電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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阪急電鉄相談役の清水雅が「一人の力が他人の協力を得たとき、はじめて事業は成功する。そして、協力を得られるのは、鋭さではなくて人格の力である」といいきり、ドラッカーも「経営者がなさねばならぬ仕事は学ぶことができる。しかし、経営者が学び得ないが、どうしても身につけていなければならない資格が一つある。それは天才的な才能ではなくて、実にその人の品性である」と断言している。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p136 )
第5章 修己治人の人間学
◆修己治人
「人を見る明」の第四のメルクマールは「修己治人」である。「己を修め、人を治める」と訓(よ)む。
論語に出てくる例のやんちゃな弟子、子路が、君子たるの資格について孔子に質問している。
子路、君子ヲ問ウ。
子曰く「己ヲ修ムルニ敬(つつしみ)ヲ以テセヨ」
自己の道徳的完成、それが君子たるものの第一の資格である。
しかし、子路は無遠慮に反問する。
斯(か)クノ如キノミカ〈たったそれだけのことですか〉。
すると、孔子が答える。
己ヲ修メテ以テ人ヲ安ンズ。
「人」とは自分に近い範囲の人間、つまり家族隣人である。修養して、徳を身につけて、周囲の人に信頼されることだ。
だが、子路は満足しない。
「斯(か)クノ如キノミカ」と、もう一度、反問する。
これに対して、孔子の答えは峻烈である。
「己ヲ修メテ以テ百姓(ひゃくせい)ヲ安ンズルハ、堯舜スラ猶(なお)、
諸(これ)ニ病(なや)ミシモノヲ)」
「百姓(ひゃくせい)」とは「農民」の意味ではない。すべての人民である。つまり、為政者として、すべての人民を安定させる。それが君子すなわち、すぐれた人間の究極の任務である。そして、それは堯舜のようなすぐれた為政者でも困難なことであった、と付け加えている。
また、孔子は「鳥獣ハ与(とも)ニ群ヲ同ジクスベカラズ。吾(われ)、斯(こ)ノ人ト与(とも)ニスルニ非ズシテ、誰ト与ニセン」と教えている。
人間の愛情は人間の相手をもつことによってこそ成立する。その意味では、できるだけ多くの相手に愛情をふりそそぐ方法として、政治はたしかに有力な方法である。
上に立つ者は魅力がなくてはならない。魅力がなければ人はついてこないし、人がついてこなければ仕事はやれない。その魅力の基本が「修己治人」である。
阪急電鉄相談役の清水雅が「一人の力が他人の協力を得たとき、はじめて事業は成功する。そして、協力を得られるのは、鋭さではなくて人格の力である」といいきり、ドラッカーも「経営者がなさねばならぬ仕事は学ぶことができる。しかし、経営者が学び得ないが、どうしても身につけていなければならない資格が一つある。それは天才的な才能ではなくて、実にその人の品性である」と断言している。
しかし、「魅力とは何か」と開き直ってみると、「いわく、いい難し」と答えるほかはない。だが、「魅力がある」ということも厳然たる事実だし、「魅力がない」ということも厳然たる事実である。しかも、その魅力はつけ焼刃では絶対につかないことも厳然たる事実である。
ところが、この難しい「魅力」を明快に分析した学者がいる。
明末の碩学、呂新吾(ろしんご)で、その著『呻吟語』で次のように述べている。
深沈厚重(しんちんこうじゅう)ナルハ是レ第一等ノ資質。
磊落豪雄(らいらくごうゆう)ナルハ是レ第二等ノ資質。
聡明才弁(そうめいさいべん)ナルハ是レ第三等ノ資質。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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阪急電鉄相談役の清水雅が「一人の力が他人の協力を得たとき、はじめて事業は成功する。そして、協力を得られるのは、鋭さではなくて人格の力である」といいきり、ドラッカーも「経営者がなさねばならぬ仕事は学ぶことができる。しかし、経営者が学び得ないが、どうしても身につけていなければならない資格が一つある。それは天才的な才能ではなくて、実にその人の品性である」と断言している。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p136 )
第5章 修己治人の人間学
◆修己治人
「人を見る明」の第四のメルクマールは「修己治人」である。「己を修め、人を治める」と訓(よ)む。
論語に出てくる例のやんちゃな弟子、子路が、君子たるの資格について孔子に質問している。
子路、君子ヲ問ウ。
子曰く「己ヲ修ムルニ敬(つつしみ)ヲ以テセヨ」
自己の道徳的完成、それが君子たるものの第一の資格である。
しかし、子路は無遠慮に反問する。
斯(か)クノ如キノミカ〈たったそれだけのことですか〉。
すると、孔子が答える。
己ヲ修メテ以テ人ヲ安ンズ。
「人」とは自分に近い範囲の人間、つまり家族隣人である。修養して、徳を身につけて、周囲の人に信頼されることだ。
だが、子路は満足しない。
「斯(か)クノ如キノミカ」と、もう一度、反問する。
これに対して、孔子の答えは峻烈である。
「己ヲ修メテ以テ百姓(ひゃくせい)ヲ安ンズルハ、堯舜スラ猶(なお)、
諸(これ)ニ病(なや)ミシモノヲ)」
「百姓(ひゃくせい)」とは「農民」の意味ではない。すべての人民である。つまり、為政者として、すべての人民を安定させる。それが君子すなわち、すぐれた人間の究極の任務である。そして、それは堯舜のようなすぐれた為政者でも困難なことであった、と付け加えている。
また、孔子は「鳥獣ハ与(とも)ニ群ヲ同ジクスベカラズ。吾(われ)、斯(こ)ノ人ト与(とも)ニスルニ非ズシテ、誰ト与ニセン」と教えている。
人間の愛情は人間の相手をもつことによってこそ成立する。その意味では、できるだけ多くの相手に愛情をふりそそぐ方法として、政治はたしかに有力な方法である。
上に立つ者は魅力がなくてはならない。魅力がなければ人はついてこないし、人がついてこなければ仕事はやれない。その魅力の基本が「修己治人」である。
阪急電鉄相談役の清水雅が「一人の力が他人の協力を得たとき、はじめて事業は成功する。そして、協力を得られるのは、鋭さではなくて人格の力である」といいきり、ドラッカーも「経営者がなさねばならぬ仕事は学ぶことができる。しかし、経営者が学び得ないが、どうしても身につけていなければならない資格が一つある。それは天才的な才能ではなくて、実にその人の品性である」と断言している。
しかし、「魅力とは何か」と開き直ってみると、「いわく、いい難し」と答えるほかはない。だが、「魅力がある」ということも厳然たる事実だし、「魅力がない」ということも厳然たる事実である。しかも、その魅力はつけ焼刃では絶対につかないことも厳然たる事実である。
ところが、この難しい「魅力」を明快に分析した学者がいる。
明末の碩学、呂新吾(ろしんご)で、その著『呻吟語』で次のように述べている。
深沈厚重(しんちんこうじゅう)ナルハ是レ第一等ノ資質。
磊落豪雄(らいらくごうゆう)ナルハ是レ第二等ノ資質。
聡明才弁(そうめいさいべん)ナルハ是レ第三等ノ資質。