ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ポリープその後、で病院を訪れ・・

2018-04-23 09:01:09 | 健康・病気
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・・・というわけで、ワイス博士のワークショップの話かと思いきや。
今日はまだそのお話しではありません。




先日、県立病院に咽頭ポリープがまた出来ていないか検査に行ってきました。
これは半年前にたまたま胃カメラをやったときに咽頭にポリープがあることが発見され、そこは内科だけの町医者だったので、県立病院に紹介状を書いてもらい、耳鼻科でかんたんな切除手術を受けたことがあったことにさかのぼります。
そのときに、
「こういうポリープが出来る人というのはできやすい体質なので、定期的にみていく必要があります。こちらで予約を入れて置くので、半年後にまた来て下さい。」
と言われたので、真面目にきちんと半年後のその日時に行った、ってわけです。



今度は仮にポリープが出来ていてもそれが悪性でないかとかそんな不安はまったくありませんでした。
っていうか、出来てないと思ってたしぃ。
そうしたら鼻からカメラを差し込んでさんざ見まわした医者がこう言うではありませんか。
「ハイ、おっけー、大丈夫です。半年前に切除した箇所に取り残しがないかどうかを見たんですが、きれいに取れていますし、新たなものも発見できません。」
(あ、取り残しがあるかどうかを見たかったんだ)
と思いましたが、ここまではいい。
次です。
「大体ポリープなんてね、自覚症状があって外来にいらっしゃるなんて方はまずいません。あなたのようにたまたま胃カメラをやったから発見された、って場合がほとんどですよ。だから今後も、胃カメラやったときにちょっと咽頭のあたりも見てもらって、万が一発見されたらまたおいでください。はい、以上です。」
「あの・・ 自覚症状がなくて、良性であったら、もし出来ていたとしてもそのまま放っておいたらどうなりますか?」
「どうもなりません。たまに自覚症状で声がかすれるようになった、おかしい、というのでいらっしゃる方がみえますが、もし、そのように声がかすれるのがイヤだったら、切除するってことですね。そのままにしておいても良性であれば何ら問題はありませんよ。ハイ、もう来なくていいです。」



・・・ならば、私は半年前になぜ切除したんだ?
そこにあってもなんの問題もないものであれば、別に私は切除するつもりはなかったぞ。
半年前のとき、わたしに「自覚症状があるか?」って聞いてくれなかったぞ。
「自覚症状がなくて、良性であれば別に切除しなくてもいいですよ」
ってなんで言ってくれなかったんだ!?
そして今回だって、「取り残しがあってはいけないから」おいで、という半年後検診だったのなら、来なかったわよ!
だって別に取り残しがあったとしたって、それ、どうってことないシロモノなんでしょう?
テキパキとして良い先生だと思っていたけれど、悪徳商法にひっかかったような気持ちになってしまいました。



もちろん、半年前のときにこちらからそれを1つずつ丁寧に質問していれば嘘を答えたということはないでしょう。
けれど、もうハナから「あればそれは切除する」って姿勢だったもんねぇ、1も2もなく。
切除そのものはなんにも痛くも辛くもなかったけど、10分間、ずーっと吸入器みたいなやつで喉に麻酔薬を当て続けていたときがちょっと大変だったわ~
「ポリープ、確かにありますけれど、良性で別に自覚症状も何もないのなら悪さするわけでもなんでもないですが、どうします? 切除します? 放置します?」
って聞いてくれていたら「放置する」を選択していたのに~
西洋医学っていうのはとにかく“異物は排除”が原則なのかしら。
なんだか釈然としないまま病院を後にしたのでした。



予約をしてあったけれども、それでも1時間待たされました。
ま、市民病院とか県立病院とかってそんなものだと思っているから本を一冊持って行って大して長い時間だとも思わずに済んだものの、それでも「予約時間はなんだったんだ。今、外来を訪れている人の順番のまんまなだけじゃないか」とは思いました。
そして耳鼻科の受付では私が待っているときに、1人の女の人が、
「あの、私の順番ってまだなんですか? もう4時間も待っているんですけど」
って言ってた方がいらして、内心(4時間・・・! それはいくらなんでも何かの間違いでは)と思いました。
女の人は、何かの病気の急変症状があったから来たのか、
「もう、辛い・・」
ってつぶやきました。
受付の人は「ちょっと確認します。ごめんなさいね。」と言いながらバタバタし、ほどなくしてその女の人は診察室に呼ばれましたから、私はまた(なんかカルテ回してなかったとか、病院側の間違いだったんじゃないのぉ)と勘繰ってしまいましたね。
私だったら「そこ、はっきりしてよ」ってすごむかもね。
ま、それはいいんですけれど、かように待たされることが当たり前の大病院。
放置すればよかっただけのことだったんだ、と思ったらこの待っていた1時間が無性にムダな気がして腹立たしくなってきました。



そしてふと最近DVDを借りてきて観た「第三の殺人」を思い出しました。
前に今年の「日本アカデミー賞授与式」をテレビ中継で見ていたときに、確かこの作品がいくつもアカデミー賞をとったので、見てみようと思っていたのでした。
役所浩司さん主演の重~い、暗~い作品です。
法廷サスペンスとかはこれまでにもありましたが、これは新しいジャンルの作品だなぁ、と思いました。
弁護士や検事の立ち回りの仕方によっていくらでも裁判の進行なんて変わってきちゃうんだな、って話。
さらにいえば、裁判官と検事、弁護士との間に司法取引のようなものがあって、いかに円滑に裁判を進めるか(これはひいては自分たちの点数のためと言い換えてもいいわけですが)を重要視するとこういうことになるわけだな、とわかりました。
現実にもこういうことによる冤罪とか多いだろうな、と思わせられました。
これもね、誘導尋問とまでいかなくても弁護士のいいなりになっていると思わぬ判決になっちゃうよ、って意味では囚人も真実だけではなく、賢くあらねば自分の身を守れないってことです。



あらすじも紹介せずにこんなこと言ってても見てない方にはなんのこっちゃさっぱりわからないでしょう。
1つだけ言うと、例えば裁判では「怨恨のほうが通りすがりの犯行より罪が軽い」らしいです。
それは「そんな恨みがあったのなら情状の余地もあるが、ただの快楽殺人では情状の余地がない」ということからもうそうなっているらしいです。
それは理解できないでもないですが、だからといって
「別にあの人に恨みがあったわけではありません」
と言っている犯人に弁護士が、
「ここは1つ、恨みがあったってことでいきましょう。いいですか。ちゃんと裁判ではそう答えて下さいよ」
と含みおく、というのはいかがなものかとも思いました。



ま、ちょっと映画と病院でのエピソードを力技でくっつけちゃいましたが、なんとなぁ~く後味の悪い思いをした日でした。