2005年10月9日、ハワイで開催される「ITUエイジグループ・トライアスロン世界選手権ホノルル大会」の日本代表メンバー12人(男7、女5)が発表された。その男子50~54歳の部に石川県から城戸勉選手が選ばれた。
彼は、私がランニングの師と仰ぐアイアンマンだが、30数歳からトライアスロンに挑戦し始めたはずなので、競技歴はまだ10数年で達成した快挙だ。ご本人は、代表に選ばれてもいたって謙虚だが、ホノルル大会に参加することはトライアスリート共通のビッグドリーム。
石川県トライアスロン協会にとっては、歴史的なニュースになる。
彼と会社で知り合ったのは、ちょうど20年前の1985年。NTT中国硬式野球部(ノンプロ)出身で北陸へ転勤してきた1年後だった。亜細亜大学野球部在籍中、元巨人軍で活躍した角投手とバッテリーを組むキャプテンでもあった。「世が世であれば多摩川のグラウンドで角とキャッチボールしていたかもしれませんよ」と言うのが、酒の席での当時の口癖。東都大学野球名門チームのキャプテンをつとめていただけあって、人の心の機微を読むのがうまく、職場のムードメーカーだった。
トライアスロン競技と出会って、彼のライフスタイルは一変した。健康生活の模範生で、かつての酒豪振りを知る者には別人の感さえする。一つことに集中する姿勢を見習いたいと常々、感心している。
サラリーマン生活を送りながら、高い目標に向けてモチベーションを維持し続ける気力に敬意を払うとともに、大舞台での活躍を心から願い、エールを送りたい。
彼は、私がランニングの師と仰ぐアイアンマンだが、30数歳からトライアスロンに挑戦し始めたはずなので、競技歴はまだ10数年で達成した快挙だ。ご本人は、代表に選ばれてもいたって謙虚だが、ホノルル大会に参加することはトライアスリート共通のビッグドリーム。
石川県トライアスロン協会にとっては、歴史的なニュースになる。
彼と会社で知り合ったのは、ちょうど20年前の1985年。NTT中国硬式野球部(ノンプロ)出身で北陸へ転勤してきた1年後だった。亜細亜大学野球部在籍中、元巨人軍で活躍した角投手とバッテリーを組むキャプテンでもあった。「世が世であれば多摩川のグラウンドで角とキャッチボールしていたかもしれませんよ」と言うのが、酒の席での当時の口癖。東都大学野球名門チームのキャプテンをつとめていただけあって、人の心の機微を読むのがうまく、職場のムードメーカーだった。
トライアスロン競技と出会って、彼のライフスタイルは一変した。健康生活の模範生で、かつての酒豪振りを知る者には別人の感さえする。一つことに集中する姿勢を見習いたいと常々、感心している。
サラリーマン生活を送りながら、高い目標に向けてモチベーションを維持し続ける気力に敬意を払うとともに、大舞台での活躍を心から願い、エールを送りたい。