ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

宝石を売りに

2014-07-09 09:09:00 | 身辺雑事

 

なんでもできる限り“今”の私に必要でないものは手放したくなっている私は、先日、これまでに買ったジュエリーの大半を売りに行ってまいりました。



10年、20年前くらいのときの私の方が、「宝石も少しは持っていたほうが大人の女性としてカッコいいのかも・・」「たしなみかも」とか思っていたみたいです。

 

だからまさか自分がこうしてそれらを売りに行くとは思ってもおらず、宝石だろうが金だろうがそれを「財産」と思っていたわけではなく、あくまで「自分の身を飾り、しゃんとした気構えにさせるための道具」だと思っていたので、鑑定書なんかくれるっていうからまぁもらっとくけどこれがどこかで効力を発揮するときなんてくるわけがないわ、とタカをくくっていました。

 

けれど、今人生を折り返し地点を過ぎるほど生きて思うのは、「宝石なんて私には1つもいらないな。」ということです。

 

デザインが古くなったと思ったらリフォームすればいいんだからやっぱり大粒のものを買っておくといいわよ、なんて言われたときもありましたが、そんなことをしてつくりかえたって、なんだかそのモノをもういらないと思った念がこもっていそうでいやなんだよね。

 




いま巷には、「金・貴金属買い取り」をうたっているお店がとても多いですよね。

 

私が今回、数軒回った限りのことを言わせてもらいますと、「金」は18金なのか24金なのかの査定とそれに応じたグラム数をはかるだけのことなので、どこのお店に行っても同じ値段をつけられると思います。

 

その際にそのジュエリーのブランド力とか、流行のデザインであるとかはほぼまったく加味されることはありません。

 

そしてそういうところで、ダイヤやルビーなどの宝石も売ろうとするととんでもないことになります。

 

ほぼ宝石の価値は無。

 

地金のプラチナのグラム数だけで判断されるのみといっても過言ではない。

 




それは、看板に大きな石のついた指輪をかかげていたり、「金・宝石・貴金属・・」というようにちゃんとネーミングにも「宝石」と入っているところでもほぼ同様です。

 

あの看板は嘘だ、といっても過言ではない!

 

だから宝石はプロのいる宝石だけ別の「宝石専門買い取り」店へ行ったほうが絶対にいいですよ。

 

これが老婆心ながら今回私が数軒回ってわかったことです。



私は最後にその「宝石買取専門」のお店に行きました。

 

ダイヤのネックレスと指輪、ピンクトルマリンのネックレスを持って行ったんですが、それらを見て、

 

「どちらで買われたんですか?」と尋ねられました。

 

ま、別にそれが重要な査定に影響を及ぼすってことではないみたいでしたが、世間話として聞かれた、って感じです。

 

そこで私があるジュエリーブランドの展示会とある化粧品会社の展示会だ、と告げるとその方は非常に驚き、

 

「ええっ! 展示会なんかで買われたんですか? あんな高くつくものはないですよ。

 

ああいうものっていかにもお値打ちのように見せかけていますけれど、どこよりも高いですからね。

 

普段のお店で買ったほうがましですよ。」

 

と言いました。



そう言われて私はハタと気付きました。

 

私はたまたま知り合いだった人にどうしても来て、と言われて顔だけ出すつもりでそれらの展示会に行き、結局買わされる羽目になってしまったんですよね~

 

考えてみれば私は、自分の意志で「宝石がほしい。よし、あの店とあの店を見比べて決めるぞ。」ということで出かけて買ったものは1つもないんです。

 

はは。そういうことか~

 

私が宝石を売りたくなるのも当たり前なわけだ。

 

1つも自分の意志で買って良かった~と思っているものがないんだから。

 

なぜか知らないうちに買うことになってしまった。

 

なぜか知らないうちに持つことになってしまった。

 

そういうものは何かしっくりこないから、ついタンスの奥にしまいこんでしまって全然身につけない。

 

だから売ろうか、ってことにもなるってもんだ。



オーラソーマジュエリーは、自分の内側に光が入るように設計されているから一般のジュエリーとはちょいと一線を画すカッティングやデザインになっていて、それはそれでいいと思うけれども、私はどうしても人工的に手を加えられすぎた感のある「宝石」というクラスの石にさして興味がわかない。

 

レムリアンシードクリスタルとかは好きなんですけれどね~

 

宝石は究極のクリスタルだ、という捉え方もあるだろうけれど、ああいった何十万、何百万というお値段のつくものの値付けのからくりがわからないものには手を出したくない、というのが本音です。

 

宝石買取店の方もおっしゃっていましたが、金と違って宝石なんてたとえば1カラットのダイヤが使ってあるとか言ったって値付けはどうにでもなるものらしいですからね。

 

最近では百貨店の値段だって信用できない、って言ってましたよ。

 

「もし百万というお金を出す気があるなら、ハリー・ウィンストンでダイヤ買ったほうがいいですよ。

 

それなら買った値段の6割で引き取れますからね。」

 

ですって。

 

おそるべし、ハリー・ウィンストンの権威。



モノを処分するとたいてい元の値の10分の1になる程度だ、と覚悟しておけ、と言うじゃないですか。

 

で、「展示会で買われたジュエリーとかはそれどころか20分の1とか30分の1ってレベルですよ。もともとが高い値段がついてますからね。」

 

と言われたので、覚悟の上に覚悟をしておりましたら、なんとある1つのものなんて買ったときの値段の4分の1で引き取ってくれました。

 

それは絶対に「宝石専門買い取り店」ではなくてはありえない値段なので、絶対専門店に行くべきです!(・・ってくどいか。)

 

でもまぁ、全部をトータルすると2割~3割ってとこかって感じでしたけれど。

 

でも1割ってことはないですね。

 

それでも持っていたものを手放すだけでいきなり何十万というお金を手にしてしまったので、なんだか気分がウキウキしてきてしまいました。



それは大いなる錯覚だっちゅーの。

 

もともと自分が使ったお金のほんの一部しか戻ってこなかったと思ってがっかりしなくちゃいけないんじゃないのか、と思うんですが、どーも私は頭がトロイのか、不労所得で儲けたような気分になっちゃいましてね。

 

これは恐いですね~

 

自分でどうしようもなく気分が高揚するのを抑えられませんの。

 

たかが何十万のお金を手にしてそうなるんですから、1億円とか3億円とかの宝くじが当たった人の人生が変わる、ってわかる気がするわ。

 

それは頭で考えてもどーしようもないんでしょうねぇ。

 

実際にそれだけのお金を手にして初めて湧き上がる感情というものがあり、それはもう自分でコントロールできかねる部分があるんでしょうね。

 

たかがお金、されどお金。

 

お金に振り回されるなんて馬鹿だ、と頭でわかってはいても、思いがけぬ大金を手にしたりすると人はどうしようもなくコントロールを失うのでしょうか。

 

そんな一端をちょっとだけ感じた私だったのでした。

 




嬉しさが止まらないのは、自分が、自分の意志で行動しなかった(欲しくもないものをその場のノリだけで買ってしまった、という)、という過去まで清算できたような気がしてるからってこともありそうです。

 

これからはもう絶対、展示会の誘いとかには乗らない、と固く決意する私なのでした。







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2 コメント

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清々しい気持ちでいらっしゃるのでしょうね! (KAORI)
2014-07-09 10:29:59
清々しい気持ちでいらっしゃるのでしょうね!
私も、日本を離れる時に、持っているほとんどのジュエリーを手放しました。
だって、指は10本しかないのに、つけたとしても1つか2つ。
たくさんはいらないですし、すでにもう身に付けるには年を重ねすぎているものばかり。。。
今となっては、リングは着けていない時間の方が長くなってしまいました。
こちらに来てから、結婚指輪も外してしまいました(笑)
ずっと常夏なので、日焼けもしますし、いつもむくんだ感じがしていて、窮屈だからのですが・・・


私が手放したジュエリーは、20代の時にプレゼントされたものや自分で買ったものなど。
心から欲していたかというよりは、流行に流されていた気がします。
デザインや宝石というより、ジュエリーをプレゼントされる自分に酔っていたのかもしれません。


私の場合は、何十万とまではいきませんでしたが、こちらに来て収入がなくなったので、本当に欲しいものを買うために使っています。
セット売りの品ではなく、最初から、選んで買ったゴルフ用品一揃いになって、今では残額がほとんどありませんが・・・
心から欲しいと望んで買ったものですから、愛着はジュエリー以上です。
お金の使い方はやはりエネルギーの使い方でもあるのだと学んだ出来事でした。
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KAORIさん、コメントありがとうございます! (些々羅)
2014-07-09 18:07:02
KAORIさん、コメントありがとうございます!


そうですか~
KAORIさんも手放されましたか。
日本を相当年数離れる、というきっかけがあったから余計に思い切りよくできたのかもしれませんね。
「指は10本しかないのに・・・」というのは笑えました。
ごもっとも。


先日、
「モノを購入するということは、つまり、自分のからだの一部となるものを買うということ。」という一文に出会い、
よけいにモノを買うことに慎重になるようになりました。
アクセサリーや、靴や、バッグや身に着けるものだけれど、
決して1つだけじゃなく、複数持っているのが当たり前のようなものは
特に考え込みます。
「ま、カジュアルなシーンにはこれもいいかぁ。」ではなくて、
人が「これしか持っていない人」とか「これをいつも身に着けている人」と私を観たら、そのモノは私とイコールですしね。
「これは本当に私の体の一部と呼べるものか・・?」と自問自答するようになりました。


お金の使い方はエネルギーの使い方だ、というのは
ほんとうにそのとおりですよね。
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