ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

三重県で手羽を食べて思ったこと

2018-05-12 08:28:02 | 旬のグルメな日帰り旅行
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 new!

“「This is Me!」と言える人生のために、「This is you!」と言ってあげよう!”


 胸を張って、人の前で「これが私よ!」って言ってみませんか?
 勇気を振り絞って言ってみませんか?
 それを自分じゃなくて、人が発表してくれるって言ったらどう思いますか?
 自分の人生をインタビューされて、
 ほかの人の人生をインタビューして、
 そして、それを物語にする・・・
 絵にする・・・
 そして発表する。
 そんなシンプルなことです。
 でも、めちゃくちゃ感動すると思います。

 7月24日(火)  10:30~ 17:00 (終了時間は前後する可能性あり)
 
 場所:ヒーリングサロン「些々羅」 at 岐阜市役所近く

 参加費: ¥10000(税込)
      
 お問い合わせ・お申込みは、 chakra@aura-soma.name 些羅 えつこ まで お気軽にどうぞ

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  太陽の自分エクササイズ」 発信!

あなたがホンモノの輝く人生を手に入れたいと強く願うなら、
「This is Me」と言える唯一無二の太陽のような存在になろう。

概要はこちらをご覧ください
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ワイス博士のワークショップ シェア会
  岐阜 5月19日(土) ヒーリングサロン「些々羅 」
      「瞑想の会」にて
  10:30~12:00
   定員4名 参加費 1coin(\500)
   増席します。2名様

 名古屋 6月16日(土) 名駅近くのセミナールーム
            ※お問い合わせいただいた方に詳しい場所をお知らせします。
     時間 13:00~15:00
            終了後、近くのカフェでお茶会あり(自費参加)

定員6名 参加費  ¥1500
   こちら定員オーバーとなりました。ありがとうございました。定員を増席します。残り2名様      
   ※岐阜の「瞑想の会」とは少々内容が変わります。
             岐阜では瞑想をすることをメインとした場でお伝えするので、
             シェアとしてはこちらの方が詳しくお伝えします。
  終了後、お茶会行います。
  参加ご希望の方はその旨もお伝えください。

  とにかくシェアしたい!という私の気持ちが強烈なので、参加費は格安です。是非、ご参加を!

お問い合わせ・お申込みは、
  chakra@aura-soma.name   まで。

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*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。



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*インスピレーションや直感が研ぎ澄まされます。



*目標が明確になります。



*他人が敷いたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩きだせるようになります。

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先日、三重県の湯の山温泉まで日帰り入浴に行ってきました。
途中、菰野で鶏の手羽先のから揚げをお昼に食しました。
このあたりはなぜか昔から手羽のから揚げが名物のようで、隠れた名店(? 隠れてないかも・・)があちこちにあったりします。
通常、「手羽」というと、「世界の山ちゃん」や「風来坊」で有名な名古屋飯の手羽を思い浮かべますよね。
あのL字の形じゃなくて、手羽といっても、若くて小さ目な鶏の半身、って感じなんです。
胸のあたりまでぐわっとついてる。
だから結構なボリューム!
もうお箸なんかで食べてられない。
手でむしりながら、人間でいうとアバラ骨にあたる小さな骨をより分けながら完食いたしました。



そこで、ダーリンのお皿に残ったきれいな骨を見て感心しました。
(この人、魚にしても肉にしても、絶対に食べられない骨をほんの少し残すだけで実にきれいに食べるなぁ)と。
そしてふっとその瞬間、
(そういえば、父はその逆で食べ方がへたくそで、それをいつも母に注意されていたなぁ・・・)
と、父が亡くなったのはまだ去年の8月で1年も経っていないのに、妙に懐かしく思い出しました。
魚嫌いということもあるだろうけれど、魚好きな人が見たらアタマが怒りで沸騰しちゃうくらいの食べ方でした。
それは「食べた」というより、カラスが「つついた」という程度の食べ方。
「こんな勿体ない食べ方! この魚もこれじゃ成仏できやしない!」
っていうシロモノでした。
でもねぇ、良い大人に箸の使い方や食べ方のことで注意したって今更直るもんじゃないですよ。
父もどんなに母に、
「なに、お父さん、それ! もったいない食べ方。まだ食べられるじゃない」
と言われても
「いいいい。もういい!」
とうるさそうに言っていました。



しかし過干渉な母はそれでは終わらない。
父の皿に手を伸ばし、
「ほらぁ、ほらぁ、ここ、ここ。まだこんなに身がむしれる」
と言って身と骨を分けてあげるのです。
これはいくらなんでもやりすぎだろ・・・
幼児を育ててるんじゃないんだから。
白髪の大の大人に向かって、
「ほらほら、ここも食べれるよ」
もないもんだ。
見ているこっちのほうが恥ずかしくなる。
だから出先の外食でこれをやるとさすがに父も怒って、
「いいったらいい! そんなことしたって俺は食わんぞ」
と憮然としていました。
当たり前じゃない。
どうしてこんなにも人の気持ちがわからないんだろう、と私まで一緒になって憮然としていました。
考えてみりゃわかるだろ、いい年をした夫婦の片割れに
「ほらほら、ここ、まだ食べれるよ」
と身をむしってもらって食べるもう片割れ、ってそんなもん、恥かしいに決まってるじゃないか。
なのに母は父が
「いいったらいい!」
と怒ると口をぽかんとあけ、何をこの人は急に怒り出したんだろう? 心底わからない、という顔をしていました。
それを見て、
(わからなかったならわからなかったで、アンタのアタマのなかにはそういう事は恥ずかしくない、として存在してたならそれはいい。けれど、今、学んだだろ。だったら次からはやるなよ)
と思うのに、毎回、同じことをやる。
あの学習能力のなさ、あのくどさにほんとに見ているこちらも辟易としました。
母はいったいある日突然、父が
「おぉ、そうか。むしってくれたか。どれどれ、ほんとだ。これなら食べられるな」
とにこにこして母がむしった身をおいしそうに食べる日がやってくると信じていたのだろうか?



たぶん、母にそれを注意したとしたら
「だって、言わずにはいられないんだもの。」
と言うことだろう。
勿体ないから見ていて歯がゆくて仕方がないから、言わずにはおれない。
相手の反応がかんばしくない、とわかっていても言わずにはおれない。
そして案の定、相手は思った通りそれを有り難がるわけでなく「そんなことしてくれるな!」と言い、しても食べない。
その先がわかっていても言わずにはおれない、って何なんだろう?
結果が読めないなら、とりあえず言ってみる、というのもわかる。
しかし、毎回父は「いいってば!」と怒るだけ。
それでも言わずにはおれない、ってもうエゴ以外の何ものでもないではないか。
そして母は想像どおりの父の反応ではあっても、「言わずにおれなかった」自分が、その通りに「言った」のだから、それで満足なのだろうか・・?
いまだにわからない。
言って、お互いに気分が悪くなってもそれでも「言わずにおれない」ってことがあるんだろうか?



でも、私も考えてみれば同じだなぁ、と思う。
いや、母とは逆の意味で。
この前のGWの娘と孫に付き合って伊勢に行く、行かないのときもそうだ。
ダーリンがあれだけ誘ってそれを断る断り方について、私は最後までやんわりと
「だって、渋滞に弱いから」
で通しました。
ホントウは、「もう自分を抑えてまで、娘や孫に付き合うつもりは金輪際ない」なんだけれど。
でも、それを言ったら2度と誘っては来なくなるかもしれないけれど、ものすごく険悪な雰囲気になることがわかっているので、最後まで私は粘り強く、エネルギーを使ってカドが立たない断り方を貫きました。
これだって、「言わないエゴ」じゃないのか?
ダーリンの機嫌をそこねたくない、という私のエゴじゃないのか?
言うもエゴ、言わないもエゴ。
結局、“相手のため”という顔をして、実は自分がそうしたくないだけ、そうしたいだけ、ということをやっているのは全部エゴなんだろうな、と思いました。



「おい、食べたならもう行こうか」
とダーリンの声にハッとして、妄想を食い止めました。
今頃父は天国で、好きなような食べ方で、誰からもとがめられないことを楽しんでいるんだろうか・・?
それとも母がいつも横やりをいれてきたことを懐かしく思い、「怒ったけれど、そうやってむしってほしいな」なんて後悔してるんだろうか?
ほんのしばしのことでしたが、懐かしく父を思い出し、私たちは猫もまたぐほどきれいに食べた皿を後に手羽先屋を後にしたのでした。





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