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時悠人chosan流処世術

●政治家の言葉

2005-09-28 10:46:25 | 日記・エッセイ・コラム
 「記憶にありません」とは、不都合な時に連発される政治家の共通語。某業界からの政治献金授受を巡り、昨日東京地裁で開かれた公判で、自民党のA議員が証人に立った。

 1億円のヤミ献金授受はおろか、授受があったとされる会食への同席までも否認したが、追求されて、「記憶に無いが、皆さんがそう言うのならば出たのかもしれない」と、証言。幹部会で扱いを話し合ったかどうかについては、「億という金額は大きいので、話が出ていれば記憶している」とも。

 日頃、何を考えているのか含みが多く、不気味な発言で煙に巻くこの人らしく、法廷でも弁護団を煙に巻こうとした。記憶に無いというのは、偽証にはならない実に便利な言葉だ。老獪な政治家で度胸が据わっていないとこうは言えない。
 一方、素直に当選の喜びを表現した若者が不謹慎と責められ、謝罪会見までした。その裏で、ヤミ献金事件の話題は片隅に追いやられてしまった。

 同じ27日の出来事なのに、マスコミの扱いが全く違う。新米議員の失言(?)と、ヤミ献金事件と社会的にどちらを優先すべきなのだろう。「金と政治」の腐れ縁には、慣れっこになってしまって騒ぎ立てるのが馬鹿らしいのだろうか。それとも、、。


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