ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

B45「ブレス・オブ・ラブ」

2010-10-15 08:06:00 | オーラソーマ

B45 このボトルの名前は、ブレス・オブ・ラブ、愛の呼吸、と言います。

マゼンタという小さきものにも愛を払うことがターコイズというアナンダカンダセンター(4.5チャクラを表す。「私は誰? なんのために生まれてきたの?」と問いかける性質をもつ、と言われる。)を表すものと一緒になることがどうして愛の呼吸なのか?

その秘密は、以前に私が「呼吸はすべてのはじまり」というタイトルでこのブログにも書いたように、カバラの奥義を伝える「カバラー入門」に呼吸について記された箇所が教えてくれます。

今一度、その部分を抜粋してみます。

呼吸法に習熟してくると、息の出し入れが空気ではなく、エーテルの出し入れだと実感するときが来る。そして自分の意識的統御から独立した実体となる。そのなかでもある種の力は固有の周波数をもち、それに対応する光と音を発する特異な存在として意識されるようになる。古代インド人はその実体をデーヴァと呼んだ。光り輝くもの、という意味だ。 

  神々は超越的存在というより、宇宙に瀰漫するエーテルのなかに住まう、様々な異なった光り輝く力なのだと考えていい。これが神々の正体だ。それはエーテルを共有する自然のなかにもわれわれのなかにもいる。 

  逆に言えば、そのような存在に呼応することによって、一切の事物は緊密に結びつきながら、全体を構成している。どんなに小さいもの、どんなに取るに足らないものの中にも神々は宿る。個のなかに全体が含まれており、個は全体の象徴として出現している。万物は神々に満つ、という古代の汎神論的な世界観はそこから出てくるのだよ。』

エッセネ派というキリストの母親であるマリア様が在籍していた一派の考え方は、「どんな小さなもののなかにも神や天使は宿る。」でした。

ですからもちろんキリストもその考え方です。

当時、人間のなかに神が宿る、という考え方は神を冒涜するものでした。

神は神として、絶対的な存在であり、人間などのようにちっぽけで愚かな者とは一線を画す存在であるからこそ祈りが必要なのだ、というのが教会の考え方です。

もちろん教会はそうしないと教会に人が訪れてこなくなるからであり、そうするとお布施がなくなり、早い話が商売あがったりだからそう結論づけているだけで、深い検証の結果そう言っているのではありません。


そのウソを知っていたキリストは、「自分のなかにも、あなたのなかにも、罪を犯したあの者のなかにも神はいる。」という考え方をやめませんでしたので、迫害されてしまったのです。

しかし、このカバラー入門を読めば、キリストの言っていたことのほうが正しいということがわかります。なぜなら神々というものは呼吸の中に潜む光り輝く存在なのだから。そしてそれらが呼応しあいながら緊密に結びつき全体を構成している。だから個のなかに全体が含まれており、全体の象徴としての個がある。

つまり、「小さきものへの愛」というのは、道端に生えている雑草や生まれたての捨て猫などに愛を注ぎなさい、ということもありますが、自分の息という見えないほどささやかな存在のなかに潜む神々に気づきなさい、ということなのです。
このことがわかるとマゼンタがターコイズと結びつく、という意味が容易に理解できるようになります。


呼吸が単なる酸素の出し入れではなく、エーテル体の交換ということであり、それは自分のなかから出でたことであっても、独立した実体をもつものでもある、ということが実感できるようになると、自分が何者なのか?ということも考察しやすくなるでしょう。(残念ながら私はとうていその域には到達していませんが)

人に優しく、という論理は行動にあらわしやすい、だから理解もしやすいけれど、自己受容や自分に優しく、という論理はどうしてあげたらいいのかよくわからないから、したがってかえって理解しづらいというのと同じように、自分の吐く息が自分とは独立した周波数をもつ光の実体だとわかったほうが、自分そのものも客観視できるようになる、ということではないでしょうか。

さて、このボトルにはもうひとつ、別名があります。

「愛のギブ・アンド・テイク」といいます。

もともとはこちらの名前のほうが正式名称だった、と聞いたことがあります。

けれど、日本では「ギブ・アンド・テイク」というと「お互いギブ・アンド・テイクの関係でいこうや。」と使われるように、与えるもの、受け取るものはお互い様子を見ながら、五分五分の天秤がつりあった関係でいようや、というように、それは非常に打算的な印象を与えます。

でも、英語での「ギブ・アンド・テイク」は本来、そういった打算的なものは一切含まない、むしろ献身を表すものだと言います。

その証拠に、「テイク・アンド・ギブ」というように「くれたんだから、与えるわ。」という「テイク」が先に来るのではなく、「ギブ・アンド・テイク」つまり、どれだけ相手から返ってくるかわからないけれど、私はとにかく先に与えるの、という「ギブ」が先に来ています。

それでも日本ですでに「ギブ・アンド・テイク」が逆の意味にとられてしまっている、ということをオーラソーマのボトルのネーミングでひっくり返す、というのは大変なことですから、誤解を受けないようにサブタイトルであった「ブレス・オブ・ラブ」の方が日本ではこのボトルのネーミングとなったということです。

人間はいろんな呼吸をします。浅い呼吸、深い呼吸、短い呼吸、長い呼吸、断続的な呼吸、連続したゆっくりとした呼吸・・・

赤ちゃんのときに自分が体験したこれらの呼吸法をもう一度体験するだけでセラピーとなる、というリバーシング・セラピーのことをB22「リバーサーズ・ボトル」のときにご紹介しましたが、それほどに呼吸とは大切だし、かつ今一度リードする人がいて、習わなくてはならないほどのもののようです。

生きていくのに当たり前のようにしている呼吸ですが、ただ命をつなげばいい、というだけでなく、そこから自分を内観する、と言う深い世界を知るためには教えを請わなくてはいけないようなこと。

しかし、呼吸を「吸う」と「吐く」に分けたら「吐く」ことを上手にすれば、私たちは自然にあとは吸います。2つある動作のうち、そのうちのひとつ「吐く」ことだけがすごく重要なのです。


吐ききれば自然に吸う。

それは私たちが上手に手放せば、おのずと必要なものは入ってくる、と言われることに通じます。

「呼吸」の「呼」という漢字は、息を吐く、ということです。

呼吸という漢字そのものが吐く、ということが吸うより先に来ていることは偶然ではありません。

人間は息を吐いて「おぎゃあ」と生まれてきて、死ぬときは息を最期に一息吸って死ぬそうです。

そういえば、3年前、飼い猫の花奴が死んだときもそうでした。

20日間ほど苦しそうな息の下で寝たきりだった花奴が最期に、「がぁっ」と大きく口をあけたかと思うとかくっと息絶えたのです。

吐くということは体外へ出すこと。

取り入れるより、出すことの方が先、というのは、「ギブ・アンド・テイク」と通じるものがあるような気がします。


B45
「ブレス・オブ・ラブ」。

「愛のギブ・アンド・テイク」。

キーノートは、「存在の感じる側面に関して天からの愛に開く可能性。瞬間瞬間に、息を吸い、息を吐くというギフト」。

特項として、*慈悲心を高める。

    愛に置いての落胆を克服する。

    性的抑圧にある問題を対処。

    身体に必要なものが何なのか、理解できるように助ける。(食欲不振、過食やストレスと働きすぎなど。)


あなたが今なにか他人の問題に巻き込まれたり、ほかの人の感情を自分の経験からきた感情のように味わってしまう傾向があるのであれば、このボトルとワークしてみてはいかがでしょうか。

自分が主体となって呼吸することの意味に気付き、すべてはありのままで美しいということに気付けるかもしれません。




「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」では、全国どこへでもボトル1本(\5460)から送料無料でお届けいたします。

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