団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

デング熱とムヒパッチン

2014年09月10日 | Weblog

  蚊に刺された。私は集中力に欠けるが、集虫力はあるらしく頻繁に虫に刺される。ニュースでよく聞くデング熱に感染するのではないかと心配になった。東京の代々木公園から発生したデング熱の患者はすでに80人を超した。私が住む町での発症は、まだ報告されていない。私が最初の患者か。大騒ぎになるだろうな。妻も病院への立ち入りが禁止されるだろう。妄想が拡がる。

  刺されたのは背中である。痒みがはしる。洗面所の家の中で一番大きな鏡の前に立ってシャツを脱いだ。鏡に背中を映す。太ったな。肌がたるんでいる。顔を思いっきり回して鏡を見ようとする。痒みがうずく。その痒みをたよりに探す。ホクロが邪魔。あった。小さな赤い腫れ発見。急いで寝室のサイドテーブルの薬類を入れてある引き出しを開ける。アンパンマンが印刷された箱のムヒパッチンを取り出した。洗面所に戻る。

  鏡を見ながら腕が蚊に刺された場所に手が届くか試す。右腕も左腕も届かない。どうしよう。そうだ蟻を食べる猿が木の枝を使って穴に枝を入れ、蟻を獲っていた。私は人間だ。こういう時こそ頭を使わなければ。道具だ。知恵だ。蚊に刺された私の背中の箇所がムヒパッチンに重なりくっつくようにメジャーで測った。壁に両面テープを貼る。ムヒパッチの片隅だけを接着剤を塗ってある面を上に固定させる。背中を押し付ける。何度試してもズバリの場所に貼りつかない。失敗。イライラ。何か長いものは・・・。孫の手のようなモノがあれば、でも我が家にはない。あちこち適当なモノはないかと探す。台所の流し台の洗い桶に菜箸があった。長さはちょうどいい。洗面台に箸を持って戻った。箸の先っちょにムヒパッチンを貼りつけた。右手に持って鏡を見ながら目標地点に移動させようとした。しかし目で見る鏡の中の蚊に刺された箇所と脳が分析指令した手の動きとは真逆である。パニック。キレそう。妻なら背中を出せば、刺された箇所にムヒパッチンをあっという間に貼ってくれるだろうに。蚊は妻が出勤している留守を狙っているのか。痒みはますますひどくなる。何回も挑戦したが結局貼れなかった。痒みは壁に背中を押し付けて上下に動かしてみた。効果なし。

 妻が帰って来るまでの4時間を掻きたくても掻けない欲求不満と虚しさと闘った。帰宅した妻にムヒパッチンを貼ってもらった。さすがである。即効。痒みが消えた。デング熱の心配を打ち明けた。「もうぉ~ニュースで騒がれると何事もすぐ自分に当てはめるんだから」

 セネガルで住んでいた家にもマラリアを媒介するハマダラ蚊がたくさんいた。蚊帳を使った。それでも私たちが蚊帳を出入りする間隙をついて入り込んだ。蚊はりこうである。ハマダラ蚊の羽音は不気味で耳障りなくらい振動が激しい。そこが狙い目となった。私は東京青山の昆虫用具専門店で購入した網目の細かい高級補虫網を蚊専用に持っていた。これが抜群の効果を発揮してくれた。暗闇の中、じっと補虫網片手に微動だにせずにハマダラ蚊が飛ぶのを待った。2年間の妻の任期で、いつしか私は暗闇でハマダラ蚊の羽音だけをたよりに捕獲できるようになった。捕まえた蚊は電燈をつけてスリッパで網の上から叩きつぶした。多くのハマダラ蚊から血が飛び散った。私か妻の血!爆発する復讐心。私のスリッパを叩きつける姿は常軌を逸していたに違いない。蚊を殺すというより、恐ろしいマラリアを撲滅させるという思いがスリッパに力をこめさせた。私はそんな自分自身が怖かった。でもマラリアで日本から遠く離れたアフリカで死にたくなかった。

 代々木公園の蚊から感染したデング熱で日本中大騒ぎになっている。蚊を絶滅させることは到底できない。蚊はゲリラのように忍者のように私たちの近くに潜み虎視眈々と血を奪う機会を窺がう。戦争で同じ人間を殺す兵器の開発競争に明け暮れるより、隔たりなく人類全体を侵す伝染性の感染症に立ち向かうのが先だ。国際化の波に乗って世界中の人々が往来する時代、感染症と人間は果てしない戦いを繰り返えさなければならない。日本の医療、医療機器、医薬品の開発、病院船建造運行能力を結集すれば、エボラ熱、デング熱、エイズなど致死的感染症に宣戦布告できる。そうすることで日本は集団的自衛権を超越した存在となれる。世界から信頼され大切に護られる国家になれる。それも自衛のひとつの方策ではないのか。日本が人類に貢献できるチャンスだ。

 現状はこのところのデング熱の感染拡大に官民一緒になって、ただアタフタしているだけにみえる。情けない。


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