電脳筆写『 心超臨界 』

つぎの目標を設定したり新しい夢を描くのに
年を取りすぎていることなどけっしてない
( C・S・ルイス )

小説の執筆は好きではないが、飽きることはない――村上 龍

2024-05-03 | 08-経済・企業・リーダーシップ
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「人間は、集中して夢中になっているときが、一番楽しいんじゃないかな。それが幸せだよね。子供が遊んでいるときの、あの無心な顔は素敵だものね。声をかけても聞こえない、自意識がない感じ。あれが幸せというものなんだね」。これは黒澤明監督のことば。そして映画を撮影するときの監督は、まさに遊んでいるときの子供そのものだったそうです。

村上龍さんは、才能というのは、その人間にペタッとくっついている特別なモノではなくて、「集中を持続させる」ことができる何かを見つけたか、見つけられなかったかの違いでしかない、といいます。そして寺田寅彦は、「集中を持続させる」コツについて次のように語っています。「興味があるからやるというよりは、やるから興味ができる場合がどうも多いようである」。


◆小説の執筆は好きではないが、飽きることはない

「人生を支えるのは仕事――集中力が持続する=好き」
( 2006.05.07 朝日新聞 朝日求人 「仕事力」村上 龍が語る仕事[4] )

《 「寝食を忘れる」という大原則 》

先日「カンブリア宮殿」という私のテレビ番組で、金属加工会社、岡野工業(株)の代表社員の岡野雅行さんに会いました。日本が世界に誇る職人さんです。岡野さんの工場は従業員6人の「零細企業」ですが、アメリカ空軍の戦闘機のパーツを始め、世界の誰もつくれない超精密製部品を作ってきました。つい最近では、痛くない極細注射針を数年がかりで開発したそうです。蚊の針と同じくらいの太さで、1型糖尿病など常時注射が必要な人が多大な恩恵を受けることになります。

夜中に跳び起きて工場にこもる、みたいなことは日常茶飯事だということでした。アイデアが浮かんだら、布団の中にいてもそれを試してみようとするわけです。アイデアから製品化まで数年かかることもざらだそうです。でも仕事場の岡野さんは、つらそうな様子はみじんもなく、とてもハッピーに見えました。

つまり、本当に好きな仕事、向いている仕事というのはそういうもので、集中力が持続する、その対象がはっきりあるということです。実は、私は小説の執筆を好きだと思ったことはありません。脳を酷使するので非常に面倒なのですが、決して飽きることはないし、書いているとき、また書き上げたときの充実感と達成感は、他では絶対に得られません。

執筆に夢中になると、つい寝食をわすれそうになるので、『半島を出よ』など大長編の場合はあえて自分に休憩を義務づけていました。そういうときに思うのは、誰でもこのくらい集中すれば何かできるのにな、ということです。

《 無力だが、無能ではないはず 》

あの人は特別な才能があるから、というようなことをよく言いますが、才能というのは、その人間にペタッとくっついている特別なモノではないんです。プレスや金型のことを考えているときの岡野さんや、小説を書いているときの私と同じくらい夢中になることが何かあって、「集中を持続させる」ことができれば、誰でもかなりのことができるのだと思います。要するに才能の問題ではなくて、向いている何かを見つけたか、見つけられなかったかの違いでしかないわけです。

多くの人が、「自分には特別な才能がなかった」というような自己弁解をして、充実感のない人生をごまかしているんだろうと思います。でもそれは違っていて、自分は結局、自分に向いた仕事と一生出合うことができなかった、ということではないでしょうか。人間にはだれでも無限の可能性があるとよく言われますが、それは自分に向いた仕事に出合えて、高いモチベーションとともに思う存分力を発揮できる場合に限られます。

しかしそうは言っても、特に若い人は無力間にさいなまれることも多いでしょう。若いということは無力とほとんど同義語です。自分は無力だと認めてそこから出発すればいいのですが、無能だと卑下するのは間違っています。高度成長の頃は失業も少なかったけれど、人はほとんど仕事を選べなかった。今はある程度仕事を選ぶことが可能です。選択することこそが自由の行使なので楽ではないですが、昔よりもはるかにチャンスは多いはずです。    (談)
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