電脳筆写『 心超臨界 』

苦労に対する最大の報酬は
その引き換えに得るものではない
苦労したことで形成される人物である
ジョン・ラスキン

日本史 古代編 《 英国より独自性の高い日本文化——渡部昇一 》

2024-06-21 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


日本というのは、この程度の大きさの地域に発達した文化としては、世界で最もユニークなものの一つと断言してよい。西端にあるイギリスよりは、格段に独自性の高い文化を作り上げていたことをまず、念頭に入れておくべきであろう。これは夜郎自大的なお国自慢ではなく、最近ではライシャワー博士をはじめとして、欧米の学者も続々この見解を採(と)るようになってきているのである。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p28 )
1章 神話に見る「日本らしさ」の原点
――古代から現代まで、わが国に脈々と受け継がれたもの
(1) 日本文化――その独自性の淵源(えんげん)

◆英国より独自性の高い日本文化

イギリスに行けばどこに行ったとしても英語で、つまりローマ字で書いてある。だからといって、アングロ・サクソンの文化がイタリア文化の一部であるにちがいない、などと言ったら、誇り高きイギリス人はおおいに怒るであろう。しかし本当はイギリスにはそう憤慨(ふんがい)する資格はない。

というのはその過去においてイギリスは、約450年間、ローマ帝国の領土(プロビンス)であった。

また約300年間はフランスから来た国王の支配下にあり、その間は英語が公用語でなかった時代である。

つまりブリテン島は、ここ2000年の間、3分の1以上をローマ人やフランス人に政治的にも直接支配されていたと言ってよい。その残りの期間も、ローマの文化の影響は圧倒的に強かった。宗教的にも、6世紀までにはローマ・カトリックに全島改宗し、カンタベリの大司教をはじめ、宗教的・精神的・文化的指導者は大陸から来ていたのである。文字はだいたいラテン語そのままであり、語彙(ごい)も約80パーセントはラテン系である。

しかるに、イギリスの文化の特殊性などということを彼らは強調し、ヨーロッパ大陸に対して独自の文化圏を作っているかのように考えているのである。

もしイギリスの文化がヨーロッパの中で特殊だという主張をするような発想でいくならば、日本とシナ大陸との関係などは、驚くほど稀薄(きはく)であったと言わなければならないだろう。

まず第一に、日本は、シナ大陸に現われたいかなる大帝国によっても、政治的支配を受けたことがない。まず、これが決定的である。

それに言語・民族ともに独自である。日本の民族と言語はシベリヤ満洲のツングース族と、南方諸島との混合が見られ、その起源に関しては諸説があるが、いまだに定説をみない。したがって、日本人や日本語をどこかほかの民族と簡単に結びつけるわけにはいかないので、一応、孤立していると見なければならない。

これに反して、ブリテン島においては、先住民族と言われるイベリヤ民族についてこそ、疑義があるが、その後この島に来た民族については、ケルト人であれ、ゲルマン人であれ、ノルマン人であれ、その系統が明白である。

このように大雑把(おおざっぱ)に見ただけでも、文化の質としては、イギリスのほうが、特殊性が少なく、日本文化のほうが、はるかに独自性が高いのである。対馬(つしま)海峡の広さはドーバー海峡の何倍もあり、また九州とシナ大陸は数百キロの海で隔(へだ)たっており、古代に栄えた国家としては、地理的に言っても最も孤立した文化を形成するに至った。

日本はたしかに小さい島である。その大きさにおいては、アメリカの州の一つであるモンタナ州にほぼ同じく、80パーセントが山地という地勢の点においても同州と似ていると言えよう。しかし古代にあっては、これは独自の文化を発展せしめるのに十分な空間であったのである。

あれほど優(すぐ)れた文明を作ったギリシャの小ささを考えてみられたい。都市国家のアテネの人口なども、今の東京にある大きな私立大学一校の学生数より少なかったのである。ローマ帝国を作ったラテウム(カンパニア・デ・ローマとして知られるイタリア中部の地域)にしろ、元来は上杉謙信の越後ぐらいの規模であった。それが約250年かかってイタリアの大半を征服して、帝国の基礎を作ったのである。しかも、ローマの建国の神話がギリシャの叙事詩(じょじし)と関係があることだけから見ても、ギリシャから受けた文化的影響はきわめて大きい。

このように見てくると、日本というのは、この程度の大きさの地域に発達した文化としては、世界で最もユニークなものの一つと断言してよい。西端にあるイギリスよりは、格段に独自性の高い文化を作り上げていたことをまず、念頭に入れておくべきであろう。

これは夜郎自大的なお国自慢ではなく、最近ではライシャワー博士をはじめとして、欧米の学者も続々この見解を採(と)るようになってきているのである。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読む年表 戦国~江戸 《 秀吉... | トップ | 日本史 鎌倉編 《 「12~1... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事