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ワイス博士のワークショップ シェア会
岐阜 5月19日(土) ヒーリングサロン「些々羅 」
「瞑想の会」にて
10:30~12:00
定員4名 参加費 1coin(\500)
岐阜は満席になりました。ありがとうございました。
名古屋 6月16日(土) 名駅近くのセミナールーム
※お問い合わせいただいた方に詳しい場所をお知らせします。
時間 13:00~15:00
終了後、近くのカフェでお茶会あり(自費参加)
定員6名 参加費 ¥1500
残席3名 ※岐阜の「瞑想の会」とは少々内容が変わります。
岐阜では瞑想をすることをメインとした場でお伝えするので、
シェアとしてはこちらの方が詳しくお伝えします。
終了後、お茶会行います。
参加ご希望の方はその旨もお伝えください。
とにかくシェアしたい!という私の気持ちが強烈なので、参加費は格安です。是非、ご参加を!
お問い合わせ・お申込みは、
chakra@aura-soma.name まで。
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<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>
*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*日々に感謝の気持ちが強くなります。
*人生における自分の選択に自信がもてるようになる
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*インスピレーションや直感が研ぎ澄まされます。
*目標が明確になります。
*他人が敷いたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩きだせるようになります。
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さて、ワイス博士のことを書いていたものですから、つい日にちが経ってしまいましたが、その間に「潜在意識活性メンタル育成講座」の5回目が行われました。
そこでまた私は色々な気付きを得たわけですが、こういう事でえてして大きな気付きを得るのは講座の内容そのものでなくて、講師の語ったエピソードであったりちょっと脇道へそれたときの話にほかなりません。
この日も、私がハッと気づいたことはそれでした。
いつも講師である不二子さんは、ご自身についてあまり語られることはないのですが、この日はなぜかワークを行い、参加者のシェアを聞いたそのあとに、時折、
「私はね・・ 以前にこういうことがあったの」
という話をされたことがありました。
そのなかで私が大きな気付きを得たというのは次の話です。
不二子さんは長男が生まれたあと、その息子さんが病気であることがわかりました。
その息子さんが就学の年齢となりいろいろと調べるうちに、そのためには息子さんをぜひともこの学校に通わせたい!という学校を見つけました。
けれど、その学校へ息子さんを通わせるためには家族が離れ離れに暮らさなくてはなりませんでした。
ちょうどおりしもそのときには長女が生まれたときでした。
不二子さんはまだ乳児である長女の世話をお母さまとご主人にまかせ、ご自身は息子さんをその学校へ通わせるためにそちらへ行きました。
何年も二重生活がつづき、経済的にも精神的にも大変だったと言います。
最後に不二子さんはこうおっしゃいました。
「だから、その長男から手が離れたあと、よし! 私はこれから後の人生は私の好きなことを思いっきりやる!と思ったんだよね。」
と。
なるほどなぁ、と子どもを育てたことのない私は特にこの話を衝撃的かつ新鮮に受け止めました。
大半の育児経験のあるママさんなら、大なり小なり、
「うんうん、わかる、わかる。子育てってほんと大変でそのことにかかりきりになる時期っていうのがあるから、そのときは本当に自分のやりたいことなんて出来ないものねぇ。」
とその感覚がご自身の皮膚感覚として沁みついていることでしょう。
けれど、私のように生まれてこのかた、誰に遠慮をすることもなく、常に自分の好きなことをやってこればよかったのだ、という多大な時間を与えられてきた者にとっては「妨げられた時間があるからこそ、これからの時間を大切にしたい」という感覚が新鮮だったのです。
さて、そんなとき、先日の「瞑想の会」で集まった皆さんとランチに行きました。
そこでお1人の方が、やはり
「今、子育て真っ最中でなかなか自分の時間がとれない」
というもどかしさ、やるせない気持ちを語られました。
「子どもたち自身も、子育ても好きなんですよ。だからそのことに不満があるわけではない。けれど、確実にそのせいで自分の時間がない、という状況ではある。
刻々と過ぎてゆく時間、わけもなく感じる焦燥。あ~ってため息が出る感じ。」
とおっしゃいました。
他の方もおおむねコクコクとうなずいて聞いてらっしゃいました。
そこで私はこう言いました。
「私は、ある意味、うらやましいよ。」
「えっ?」
こんな状況の何がうらやましいの? というその方は怪訝な顔をされました。
そこで私は「潜在意識活性メンタル育成講座」のときに感じた話をして、
「今もお話しを聞いて同じだなぁ、と思ったの。“何か”のために奪われた時間があるからこそ、その後『よし! これからは思い切り自分の好きなことをしよう!』と思うエネルギーにはきっと子育てを経験してきていない私には計り知れないものがあるよね。いつでも好きなことに取り組めた、という私の人生はそれはそれで時間をムダにしてしまったなぁ、と思うことも多いよ。」
と言いました。
彼女は彼女で、へぇ、そんな感じ方もあるんだぁ、という顔をされてらっしゃいました。
この場合、子育てそのものよりも、
「自分の希望だけではどうしようもなくそのことに費やさなければならない時間があると、自分のやりたいことに対する思い、いざそれに取り組める時間が出来たときの集中力は並大抵ではないだろう。やり遂げる意志も強いものとなるだろう。」
ということです。
私にはそういうものはなかった。
常に「やりたいこと」があれば、それに取り組めばいい状況下にあった。
だからこそ、なかなか「やりたいこと」が見つからないもどかしい思いを抱えてきた。
それも今では懐かしいことであり、私にはそういう時間やそのなかで気付くことが必要だったんだなぁ、と思えるし、「だったら子育てしてみたかった?」と言われたら、ぶるんぶるんと大きく首を横に振らざるを得ませんから、なおさらのこと、これで良かった、と思いますが、つくづく人間という生き物はあれもこれも得ることはできないし、そんな中で他人の人生をうらやましいと妬んだりする生き物なんだなぁ、と思いました。
たとえば、
「あ~ぁ、こんなにあくせくと働かなくてはいけない人生ではなくて、な~んにもしなくてもお金がたんまりとある人生が良かったなぁ。」
と思う人がいたとします。
かたや、
「あ~ぁ、お金だけは働かなくてもたんまりとあるけれど、ではこれを活き金として使うには私は何をしたらいいのだろう?と考えてもわからない。わからないから毎日憂さ晴らしのように高額の買い物をしたり、ただやみくもに旅行にいったりしているけれど、それが楽しいわけでもなんでもない。」
という人がいて、どちらの人生が良いかと言われたって、どちらもそれなりに悩みもあるし、その中で楽しいこともあるだろう、と言うしかない、って感じですよね。
自分の人生は自分でしか経験できないけれど、せめて豊かな感性をもっていれば、他人の人生から「もし、それが自分だったら・・?」とまざまざとイメージしてみて、そこから学びを得るということは出来そうです。
単に羨ましいと思うだけで終わらせずにそうやって生きなければもったいないな、と思ったことでした。
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岐阜 5月19日(土) ヒーリングサロン「些々羅 」
「瞑想の会」にて
10:30~12:00
定員4名 参加費 1coin(\500)
岐阜は満席になりました。ありがとうございました。
名古屋 6月16日(土) 名駅近くのセミナールーム
※お問い合わせいただいた方に詳しい場所をお知らせします。
時間 13:00~15:00
終了後、近くのカフェでお茶会あり(自費参加)
定員6名 参加費 ¥1500
残席3名 ※岐阜の「瞑想の会」とは少々内容が変わります。
岐阜では瞑想をすることをメインとした場でお伝えするので、
シェアとしてはこちらの方が詳しくお伝えします。
終了後、お茶会行います。
参加ご希望の方はその旨もお伝えください。
とにかくシェアしたい!という私の気持ちが強烈なので、参加費は格安です。是非、ご参加を!
お問い合わせ・お申込みは、
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*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*日々に感謝の気持ちが強くなります。
*人生における自分の選択に自信がもてるようになる
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*インスピレーションや直感が研ぎ澄まされます。
*目標が明確になります。
*他人が敷いたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩きだせるようになります。
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さて、ワイス博士のことを書いていたものですから、つい日にちが経ってしまいましたが、その間に「潜在意識活性メンタル育成講座」の5回目が行われました。
そこでまた私は色々な気付きを得たわけですが、こういう事でえてして大きな気付きを得るのは講座の内容そのものでなくて、講師の語ったエピソードであったりちょっと脇道へそれたときの話にほかなりません。
この日も、私がハッと気づいたことはそれでした。
いつも講師である不二子さんは、ご自身についてあまり語られることはないのですが、この日はなぜかワークを行い、参加者のシェアを聞いたそのあとに、時折、
「私はね・・ 以前にこういうことがあったの」
という話をされたことがありました。
そのなかで私が大きな気付きを得たというのは次の話です。
不二子さんは長男が生まれたあと、その息子さんが病気であることがわかりました。
その息子さんが就学の年齢となりいろいろと調べるうちに、そのためには息子さんをぜひともこの学校に通わせたい!という学校を見つけました。
けれど、その学校へ息子さんを通わせるためには家族が離れ離れに暮らさなくてはなりませんでした。
ちょうどおりしもそのときには長女が生まれたときでした。
不二子さんはまだ乳児である長女の世話をお母さまとご主人にまかせ、ご自身は息子さんをその学校へ通わせるためにそちらへ行きました。
何年も二重生活がつづき、経済的にも精神的にも大変だったと言います。
最後に不二子さんはこうおっしゃいました。
「だから、その長男から手が離れたあと、よし! 私はこれから後の人生は私の好きなことを思いっきりやる!と思ったんだよね。」
と。
なるほどなぁ、と子どもを育てたことのない私は特にこの話を衝撃的かつ新鮮に受け止めました。
大半の育児経験のあるママさんなら、大なり小なり、
「うんうん、わかる、わかる。子育てってほんと大変でそのことにかかりきりになる時期っていうのがあるから、そのときは本当に自分のやりたいことなんて出来ないものねぇ。」
とその感覚がご自身の皮膚感覚として沁みついていることでしょう。
けれど、私のように生まれてこのかた、誰に遠慮をすることもなく、常に自分の好きなことをやってこればよかったのだ、という多大な時間を与えられてきた者にとっては「妨げられた時間があるからこそ、これからの時間を大切にしたい」という感覚が新鮮だったのです。
さて、そんなとき、先日の「瞑想の会」で集まった皆さんとランチに行きました。
そこでお1人の方が、やはり
「今、子育て真っ最中でなかなか自分の時間がとれない」
というもどかしさ、やるせない気持ちを語られました。
「子どもたち自身も、子育ても好きなんですよ。だからそのことに不満があるわけではない。けれど、確実にそのせいで自分の時間がない、という状況ではある。
刻々と過ぎてゆく時間、わけもなく感じる焦燥。あ~ってため息が出る感じ。」
とおっしゃいました。
他の方もおおむねコクコクとうなずいて聞いてらっしゃいました。
そこで私はこう言いました。
「私は、ある意味、うらやましいよ。」
「えっ?」
こんな状況の何がうらやましいの? というその方は怪訝な顔をされました。
そこで私は「潜在意識活性メンタル育成講座」のときに感じた話をして、
「今もお話しを聞いて同じだなぁ、と思ったの。“何か”のために奪われた時間があるからこそ、その後『よし! これからは思い切り自分の好きなことをしよう!』と思うエネルギーにはきっと子育てを経験してきていない私には計り知れないものがあるよね。いつでも好きなことに取り組めた、という私の人生はそれはそれで時間をムダにしてしまったなぁ、と思うことも多いよ。」
と言いました。
彼女は彼女で、へぇ、そんな感じ方もあるんだぁ、という顔をされてらっしゃいました。
この場合、子育てそのものよりも、
「自分の希望だけではどうしようもなくそのことに費やさなければならない時間があると、自分のやりたいことに対する思い、いざそれに取り組める時間が出来たときの集中力は並大抵ではないだろう。やり遂げる意志も強いものとなるだろう。」
ということです。
私にはそういうものはなかった。
常に「やりたいこと」があれば、それに取り組めばいい状況下にあった。
だからこそ、なかなか「やりたいこと」が見つからないもどかしい思いを抱えてきた。
それも今では懐かしいことであり、私にはそういう時間やそのなかで気付くことが必要だったんだなぁ、と思えるし、「だったら子育てしてみたかった?」と言われたら、ぶるんぶるんと大きく首を横に振らざるを得ませんから、なおさらのこと、これで良かった、と思いますが、つくづく人間という生き物はあれもこれも得ることはできないし、そんな中で他人の人生をうらやましいと妬んだりする生き物なんだなぁ、と思いました。
たとえば、
「あ~ぁ、こんなにあくせくと働かなくてはいけない人生ではなくて、な~んにもしなくてもお金がたんまりとある人生が良かったなぁ。」
と思う人がいたとします。
かたや、
「あ~ぁ、お金だけは働かなくてもたんまりとあるけれど、ではこれを活き金として使うには私は何をしたらいいのだろう?と考えてもわからない。わからないから毎日憂さ晴らしのように高額の買い物をしたり、ただやみくもに旅行にいったりしているけれど、それが楽しいわけでもなんでもない。」
という人がいて、どちらの人生が良いかと言われたって、どちらもそれなりに悩みもあるし、その中で楽しいこともあるだろう、と言うしかない、って感じですよね。
自分の人生は自分でしか経験できないけれど、せめて豊かな感性をもっていれば、他人の人生から「もし、それが自分だったら・・?」とまざまざとイメージしてみて、そこから学びを得るということは出来そうです。
単に羨ましいと思うだけで終わらせずにそうやって生きなければもったいないな、と思ったことでした。
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