植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:孔融

2010年10月31日 07時23分23秒 | ゲームシステム
所属:独立→(曹操)
年齢:47歳(200年の時)

 あの孔子の直系の子孫です。その家系から常に尊敬され、また若い頃から英明で博識、そして孝行で義理堅いと言う評判でした。
 そして朝廷に仕えると、北海国の相となり続いて青州刺史として黄巾の乱で荒れる山東地域を統治します。王修など有能な部下を推挙し、儒学の教布に努め、法網を整備するものの、近隣で袁紹が急速に勢力を拡大すると、袁紹の長子袁譚に攻められ、刺史の座を奪われてしまいます。
 その後、献帝の居る許昌に逃げ、そこで朝廷に仕えて太中大夫まで昇ります。そこで孔融は、孔子の子孫という家系と類まれなる文才によって、文人サロンの中心的存在となります。この文人としての評価は後に「建安の七子」の一人に挙げられます。

 しかし、当時の朝廷は曹操に牛耳られていました。この曹操との関係は最悪で、孔融はことあるごとに曹操の行うことに意見します。しかもかなり当てつけがましい屁理屈も多かったようで、それが原因で、208年曹操を誹謗中傷する発言をしたという罪で逮捕され、妻子ともども処刑されてしまいます。

 曹操と対立した理由は、献帝をないがしろにする曹操への反発とも、宦官と言う卑しい家系だった曹操を嫌ったとも、現実主義者な曹操と理想主義者だった孔融とでは元々肌が合わなかったとも、さまざまです。
 その能力は、かるーく袁譚にやられる事などから、統率1/武力1は堅いでしょう。政治は実行力がいまいちのところもあるので、本来は3かもしれませんが、孔融が発言すると政治的力を得るその発言力を加味して4としました。知力はまあ2程度で。
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