植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

イタリア統一 サルデーニャとヴェネチア

2007年12月10日 17時17分10秒 | 国:イタリア
 前回のヴェネチアの続きです。イタリア統一を成し遂げたのは、サルデーニャ王国です。何故、1000年も続いたヴェネチアではなく、サルデーニャだったのでしょうか?
 1つはイタリア統一運動(リソルジメント)が始まったのが、ナポレオン戦争後の1815年からとされ、そのときにはサルデーニャ王国はあっても、ヴェネチア共和国はウィーン会議によってオーストリア領に組み込まれてしまった為と言うのがその理由でしょう。
 では何故、サルデーニャ王国はナポレオン戦争を生き残り、ヴェネチア共和国は滅亡したのでしょうか? これはサルデーニャ王国はナポレオン戦争でも首都ニースをナポレオンに奪われながらも、国王はサルデーニャ島に非難し、王国が存続していたことと、フランス革命戦争に参戦していたことが同国の存続に繫がり、逆にヴェネチア共和国は、フランス革命戦争に参戦しておらず、また完全にナポレオンに占領されてしまったことにあると思います。
 さらに、では何故、サルデーニャ王国は参戦し、ヴェネチア共和国は参戦しなかったのでしょう? この確たる理由は定かではありませんが、サルデーニャ王国は、1701年-14年のスペイン継承戦争、1733年-35年のポーランド継承戦争、1740年-48年のオーストリア継承戦争に参加し、いづれも戦勝国となっております。
 一方、ヴェネチア共和国は18世紀には対外戦争をしておらず、17世紀末の第二次ウィーン包囲後のヨーロッパ諸国(教皇領・オーストリア・ヴェネチア・ポーランド)のオスマン・トルコとの戦争に参加し、1699年にダルマチアをオスマン・トルコから奪還したのが最後です。
 この18世紀が両国の差を招いたのではないでしょうか?

 また、ヴェネチア共和国は15・16世紀にヴェネト州に領土を広げて以降は、イタリアへの領土拡大は行っていません。上記のダルマチア取得以前にも、レパントの海戦でオスマン・トルコを破っていますが、望んだのはかつての領土だったキプロスでした。
 一方、サルデーニャ王国は、上記の3つの継承戦争ではいづれもイタリア半島の領土を狙っております。

 初めからイタリアへの覇権を狙っていたサルデーニャ王国と、地中海の交易路の確保に固執したヴェネチア共和国。この方針の違いが両国の存亡に繋がったのかもしれません。


 植民地戦争で、一時期ヴェネチア共和国を作ってみたことがあります。海軍での陸軍の乗員を可能としたり、かなり強引な宗主国でした。
 ヴェネチアを宗主国にするのはちょっと無理がありました……。(^^ゞ

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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ヴェネチアの限界 (オビケン)
2007-12-13 20:26:49
塩野七生さんはヴェネチア大好きなので色々と書かれていますが、その中でも「海の都の物語」でヴェネチアの体制についても言及されてますよね。
それを呼んだ限りの知識しかないのですが、ヴェネチアという国家は古代ギリシアのポリス国家と同じで国家の土台というか成立した国家のスタイルが領土国家ではなかったのでないでしょうか?
国家のスタイルといいましたが、ゲームである「戦士」や「魔法使い」のようなキャラクターのクラスのようなものが、会社や国家のような組織にもあると思うのです。
(このスタイルを決めるのは、国家の地勢や国民の資質なんかでしょうけど・・・)
ヴェネチア共和国という国家のスタイルが、本土に大きな領土を確保できるようなスタイルになってなかったためだと思います。
本土へ進出した後の経営の仕方なんかを見ても、ヴェネチア共和国がイタリアを支配するイメージがさっぱり浮かびませんし・・・
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Unknown (千夜)
2007-12-14 19:58:53
「海の都の物語」皆さん読んでいますねぇ~。私も試験が終わったら読もう。
国家のスタイル、つまり行政が国家を滅ぼしたとなると行政の下にいる一国民として不安に駆られますね。(^^ゞ

また、いろいろな記事でご意見をください!
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