特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

大福中毒

2015-03-24 09:20:12 | 特殊清掃 消臭消毒
私は、甘味が好き。
食べることだけではなく、見るのも好き。
洋菓子・和菓子を問わず、色とりどり・多種多様の菓子が店頭に並んでいるのを見ると、子供のように気持ちが軽くなる。
クリスマスシーズンには、洋菓子店にかぎらずスーパーやコンビニにケーキのチラシが出回るが、それだけをもらって眺めてはほのぼの感を味わうこともある。
そういった具合に、菓子は、平和と豊かさを感じさせてくれる。
そして、それは、こんな社会にいられることがホントにありがたいことであることを気づかせてくれる。

そんな私だが、昨秋から冬にかけてプチダイエットを敢行。
その期間は、おのずと甘いものは控えざるを得なかった。
菓子は身体を生かすうえでの必需品ではない。
食べなくて精神の健康を害することはあるかもしれないけど、身体の健康を害することはないはず。
だから、とにかく、甘いものは口に入れないよう注意した。
しかし、理性で本性を変えることはできない。理性は本性を抑えるのみ。
“食べたい!”という欲求を抑えるのには、結構な辛抱を要した。

特に食べたくなったのは大福。
ケーキでもアイスクリームでも団子でもなく大福。
以前、大山(神奈川県伊勢原市)に登山した際の塩豆大福との葛藤を書いたことがあったが、アレで味を占めてしまい、以降、まるで中毒にでもかかったみたいに大福への欲求が治まらなくなってしまった。
しかし、まがりなりにもダイエット中。
自分の中では、おやつを食べるのはタブー!
そこで一考。
皿に切餅を並べ、チンしてやわらかくなったところに餡をかけたものを製作(“調理”といえるほどのものではない=カレーライスのカレーを餡に、ライスを餅にした感じのもの)。
そして、
「これは菓子じゃないぞ!御飯だ!御飯!」
「俺は欲望に負けたわけじゃない」
と、言い訳にしかきこえない屁理屈で痩せたダイエット魂を押さえ込んだ。
そして、これ一回きりでは済まず、以降、何回かこのヘンテコメニューに舌鼓を打ったのだった。

余談だが・・・
私は子供の頃から“つぶ餡派”。
団子でも餅でも饅頭でもパンでも、つぶ餡のほうが好き。
舌やノドに纏わりつくようなこし餡のネットリした感覚・・・あの感じが苦手なのである。

一応のダイエットが完了し、今は、体重維持に努めている私。
体重が減りすぎても困るので、今は、少々の甘味は普通に食べている。
ただ、上記の後遺症か、今でも、大福中毒がでることがある。
無性に大福が食べたくなることがあるのだ。
先日も、スーパーに買い物に行った際、まったく買う予定のなかった大福を買ってしまった。
それは二個で一パック、ふっくら丸々として見るからに美味そう。
パッケージには「十勝産小豆使用 甘さひかえめ」と、人の弱みにつけ込むようなことが書いてある。
その上、賞味期限は翌日なのに2割引。しかも、残りはそれ一パックのみ。
これを買わない手はなく、結局、私は大福に降服しささやかな幸福を手に入れたのだった。


ある暑い時季のこと、特掃の依頼が入った。
現場は、某県某市。
行政区分は“市”ではなったが、実際は“村”も同然。
その地域には数軒の家屋が点在しているだけで、カーナビにも登録がないくらいの山間。
単独で現場にたどり着くのは困難と判断した私は、最寄り駅(といっても現場からかなり遠い)駅で依頼者と待ち合わせ、そこから一緒に現場に行くことにした。

約束の日時。
依頼者である初老の女性とその娘夫婦は、遠路はるばるやってきて待ち合わせの駅に降り立った。
まず、我々は、顔合わせと簡単な挨拶を済ませた。
それから、女性達はタクシーを拾い、私は、その後をついて車を走らせた。

車は、どんどんと山の奥の方へ。
そうしてしばらく走って後、二台の車は一軒の家にたどり着いた。
その家・・・小屋といったほうがシックリくる建物は、長閑(のどか)な田園風景が広がる山間部にポツンと建っていた。
まわりは空と山と田畑のみ。
遠くに数軒の人家が散らばっているのみで、人の気配はなし。
家の敷地にも樹木雑草がうっそうと生い茂り、雑草に埋もれた畑の夏野菜が主の不在を暗示。
そこら辺には爬虫類や毒虫もいそうで、長閑さを越えた不気味さがあった。

不気味なことになっているのは、家の中も同じこと・・・いや、家の中はそれ以上。
隙間だらけの家からは、異臭がプンプン。
部屋の中には、蝿がブンブン。
マスク内の息は熱気に圧されてフンフン。
故人がつくりだした死の痕によって、この家全体を異様な雰囲気につつまれていた。

亡くなったのは、この家で一人暮していた依頼者女性の夫。
二人は、夫婦でありながらも別居生活を送っていた。
ただ、それは不仲が原因のことではなく、嗜好の違いによるものだった。

故人一家は、離れた都会に家を持ち、長い間そこで生活していた。
現役時代の故人は、何年にも渡って、自分のため家族のため働いた。
子供成長と家族の幸せを励みに頑張った。
そして、迎えた定年退職。
そのときは既に子供達も成人・独立し、住宅ローンも終わっていた。
そこで故人は、ある計画を実行に移すことに。
それは、田舎暮らし。
もともとアウトドア志向で田舎の自給自足暮らしに憧れていた故人は、かねてから田舎への移住を計画していた。
「やりたいことも我慢して働いてきたのだから、老後くらいは好きなことをやらせてあげよう」と、家族もそれを了承していた。

しかし、女性はそれに同行することはできなかった。
都会生まれ・都会育ちの女性は、まったく気がすすまず。
爬虫類や昆虫類は大の苦手で、たまに故人が連れて行ってくれた(連れて行かれた)キャンプやBBQくらいがギリギリ。
ここは夫婦一緒に暮らすのが自然だったのかもしれないけど、水洗トイレも美容院もない田舎暮しなんてとてもできるものではなかった。
そして、それは、長年連れ添った故人も理解していた。
結局、故人は、夏場は田舎で一人で暮し、冬場は実家で女性(妻)と暮らすことにし、二人は離れ離れの生活を送ることにしたのだった。

女性と故人は、月に2~3度の電話やメールで連絡をとりあった。
故人は、大方の人が嫌がる生活の不便さを逆に楽しんでいるようで、返ってくる声はとても活き活きとしていた。
女性も、“音沙汰ないのは達者な証拠”とばかり、老後になってやっと与えられた“独身生活”を満喫していた。
しかし、あるときから、故人は電話にでなくなりメールの返信もよこさなくなった。
ただ、携帯電話の操作ミスや本人の無精から、以前にも似たようなことがあったため、始めは気にも留めなかった。
が、一ヵ月も過ぎるとさすがに心配に。
安否確認を頼めるような人は近くにいなかったため、女性はソワソワと落ち着かない気分に引っ張られるように故人宅に出向き、そこに起こった異変を目の当たりにしたのだった。

やりたいことをやることは大きな幸せ。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲むことも、
話したいことを話し、聞きたいことを聞くことも、
行きたいところへ行き、見たいものを見ることも、
歩きたい道を歩き、生きたいところで生きることも。
そう考えると、晩年の故人は幸せだったのではないかと思った。
都会生活に比べて不自由なことも多かっただろうし、想像もしなかった困難に遭遇したこともあっただろうけど、長年の夢を実現させたわけで、最期はどうあれ、そこには、それまで味わったことのない幸せがあったのではないかと思った。


人間は、幸せを求める生き物。
そして、幸欲が尽きない生き物。
幸欲が次の幸欲を呼び、際限なく幸せを求める。
まるで、中毒にでもかかったかのように・・・
ただ、この中毒は、悪いものではない。よいものである。
努力すること、忍耐すること、正しく生きることを後押ししてくれるから。
ただ、毒になることもある。
人を駄欲に走らせ、利己的なところへ引っ張ることがあるから。
そして、この中毒は、
「人の幸せって何だろう・・・」
「自分とっての幸せって何だろう・・・」
と、“幸せの定義”という難題に答えられないでいるところに、自分の幸福度を人の好遇・不遇と比べて量るという安易な方程式をもたらす。
量れないはずの幸せを量ることによって、幸せを得させようとする。
結果、その心の中には、人の不幸で自分の不幸感を紛らわそうとする嫌なものうまれる。私のように。

幸せというものは、かたちが見えるようで見えず、見えないようで見える。
気の持ちよう・心の持ちようで得られることもあり、気の持ちよう・心の持ちようで失うこともある。
求めれば得られるものでありながら、求めたからといって得られるものではない。
ときに、求めなくても与えられる・・・多くの幸せは、“気づき”によって与えられる。

身の回りには、様々な幸せがたくさんある。
人には、人それぞれ身の丈に合った幸福がある。
他の人とは共有できない、それぞれの感性や感覚に与えられる幸福がある。
身に余る欲求に支配された幸福は、もはや幸福ではない。
食べ過ぎる大福が害になるように。

そう・・・
“食べる”という幸せもさることながら、その周囲には“食べることができる”という幸せもある。
つい見過ごしがちだけど、なんだか、そっちの幸せのほうが多い(?)大きい(?)ような気がする。
そして、それに気づくこと、気づけることもまた一つの幸せ。
「それを知って食べる大福は、図らずも至福の味になるのだろう・・・」
と、抑えられない幸欲に唾をのむ大福中毒の私である。


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