団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

辞書を読む人、贈る人

2023年06月14日 | Weblog

  友人が辞書を届けてくれた。白川静の『字訓』(平凡社 税別 6000円)である。同じ辞書を2冊買ってしまったのだそうだ。私もすでに買った本を再度買ってしまうことがある。

 書籍は、もっとも難しい贈り物だと聞いたことがある。確かに相手をよく理解していないと、ただの押しつけになってしまう。彼が辞書を渡すとき、「きっと喜んでもらえると思って」と言った。嬉しかった。同じ辞書を買ってしまった事は、失敗である。それも高価な辞書だ。書籍は、返品が難しい。ほとんどの場合、諦めるしかない。誰かにあげようにも、対象を絞るのも困難なことである。

 友人は、辞書を読む人だ。勉強家で定年退職した今でも、たくさん本を読んでいる。一緒に時間を過ごして、彼の話を聞くのが楽しい。今は、電子辞書やコンピューターでの検索で、簡単に言葉を調べることができる。紙の辞書や書籍は、時代遅れの感がある。しかし紙に印刷された書籍は、独特の存在感を持つ。何より紙の書籍には、著者や編集者や翻訳者の時間が込められている。私は、読書とは、書籍の活字を目で見て読み、その行間から書いた人の言わんとすることを、自分の経験や考えを通して読み解くことだと思っている。若い時、分からなかったことでも、歳の功のお陰で、今では理解できることも増えた。さっそく『字訓』を読み始めた。ただ開いたページの見出しからその項を読む。これは電子辞書では、絶対にできない事。項目を読み進める。編者の白川静の英知が折り詰められている。折り畳まれていた編者の英知が、ペチャンコだったのに空気を送り込まれて、人間に変身して語りかけてくるようだ。

 私は、数字を見るのが好きではない。友人の多くが、『数独』で脳を鍛えている。私は、やってみたが、降参した。でも『漢字パズル』にはまった。毎日時間さえあれば、漢字パズルをしている。楽しい。時間を忘れられる。見たことも聞いたことも使ったこともない言葉も多い。慣れ親しんだ言葉でも、パズルで解いてゆくと、その言葉から過去の思い出が蘇るのも楽しみとなる。良いことだけではない、忘れていた悪いことも勢いよく復活してくることもある。パズルなので、前後左右の並びから答の漢字が分かることもある。考え込むことが多い。脳を使っている感がある。この感覚が刺激となって、漢字パズルから離れられなくなっている。

 自分が知らない言葉を辞書で調べる。『字訓』も私の辞書群に加わった。散歩は日課、待つのが仕事の私にとって、漢字パズルは、まさにkilling time(暇つぶし)である。Killとい言葉は、適当でない気がする。しかし退屈で暇な時間をやっつけると考えれば、あっている気もするが。

 私の今の存在は、生産的でない。何の経済効果もない。私は、隠居の身である。他人様に迷惑をかけたくない。若者を押しのけて、出しゃばりたくもない。静かに深海魚のように暮らすのも悪くはないと思っている。世間から距離を置いているけれど、まだ辞書を届けてくれるほど、私の事を気にかけていてくれる友人もいる。稀な贈り物に、私の心に光が射したように明るい気持ちになれた。


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