電脳筆写『 心超臨界 』

苦労に対する最大の報酬は
その引き換えに得るものではない
苦労したことで形成される人物である
ジョン・ラスキン

日本史 鎌倉編 《 「12~16歳、基礎的なことを確実にやれ」――渡部昇一 》

2024-06-21 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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今の中学から高校の年ごろになれば、順序を追って教えていってよい。しかし、無闇に細かなことをさせてはいけないのである。そんなことは当座のこととしても似合わないし、真の上達に至る道でもない。これなども、現在の高校教育の指針として、そのまま当てはまる。無闇に細かいことや、むずかしいことを教えるのは、高校生にも似合わないし、将来のためにもよいことではないと思うのであるが、現在の大学入試の準備を見てもわかるように、世阿弥の諫めたことの逆をやっているのである。


『日本史から見た日本人 鎌倉編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p219 )
3章 室町幕府――日本的美意識の成立
――政治的天才・義満(よしみつ)と政治的孤立者・義政(よしまさ)
  の遺(のこ)したもの
(3) 『風姿花伝(ふうしかでん)』――世界に冠たる教育論の誕生

◆「12~16歳、基礎的なことを確実にやれ」

特に母親が仕事をするために、邪魔になるから預けるという意味での保育園や幼稚園の普及は、どこか本末顚倒になっているような気がしてならない。世阿弥は、家庭で教える芸事でも満6歳以後でよい、としているのである。

この6歳ではじまる稽古も、無闇にああしろ、こうしろと直してはいけない。あまり厳しく教えると、子どもは気が挫けてやる気がなくなり、そのままになってしまうからであるという。これなども教育ママには耳の痛いことである。英才教育の権威である伏見猛弥(ふしみたけや)氏は、干渉過多なお母さんを持った子は、集中思考や拡散思考や評価力という大切な知能が伸びないと言っている。

世阿弥も7歳から12歳ぐらいまでは、「うち任せて、心のままにせさすべし」と言う。そして教えるにしても、音曲(おんぎょく)や舞いなどの基礎的なものに限るべきであって、手のこんだ演技などは、能力があっても教えてはいけないとするのである。教育には先走ってはいけないということであろうが、今の小学校卒業ごろまでの教育方針としてはまことに妥当というべきであろう。

それが12、3歳から16歳ごろまでの間の少年期の場合では方針も少し変わってくる。

今の中学から高校の年ごろになれば、順序を追って教えていってよい。しかし、無闇に細かなことをさせてはいけないのである。そんなことは当座のこととしても似合わないし、真の上達に至る道でもない。

これなども、現在の高校教育の指針として、そのまま当てはまる。無闇に細かいことや、むずかしいことを教えるのは、高校生にも似合わないし、将来のためにもよいことではないと思うのであるが、現在の大学入試の準備を見てもわかるように、世阿弥の諫めたことの逆をやっているのである。

しかし高校の秀才はいるもので、本当に冴(さ)え冴(ざ)えとして頭のよい少年の存在することは否定できない。これは「何としたるもよかるべし」ということになる。

「しかし」と世阿弥は言う。この年ごろでは、いくら見事な冴えを示しても「この年ごろの花はまことの花ではなく、時分(じぶん)の花である」と。

一時的な花だ、というのである。

だからこの年ごろの勉強というのは、万事無理なくやることが肝要である。この年ごろではいくらよくても、生涯の芸が決まるわけではない、と断言する。

世阿弥は早熟的秀才のいることは認めながらも、それを一時の花と見抜くだけの眼力を持っていた。これに比べると、今日の受験戦争のごときは、一時の花を争っていることになって、まことに寒心に耐えない。

この「時分の花」を洞察した世阿弥は、この時期の勉強法としては、無理なくできることを大切に確実にやれ、と忠告しているのだ。つまり凝った問題は解けなくてもよいから、基礎的なことを確実(たしやか)にやれ、と言っているのである。

15世紀のはじめに、かくも明快に説き明かされたことを、今日の日本の教育界は少しも守れないのだから、情けないことと言わざるをえない。
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