団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ダメッとコラッ

2014年09月24日 | Weblog

  朝のうちに散歩をすませようと思ったが雨が降りそうだったので待つことにした。午後になると晴れてきた。ずいぶん涼しくなった。今年の夏の暑さを思えばこのくらいの気候が散歩にはちょうど良い。東海道本線の鉄橋は橋げたが高く地上20メートルはある。上下線2つの橋が約15メートルの間隔で平行している。ドームのような空間ができている。

 散歩コースのあちこちに曼珠沙華の真っ赤な花が咲いている。この花、場所を選ばず咲けるところならどこにでも顔を出す。鉄橋手前の馬頭観世音の石碑の周りにもたくさん咲いていた。カメラで真上から花を接写モードで何枚か撮影した。散歩途中ではいつも被写体を探す。セミ、蛇、トンボ、サギ、鴨、猿、花、草、木、人、雲。手にカメラのヒモを通していつでも写真を撮れる体制で歩いていた。鉄橋の下の土手の川の近くで2人の男性がいた。ひとりがカメラを何かに向けていた。好奇心が信号を発した。私は数歩歩道から外れて何の写真を撮ろうとしているのか確かめようとした。

 イノシシだった。でかい。右脇腹を下に横たえられていた。縦2列に乳房がふくよかに並んでいた。体は静止していた。微動だにせず目を閉じている。死んでいる。ライトバンの後ろが開いていた。いろいろな農機具やらシートが積み込まれていた。左側に平らなスキマがあった。下に敷かれたキャンバス地のシートに血が付いていた。70歳をゆうに超している男性がイノシシの後ろに“平成26年9月18日 体重87キロ ○○○○”と書かれた看板の傾きを調整していた。私はとっさに「すみません、写真撮っていいですか?」と尋ねた。「ダメッ」 坐禅で「喝っ」と和尚が警策を振り落すような形相で言った。腹の底から出る野太い強い口調だった。。私はハムスターのように固まった。何か悪いことをして叱られたような気になって直立不動になった。男性は何もなかったようにイノシシの左側を回ってカメラで写真を撮り始めた。無視。私は筋肉の緊張がだんだん解け動けるようになったので足音を立てぬようその場を離れた。

 長野県で小学校低学年だった時、近所の畑から古銭がざっくざくと大きなカゴに一杯掘り出された。近所の子どもたちがわんさと集まって掘り出した農家のおじさんを取り囲んだ。おじさんは得意げだった。子どもたちの多くが古銭を手に取り、返す返す顔を近づけて見入っていた。こんな時考えることはみな同じである。ネコババしようとみな無い知恵を絞っていた。いじめっ子のSが古銭を一枚ポケットに入れようとした。おじさん、すかさず「コラッ」と怒鳴った。Sは古銭をカゴに戻した。私も手に取った古銭をカゴに戻した。

 近ごろ「コラッ」も「ダメッ」も聞いたことがない。私も孫が3人いるが彼らに一度だってそう怒鳴ったことがない。怒鳴りたいことはたくさんある。集合住宅の共同温泉浴場でよく遭う洗い場で頻繁に痰を吐き鼻をかむ老人には一度「コラッ」か「ダメッ」と雷のように落としたい。電車や街で無作法な輩にも大声で怒鳴りたい。小心者の私はどうしてもできない。イノシシの写真を撮ろうとして力いっぱい「ダメッ」と言われ嫌な気分はしなかった。ダメなものはだめである。彼のイノシシだ。私も彼のように思いきり言ってみたい。一生無理だろうな。私の父も私を怒鳴りつけたことはなかった。そのツケが今私にまわってきた。私のようなタイプの人間が止めておけばいいのにある日突然、無理して怒鳴って相手を逆上させ、ナイフで刺されるような気がする。だから最後の日まで我慢するしかない。


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