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時悠人chosan流処世術

●国の求心力って?

2005-09-10 10:12:33 | 日記・エッセイ・コラム
 最近、「日本という国の求心力って、一体、何なのだろう?」と考え込んでいる。

 本来なら、明日の選挙が国のあり方を問う機会なのだろうが、有権者の投票行動はどうも異なった次元で展開されそうな気配だ。マスコミの現状分析では、自民党の圧勝とか単独過半数といった情勢だとか。「郵政民営化賛成だが、他の政策では民主党支持の者はどの政党に投票すれば良いのか?」と迷っている人たちもいるとも伝えている。争点が今ひとつ不明瞭なだけに、もっともな意見だ。

 民営化、或いは、民営化しないまでも「改革する」ことを否定する者は、皆無に決まっている。自民党が圧勝するとすれば、この不明瞭さこそが、最大の勝因になるのだろう。選挙権を持たない子供達に、気が遠くなるような国の借金を押し付けることになるというのに、エンターテイメントの世界で選挙戦を繰り広げている現実。

 2年後に確実に訪れる団塊の世代の退職金を見込んだビジネス・チャンスを虎視眈々と狙っている集団。夫婦間の年金分配方法が変わるまで、2年間、離婚を思いとどまっている主婦層。政治よりもはるかにシビアに先を見据えて戦略を検討している動きが不気味だ。選挙と言う洪水に呑み込まれ、水がひいた後には、片付け物が転がっている。収拾する気力も体力も失せていはしないのかと、一人で気をもんでいる私に、「それが現実というものよ」と、はき捨てるように割り切る女房とつい口論になった。

  「ゆりかごから墓場まで」とは、かつて社会科で教わった社会保障制度の基本概念だ。日本という国に生まれ、老いて死んでいく。
生涯をこの国で送る国民にとって、国に求めるものは、憲法を持ち出すまでもなく、健康で平和な暮らしが出来ることだ。その保証・確信を持つことができれば、あらゆる問題にぶれなくてすむはずなのに。

 国の求心力って、ホントウに何に求めればよいのだろう?