植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

クロアチアの歴史

2006年05月25日 17時33分42秒 | 国:オスマン・イスラム
最近巷ではサッカーのW杯の話でもちきりです。サッカーを殆ど見ない私でもこの次期だけは気になります。というのも、親善試合でクロアチアが、オーストリアに勝ったなどと言うニュースが飛び込んでくると、クロアチアがオーストラリア領だった歴史を思い出さずにはいられません。やっぱり国対抗と言うだけで、国民の熱い思いや、国家の威信などが垣間見れ、興味が湧きます。

今日は、日本が2戦目に戦うクロアチアの歴史です。
クロアチアは、国土がnのような形をしており、東側の内陸部のクロアチア・スラボニアと、西側の海岸地方のダルマチアとで異なります。
まずクロアチア・スラボニアは、東ローマ帝国、フランク王国の支配を受けたあと、ヴラニミルが両勢力を牽制しつつ、879年に独立国家として認められます。しかし、東方よりマジャール人のハンガリーが建国すると次第にその勢力下におかれ、1102年にはハンガリー王がクロアチア・スラボニアの王も兼任するようになります(同君連合)。
その後、オスマン帝国の進出に伴い、一時ハンガリーと共にオスマン領になりますが、18世紀にはオーストリア・ハンガリーによって回復します。
一方、ダルマチアは、ハンガリーの支配を受けることなく、10世紀末にヴェネツィア共和国の植民地になります。その後、ナポレオン戦争後の1815年のウィーン会議においてオーストリア帝国直轄領になります。

その後は、第一次世界大戦でのオーストリア・ハンガリーが崩壊した為、セルビア王国の連合提案を受けいれて、セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に参加。これがユーゴスラビアの母体となったものの、セルビア人主導に反発し、幾度の紛争を起こした後、結局は独立国家となります。

クロアチアが4得点 オーストリアに快勝 (共同通信) - goo ニュース

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