ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

国民の心がひとつになることがない時代

2019-05-02 09:01:22 | テレビ番組
    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


*********************************************








新元号元年「令和」誕生で、連日おめでとう!ムードのなか、いきなり暗いタイトルですみません。
1週間ほど前のことですが「奇跡体験! アンビリーバボー」を見ていたら、少年向けの科学雑誌をいかに発行部数を増やすかに苦慮した企業戦士たちの話をやっていました。
話はまるで今はやりの池井戸潤さんがなぜこれを題材にしないか、というような胸のすくものです。(いや、しないよね・・ 銀行とか全然関係してこないし)
出版社の名前は「学習研究社」。
通称「学研」です。
雑誌の名前はたしか「かがくとがくしゅう」だったと記憶しているんですが、さだかではありません。
私もダーリンも、この月刊誌の付録が楽しみで、毎月買っていたので、思わず、
「懐かしい!」
と見入ってしまいました。
「あぁ、この付録、あった、あった!」とか
「これは楽しかったよね」「これはチャチかったね、つまらなかった」
などと言い合いながら。



今からおよそ60年前の当時、科学雑誌はお堅い編集で、編集に寄与してもらっている学識者の意見を取り入れながら作るそれは、まるで教科書に対しての参考書、というような風体でした。
しかし、新しくやってきた編集長はそんなものでは子どもたちが喜んで読んでくれるわけがない! と一大改革を決心します。
しかし、部下たちはついてきません。
部下たちもまた、辞書のようなお堅い出版物をつくるのが好きでこの会社に入ってきた、という人たちばかりだったのです。
それでも編集長は孤軍奮闘します。
「もっとマンガとかイラストを入れても構わないんだぞ!」
「ただたくさんの種類を羅列して載せたってかえって読まれない。1つずつ、キャッチ―なフレーズとともに紹介していくんだ」



しかし、それでもその雑誌は売れませんでした。
そんなとき編集長は「これだ!」というものを思いつきます。
それが当時では画期的だった、「付録付雑誌」だったのです。
これが大当たりで追加注文に次ぐ、追加。
この科学雑誌は2010年にその役目を終えるまで子どもたちに夢と希望を与えましたとさ、というお話です。



この話のなかに感動ポイントはいくつもありました。
サラリーマンで社内でさえ賛成者がいないなかで自分がこうと決めたことは貫く情熱。
そりゃ当たり前のこれまでやってきたことを踏襲しているだけのほうがラクですし、給料変わるわけじゃありませんから、わざわざ自ら苦労を買って出たり、社内で反感買う必要はないわけです。
最初の関門はコストでした。
雑誌そのものの値段をあげずに、どうやって豪華な付録の値段をひねり出せるのか・・?
ヒントは駄菓子屋でした。
確かに駄菓子屋にはお菓子に限らず、子どもたちがそのあたりの路地で遊ぶためのおもちゃなど魅力的なものがいっぱいありました。
今から思えばまさに“子供だまし”とはこういうものか、というつくりはちゃちなものでしたが、子どもがその遊びに厭きる速度とそのおもちゃのつくりがさほどもたずに壊れてしまう速度がちょうどピッタリと合っていたような気がします。
駄菓子屋に商品を卸している業者さんを何軒も紹介してもらい、なんとか付録の製品は予算内で収められるメドがつきました。



次は物流でした。
当時はモノを運ぶ、というのは鉄道がその役割を負っていて、今のようにトラックはありませんでした。(いや、トラックという車はありましたが、物流のために使われてはいませんでした)
そして国鉄に預けてモノを運んでもらう、というには厳しい規定がありました。
本だったら厚み何センチまで、とか。
ただでさえ学研は国鉄と何度も何度も交渉を重ね、ようやく自社の雑誌を取り扱ってもらえるようになったのに、またさらにそんな付録をつけた雑誌をOKしてくれなんて無理なお願いをして、国鉄の機嫌を損ねられたら(圧倒的に国鉄のほうが強い立場だったのですね。なにせ当時は国営ですからね)ヘタしたら、これまでの他の雑誌さえ取引中止になってしまうかもしれない、と学研の物流担当の役員は編集長を怒鳴りつけます。
しかしそのとき、編集長はこう言うのです。
「戦争ですべての希望を失った日本国民ですが、その負債を子どもたちにまで負わせていいんですか! これからの日本を作るのは子どもたちです。その子どもたちが宇宙飛行士になりたい、科学研究者になりたい、という夢の道筋を大人がつくってやらなくてどうするんですか!」と。(セリフそのものはこんなような意味のことを言った、という私の創作)
これに打たれた役員は、「よし、わかった! 全力をつくそう」と知恵を絞った結果、当時としては画期的だった「トラックを物流に使う」という方法を思いついたのでした。
こうしていくつもの社内での試練も乗り越え、付録付の雑誌は発刊にこぎつけ、そして全国の子どもたちに大ウケしたのでした。(そのひとり)



私が今回感動し、そして考えさせられたのはこの“子供たちのために”というフレーズです。
すべての人たちがこの大義名分を囁かれるとまるで魔法にかかったように「よっしゃ、わかった! そういうことならひと肌脱ごう」と言います。
最初は批判的だった部下たちも「3年ぶんのプランを明日の朝までにもってこい」と他部署から言われても「学習指導要綱を知っているのは俺たちだけなんだから」と力を合わせて踏ん張ります。
先述した物流担当の役員しかり、商品管理の役員しかり、社長しかり。
ただでさえ安い値段でたたかれている付録のための駄菓子屋の問屋さんたちも
「子どもたちのためならタダでもいいよ。そこにあるもの、全部もっていけ」
と太っ腹でした。



次代を担う子供たち、というのはいつの時代でも大切な存在には違いありませんが、敗戦を味わった今から60年ほど前のポスト・ウォーと言われた戦後まもない日本では特にそうだったのでしょう。
子どもそのものが日本国民の夢。
彼らに頑張ってもらわないことには、そして大人は彼らのための教育を大切にしないことにはもう日本はここから浮上できないかもしれない、という背水の陣のような気持ちになっていたのでしょう。
その気持ちがひとつになっていた。



当時の大人たちにそうして「教育ほど大切なものはない」と育てられた世代が今の私たちの世代です。
しかし残念ながら私個人のことでいえば、そんなにも教育が大切なものであった、と自覚はして育ちませんでした。
「教育」なんて、当たり前のようにそこにあるもの。
まさに子どもとしての「義務」として受けていただけで、ありがたい、とも何とも思っちゃいませんでした。
親に「これ、勉強に必要だから」と言えば、なんでも買ってもらえる道具、ぐらいにしか教育のことを思っていませんでした。
そしてそんな私たちが味わった高度成長時代とは、「多様化社会」でした。
「3高」(高身長、高学歴、高収入)ばかりが人生じゃないよ、大学出たって勤めたくなければ好きにしていればいいよ、というフリーターが溢れ、外国へ行って「なんでも見てやろう」という小田実の本がベストセラーになり、モラトリアムと言われる人々があらわれ、それが今の大人の発達障害や引きこもりなどに連綿とつながっていっているような気もします。
要は「いろいろな人がいていいよ。いろいろな人生の楽しみ方があってもいいよ」と言いながらも、他人と自分を比較することだけはやめないので、大方から自分がこぼれていくときにどうしようもない寂しさや不安だけは残ってしまう。
これでは「多様化社会」を楽しんでいるなんて言えたものじゃない。
「3高」がなにさ、とうそぶいていた自分を反省したって後の祭り。



そして「精神性」が大切だ、やれアセンションだ、魂だ、といったところで、結局、みんな、何を目指しているの?
何を目指していたって人それぞれでいいんだけれど、そもそも「何か」を目指しているの?
この問いに明快に答えられる人は意外に少ないんじゃないか、と思います。
日本中がそんな状態だから、そりゃこの当時のようにみんなが心を一つに合わせて、何かを成し遂げられるなんてことはないよね、と思ってしまいます。
じゃあ、と言ってよく登場するのが「英雄待望論」。
信長のように「こうなんだ! これでいいんじゃ! ワシの言ってることが正しいんじゃあ~!」という強烈なキャラクターを持った人物が出てくればいいのに、という論旨。
これも違うと思うんです。
そりゃ確かに強烈なリーダーシップを発揮する人間が出てくれば、その人の向かう先が本当に正しいのかどうかは別として、多くの人はその熱意に引きずられてしまうでしょう。(わかっていながら引きずられる、っていうのもこれまたある種快感だしね)
でも、自分が何を目指していいのかわからないから、どれ、ひとつこの人に乗っかってみてやろうか、というのは違うと思う。



日本中が壊滅か、というメにあって「復興しよう!」という気概が高まることほど国民がひとつにまとまることはないでしょう。
今でいったら、東日本大震災でしょうか・・
でも、それでさえ、大きな大きな災害だったとはいえ、どこか東北や関東以外の人間は他人事のようなところがあるような気がします。
それは現代のSNSの発達によってすぐに誰とでも「繋がれる」利点があるとともに、逆に「繋がらない」自由もあるからだ、と思います。
そもそも災害で人々の心がひとつになることが良い方法だ、とは決して言えませんけれどね・・(本末転倒だ、という意味で。人々の心がひとつになる方法がみんなが同様に傷つくことだ、なんてのはあまりにも寂しいことじゃありませんか)
ただ、この番組を見て私自身がこの雑誌のお世話になったから妙に感傷的になりすぎてるんじゃないのか、という気もしないではないですが、
「次代の子どもたちのために!」
という合言葉と同等レベルのものが現代にはないことが寂しいことだ、致命的なことだ、という気がしたのも事実です。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿