクサンダーフェーリングはなかなかの男前ですね。「イングロリアスバスターズ」に出てたって書かれてるけど、どこにいたんだろ?シャルロッテを演じるミリアムシュタインも可愛い方です。そしてドイツ映画と言えば必ずと言っていいほど登場するモーリッツブライブトロイ。こういうインテリでお金持ちっていう役どころはあんまりないので最初ミスキャスト?と思いましたが、全然違和感なく見られました。さすがの演技力ですね。
本当はシャルロッテは15歳だったし当時のことを考えてもゲーテとシャルロッテがセックスしたわけないというのが大方の見方だと思うのですが、この映画の設定ではシャルロッテはもう少し年上だし、2人が結ばれるシーンも森の中で土とかついて汚れてたけどそれでも美しかったのでワタクシは映画の中だけに限ってOKだと思いました。
演出もコミカルなところもあるしドイツ映画なんか見たことないし、ゲーテなんて知らないよーって人でも十分に楽しめる作品だと思います。
公開の随分前から見に行くと決めていた作品です。「ロミオとジュリエット」以来レオナルドディカプリオがバズラーマン監督と組んで、あのギャッツビーをやるというのですから当然興味がありました。
「華麗なるギャッツビー」と言えばレッドフォードのイメージが強くてディカプリオはちょっと線が太すぎるかなぁと思ったけど、ワタクシは原作を読んだことがないので単にレッドフォードと比べてというだけです。
あの「ロミオとジュリエット」「ムーランルージュ」を作ったバズラーマンが監督するのですから、ギャッツビーがただの20年代の文学作品を映画化したものになるわけはないことは分かっていたのですが、やはり映像、音楽、衣装ともにとても大胆な演出で特に音楽は本当にバズラーマン印といった感じで1920年代のジャズと現代のラップを融合させてJay-Z、ビヨンセ、will.i.am、フローレンスアンドザマシーン他現代を代表するシンガーを集結させています。サントラ買っちゃったよ。
お話自体はまぁレッドフォードので概要は知っていたので、なんとも感想としては書きにくいなぁ。デイジーキャリーマリガンを想い続けたギャッツビーの一途な恋心と2人の悲恋が中心なわけだけれども、なんせ、デイジーが当時の良家のお嬢様ということで仕方ないんだろうけど、甘ったれで都合が良い女なので、ギャッツビーの想いも行動も空回りでどうにもすっきりしない。デイジーが結婚したトムジョエルエドガートンは浮気しまくってて鼻持ちならない奴なんだけど、結局ズルいデイジーはトムを選んじゃうわけだし…ギャッツビーの人生はすべてがデイジーのためだったから最後はデイジーをかばって死ぬ(と本人は思っている)形になってある意味では本望だったのかも。
これは1920年代のニューヨークという空気感が分かればもっと理解できる物語なのかなと想像してみたりしています。原作を読めばその辺もっとよく分かるのかなぁ?話の筋としては「アメリカ文学最高の小説のひとつ」って言われるほどか?と思ってしまうのですが、読めばまた違うのかもしれません。
デイジーを演じたキャリーマリガンは、前半ギャッツビーの想い人として登場するあたりでは、なんだかイマイチだなぁなんて思ったのだけど、後半にいくにつれて非常に流されやすい側面を見せ始めるあたりから、ピタッとイメージと合ってきた。「女の子は美しきおバカさんが一番」彼女はそう考えて生きている。そんなイメージにキャリーマリガンはぴったりだったんだろうな。“美しきおバカさん”一見弱そうなデイジーはそれを演じきれるほどに強かな女なのかもしれない。
ディカプリオはなぁ…どうなんだろう?ワタクシ、彼のファンなので彼の作品は全部見ているんですが、今回そんなに良かったかなぁ?物語の前半20分くらい、なかなか登場しなくって引っ張りまくったあげく“類まれな微笑み”で登場するんだけど、あれってそんなに良いシーンだったかなぁ。花火とか上がっちゃってワタクシはちょっと笑っちゃった。
あと、これは完全に好みの問題なんだけど、ニックを演じたトビーマグワイアの声ってあまり好きじゃないんですよねー。彼って他の作品でもなぜだかナレーション的な役割が結構あるような気がするんですけど、鼻にかかったあの声で2時間半ナレーションされるのはちょっとつらい。
ギャッツビーとデイジーがニックの家で対面するシーンはちょっとコミカルに作ってあってそれもバズラーマンっぽいなぁって感じだった。あそこは笑っていいシーンだよね?
パーティのシーンとかギャッツビーがシャツをばら撒くシーンとかクラッシックカーをぶっ飛ばすシーンとか視覚的に楽しいシーンはたくさんありました。衣装も細部にいたるまで凝っていてそれを見に行くだけでも価値はあるかも。ただちょっと142分は長すぎるかな。
公開のとき見たかったのですが見逃し長い間見る機会がないままだったのですが、先日ケーブルテレビで放映があったので見ました。
イラク帰還兵のマイクジョナサンタッカーが失踪し、軍から脱走したと連絡を受けるが息子が軍隊から脱走するはずなどないと自ら捜査に出かけた父親ハンクトミーリージョーンズが地元警察のサンダース刑事シャーリーズセロンとともに息子の失踪の真実に迫る。父親自身が元軍警察で捜査にかけては一流だし、軍隊を退役してからも誇り高い軍人として折り目正しい生活を送っており、息子たちも父親からその気質を受け継いでいた。
「軍が隠ぺいしようとする事実に迫る」とかそういう宣伝文句だったので、正直言って実際に真実が明らかになったときは「なぁんや…」と思ってしまった。もっと大きな陰謀とかそういうことに関わる事実が明らかになると期待していたので。
なので見終わった直後はブログで取り上げて感想を書こうとは思っていませんでした。でもねー、これ、あとからじわじわ来るんですよ。戦場に行った息子の姿を携帯の動画で目の当たりにしてしまう父親の切なさとか、息子が戦場から訴えかけてきた辛さを理解してやれなかった悔しさとか、自分が信じてきた軍隊や祖国というものを信じられなくなった空しさとかねー。そして、戦場でPTSDに苦しみ別人のようになってしまう若い兵士たち。人を殺すということがいとも簡単になってしまった兵士たち。見終わってしばらく経ってからも彼らのことを考えずにいられない。そんな、さすがポールハギス監督!な作品です。
途中、ハンクがサンダース刑事の幼い息子にしてあげる聖書に出てくるダヴィデとゴリアテのお話が、何を表そうとしているのか本当のところはよく分かりませんでした。巨兵ゴリアテに石を命中させてイスラエルを勝利に導いた少年ダヴィデ。あとから息子はお母さんに「どうしてダヴィデは子供なのに戦わせたの?」と聞くシーンがあります。つまり、ダヴィデはイラクで戦う若い兵士たちのことでダヴィデを戦わせたサウル王がブッシュ大統領ってことなのかな?でも、ダヴィデはヒーローになりその後イスラエルの王になったのに対して、若い兵士たちはPTSDに苦しむ人生を歩まなければいけない。それを考えると彼らをダヴィデに当てはめるというのはちょっとよく分からないです。
もうひとつ、物語の本筋とは関係なく最初のほうで夫が自分を噛んだ飼い犬を風呂で溺れさせて殺したので、なんとかしてほしいとサンダース刑事に訴えてきていた女性ゾーイサガンが犬と同じように夫に殺されてしまうというシーンがあります。犬を殺した時点では警察では何もできずサンダース刑事は女性が殺されたとき悔し涙を流しますが、この話の意味も何だったのかは正直なところ分かりません。サンダース刑事はそれ以前も誠実に警察の職務を果たしていたと思うし、この事件以降以前にも増して刑事という仕事を一所懸命にやるだろうとは思いましたけど。。。警察の仕事の範囲の限界というものの空しさを描いたエピソードだったのかな。。。こういうエピソードの挿入もポールハギスらしさなんでしょうね。
片田舎の刑事という役どころにシャーリーズセロンて、、、キレイ過ぎるでー。とは思うものの、やはりそこは実力派の彼女だけあって、ほぼすっぴん、犯人のチェイスのときに殴られたあとも生々しくブラックアイだし、幼い息子がいるというのも全然違和感がない。
でもまー、比べるのは可哀想ですが、シャーリーズの役作りなんか吹っ飛んじゃうくらいトミーリーが素晴らしいです。PTSDが引き起こしたとはいえ、息子が戦場でしてきた悪行を見せられる父親の顔、息子の同僚たちと同じ兵士として語り合う顔、自分の人生を通してずっと持って来た価値観が崩れ去った男の顔、どれを取っても素晴らしく当然アカデミー賞主演男優賞ノミネートされてましたね。あの最後のねー、星条旗を逆さまに掲揚するときの演技には本当にしびれちゃいました。そして、出番は少ないですがこの兵士の母親役を演じたスーザンサランドンも素晴らしかったです。
地味ぃですが、見た後非常に考えさせられる作品ですし、純粋に役者陣の演技を楽しむこともできる作品です。
おまけ役者陣と言えば、ジェームズフランコ、ジョッシュブローリン、ジェイソンパトリックと結構有名な人たちがちょこちょこと出てきます。しかし、50代のフランシスフィッシャーのストリッパーぶりに一番ぶっ飛びました。
引退した音楽家たちが暮らす「ビーチャムハウス」にかつてのスター・ジーンマギースミスがやってくる。彼女はどうやら入居者のひとりレジートムコートネイと確執があるようだ。2人は元夫婦。ジーンの勝手でうまくいかなかったらしいという雰囲気。しかし、ジーンも歳を取って丸くなったのかレジーに許しを請うがレジーは傷つけられた過去から抜け出せないでいた。
ビーチャムハウスでは資金難から存続をかけた資金集めのコンサートの準備が着々と進んでいた。コンサートを仕切っているスィドリックマイケルガンボンはかつて素晴らしい公演をしたジーン、レジー、ウィルフビリーコノリー、シシーポーリーンコリンズのカルテットを復活させようと思いつく。
レジーはジーンと歌うのには反対だったが、仲間の説得に応じてくれる。しかし、ジーンはもう歳を取り昔のようには歌えないと再結成を断る。彼女はスターだっただけに過去の栄光に囚われ自分の衰えた姿をさらすことに抵抗を感じていた。それでも3人からの友情が彼女の気持ちを変える。
ビーチャムハウスにいる老人たちがみな本当にかつて音楽界で活躍した人たちばかりで、それぞれの演奏や歌声が素晴らしくそれだけでも十分満足できる作品となっている。これはダスティンホフマン監督の力量とは言えないと思うけど。
カルテットを演じる4人のキャラクターがそれぞれにとても合っていてすごく説得力がある。色ボケじじいで下ネタジョークばかり言ってるウィルフやちょっとボケは入っているけど陽気なシシーのキャラクターは老人を扱う作品に登場するキャラとしてはステレオタイプといったところだけど、それでもやはり2人ともなんだか可愛らしくて見ていて楽しくなってしまう。お年寄りに可愛いというのは失礼というふうに言う人がいるのは知っていますが、やはり年を取ってもチャーミングでいるというのは素晴らしいことだと思います。「可愛い」っていう表現が下に見ているとかそういうのではなくて魅力的という意味で使われるなら何も非難すべきことではないと思います。
マギースミスがスター然としていていかにもかつてのディーバというのにも、やはり彼女には周囲とは一味違うオーラが漂っていて納得できる。周りもスターと呼べる人たちの中にいるのにそれでもひときわ輝いていますもんね。
マイケルガンボンがかぶっていた帽子がダンブルドア校長のときとソックリで、これ絶対わざとだろ!って笑いそうになりました。このブログでは何度も書いていますが、ハリポタに出ていた役者さんはどうしてもその時の印象で見てしまうんですよねー。ダンブルドア校長とマクゴナガル副校長だー!ってちょっと心の中で盛り上がっちゃう。
ラストのコンサートでもまた歌や演奏を楽しむことができますね。ストーリーはそんなに大きな動きはないけど、小さなエピソードの積み重ねと音楽家たちの演奏や歌で気持ちよく見られる作品に仕上がっていると思います。まぁ、音楽でごまかされた部分もあると言えばあるかなー。映画のデキが2割増しくらいで良いと感じるようになっている気がします。主役のカルテットは音楽家ではなくて役者さんたちなので、最後の終わり方はあれで良かったと思います。違う人たちが歌っているのをかぶせてリップシンクするっていう手もあったとは思いますけど、それで不自然になるよりベターかなと。
主役級以外で出演している音楽家の人たちもその世界ではかなり有名な人たちなんだろうと思うと、あの中に一体何人ナイトやらデイムがいたことでしょうね。エンドクレジットで彼らの若いときの写真が出てきてすごく楽しめました。カルテットを演じた役者さんたちもそれぞれ若いときの写真が出ましたが、マギースミスの美しさには心底ビックリしてしまいました。ワタクシが映画を見始めたころにはすでにおばさんからおばあさんへっていうくらいのときでしたから、あんなに美しかったなんて考えたこともなかった。いまでももちろん品があって変にしわのばしとかしてなくて素晴らしい女優さんですよね。まだまだできる限り多くの作品に出演してもらいたいです。
松嶋×町山シリーズ4作目です。
タイトルの金正日花(キムジョンギリア)というのは金正日を称えるための花で46歳の誕生日に贈られたものらしいのですが、「愛、平和、知恵、正義」の象徴とされ北朝鮮では「不滅の花」と呼ばれているらしい。驚いたことにこれを作ったのは日本人の加茂元照さんという園芸家だという。ワタクシはこれを聞いた時には、北朝鮮を崇拝している日本人なのかと思ったのだけど、どうやらそういうわけではなく、しつこくこの花を譲ってくれと言ってくる朝鮮人に根負けしてあげたら、こんなことになったという話がウィキに載っていた。(ウィキ情報なので真偽のほどはワタクシが確かめたわけではありません)
この作品は、北朝鮮から脱北した人々のインタビューで構成されています。家族などが収容所に入れられ、一族郎党までもすべて収容所に入れられたという人や、両親が収容所に入れられていて、収容所で生まれたという人、仲良くしていた友達が金正日の愛人にされ、内情を知り過ぎたために収容所に入れられた結果、自分もその人と親しかったというだけで収容所に入れられた人などがいた。家族が収容所に入れられたという人の中ではほとんどが罪状は不明という人で、家族は処刑されたという人もいるし、子供の頃収容所内で処刑を強制的に見せられた人もいた。
悲惨なのは国内の収容所だけでなく、収容所の外でも飢饉が続き慢性的に国民が飢えて国際社会に助けを求めたところまでは良かったが、結局支援はエリート層が独占しただけで終わってしまい、援助団体も手を引かざるをえなくなってしまったことだ。金正日の独裁のツケをすべて貧しい国民が払わなければならない。
それにたとえ脱北できたとしても、脱北先の中国で人身売買され性的奴隷となって働かされた女性やキツイ下働きと拷問に耐えなければならなかったピアニストの男性など、脱北したからといってその先に幸せが待っているとは限らないという現実に非常に驚いた。ワタクシは脱北先では少なくとも北朝鮮にいたときよりは幸せに暮らせるのが普通だと考えていた。
インタビューの途中途中に創作ダンスの映像が映し出され、最初は奇妙だし余計だなと思っていたのだけど、徐々にそのダンスが脱北者たちの過酷な運命とシンクロしていって、もの悲しく胸を締め付けられるような感覚に囚われた。
この作品は2009年に発表されているので、インタビューを受けている彼らが「金正日さえいなくなれば・・・」と語っているのが辛かった。今現在、その金正日はいなくなっているが、結局息子が国を受け継ぎ体制が変わっているとは言えない状態だ。「金正日さえいなくなれば」と希望を抱いていた彼らはいまどんな気持ちで祖国を見つめているのだろう。
劇場で予告編を見て興味が湧いたので行きました。
山陰のさびれた港町・上終(カミハテ)という自殺の名所で小さな商店を営む千代高橋惠子。彼女の焼くコッペパンと牛乳を自殺者は最後に口にして断崖絶壁へと向かう。千代は彼らが残した靴を持ち帰り、家に置いている。彼女の父親もまた彼女が幼いときに彼女の目の前で断崖に身を投げて自殺している。
千代を訪ねてくるのは牛乳屋の知的障害の奥田君深谷健人と役所の福祉課の須藤水上竜士くらいで、あとは自殺願望者だけだ。
千代の弟良雄寺島進は都会で会社を経営しているが、売り上げが回収できず支払いに困っている。そんなときホステスのさわ平岡美保に出会う。さわは連れ子を一人で育てていたが、貯金通帳と連れ子を良雄に託して姿を消してしまう。
千代の店の前に毎日バスが来る。おそらく数時間に1本。一日に数本といったところだろう。千代はバスが停まる度に身を固くして待っている。今日は自殺者が降りてくるのか、誰も降りてこないと分かると千代はまたコタツに寝転がり、自殺した父と病気で亡くなった母を想う。
自殺者が最後にパンを食べる店としてネットでウワサになってしまった千代の店に面白半分で訪ねてきた女の子たちを千代は酷く冷たく追い返した。自殺者が来たからといって止めるわけでもない千代だが、自殺者をあざ笑うような人間は許せないのだろう。
ある日、子供を置いて自殺しに断崖へ行こうとした母親を止めた千代は警察や役所からお手柄と言われるが、その親子は帰り道で線路に飛び込んで死んでしまった。自分が止めさえしなければせめて子供だけでも助かったものを。千代はそう思ったに違いない。それでも奥田君が断崖に立っていた時、それを止めずにはいられなかった。
またある時やってきた若い女性にはパンはないと言って追い返してしまう千代。その女性は「ここのパン食べて死のうと思っていたのに調子が狂った」とバスの運転手あがた森魚に言い残し帰って行った。人は何かにすがりついて何でもいいから理由をつけて死なないでおこうと思いたいのかもしれない。自殺者を送り届けることの多いバスの運転手が「連れてきた人を帰りも乗せるのは目覚めがいいもんだね」と言う。自分には直接関係がなくともやはり人の自殺というのは重く心にのしかかるものなのだろう。
弟の話と千代の話がどこで合流するのかと思っていたら、最後に行方をくらませたさわが千代の店にやってくる。彼女は無事もう一度帰ることができたのか。
おそらく病気を抱えていると思われる千代はただ淡々と日々を生きている。あまりに淡々としていて見ているのはちょっとツライ。セリフが非常に少ない中で高橋惠子の演技は素晴らしいんだけれど。
ただ、ワタクシはセリフの少ない映画というのが結構苦手なので。製作者側が言わんとしていることは受け止めてることはできていると思うんだけど、もう一度見たいかと言われればNOだし、人に薦めるかと言われても正直こういう映画が非常に好きという人にしか薦めないな。ごめんなさい。
自殺が愚かなことなのか、命は尊いものなのか、この作品はその答えを観客に押し付けはしない。ただもし自殺の名所まで行って自殺を思いとどまった人々が、現実に帰っていってまた生きようと思える世の中なのか。自殺大国と言われるこの国の受け皿というもの関して考えさせられた。
以前から楽しみにしていた作品です。ロバートレッドフォードはすごく誠実な映画を生み出してきた監督だし、アメリカ初の女性死刑囚の話ということで興味がありました。
1865年ワシントン。アメリカ合衆国エイブラハムリンカーン大統領が観劇中に暗殺された。容疑者は南軍の残党グループ。実行犯たちとともに下宿屋を営むメアリーサラットロビンライトも拘束された。彼女の容疑は犯行グループの計画を知りながら下宿屋をアジトとして提供したというものだった。
大統領を暗殺された怒りが国中を駆け巡る。南北戦争が終結した直後で、政府はこれ以上国中に憎悪を広がるのを防ごうと早急な裁判を希望していた。政府の意図を察したリヴァティジョンソン上院議員トムウィルキンソンは弁護士としてメアリーサラットを弁護することに決める。彼はメアリーサラットが有罪であろうと無罪であろうと一般市民を軍事裁判にかけ結論ありきで裁判を進めることなど断じて許せないと自分の信念を貫き通す。ジョンソンは自らが南部出身であることから、メアリーの印象を良くするために南北戦争で北軍の兵士として活躍した部下のフレデリックエイキンジェームズマカヴォイに弁護を任せると言う。
エイキンは北部人として暗殺グループを憎んでいたし、初めはメアリーサラットのことも許せないと思っていたが、彼女のことを知っていくと彼女が息子ジョンサラットジョニーシモンズをかばうために口を閉ざしているのだということが分かってくる。それと同時に、あまりにも人権を無視したような裁判所と検察ダニーヒューストンのやり方に反発を覚えていく。
国中が犯人を憎むのは分かる。でも、僕たちはこんなふうに法律を守らない国を作るためにあの戦争を戦ったのか?というエイキンの訴えが心に響く。メアリーサラットを無罪にするために奔走するエイキン。そのためには彼女がかばっている息子を有罪にしなければならないが、それはメアリーの望む弁護ではなかった。
最初は反発していたエイキンが弁護士としての使命に燃え、司法制度を守るために権力と戦う姿がとても誠実に描かれていて好感が持てます。ジェームズマカヴォイはどんな役をやっていてもついつい「タムナスさ~ん」って思っちゃうんだけど、彼の実直そうな外見が非常にこの役に合っていました。
ロビンライトに関しては、もしかしたら子育てや元夫ショーンペンのために仕事をセーブしていたのかもしれないけど、近年では誰々の奥さん、誰々の愛人みたいな役ばかりで過小評価されている女優さんの一人だと思っていたんだけど、今回の役では完全に面目躍如といったところか。確固たる意志は譲らないが、それでいて母としての愛情、女性としての美しさを持っているメアリーサラットを見事に演じきっている。(女性としての美しさは単にロビンライトが美しいだけか)
エイキンはメアリーの娘でジョンの姉アンナエヴァンレイチェルウッドに弟を有罪にする証言をさせることによって裁判官たちにメアリーの無罪を決心させるにまで至った。それなのにスタントン陸軍長官ケヴィンクラインは裁判官たちの結論に圧力をかけてひっくり返させ、死刑という結審となってしまう。それでもエイキンは最初に弁護を申し出た上司のジョンソンでさえあきらめた戦いを最後まで絶対にあきらめることはなかった。メアリーを軍事裁判ではなく、一般の裁判にかけるよう人身保護命令を裁判官の一人に出してもらうことに成功する。死刑まで12時間、エイキンはメアリーを救ったかに思えたが、なんと大統領命令でそれも取り消されてしまう。
国の安定を図るためなら、一人の市民の命など犠牲にしても構わないという政府との戦いに負けてしまったエイキンとメアリーサラット。彼女が実際に無罪だったかどうかは問題ではない。一人の人間を司法制度を捻じ曲げて有罪にできてしまう国、制度、それを動かす人々が問題なのだ。それをレッドフォード監督が問いかける。
メアリーサラットの処刑後、逮捕された息子ジョンに面会に行ったエイキンにジョンが「君の方が良い息子だった」と言ったのには涙が出そうになった。エイキンはその後弁護士を辞め、ワシントンポストの初代社会部部長になったということだったが、この事件がその後の彼の人生に大きな影響を与えた証拠だろう。
小さい映画館でしか公開されていないのが、とても残念な作品です。