団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

イスラム国

2014年09月30日 | Weblog

  テリー・ヘイズ著『ピリグリム1・2・3』(ハヤカワ文庫 各860円+税)を読んだ。8月25日に第1巻が発売になり、9月15日に第2巻、そして9月25日に第3巻が発売された。第1巻を読み終わって、即、続きを読みたいと発売日が待ちどうしいと思ったのは、子供の頃夢中になった漫画週刊誌以来である。正月を指折り数えて、♪もういくつ寝ると♪と歌って待つ気分だった。第3巻は最初9月下旬とだけ発表されていたので、20日頃から書店に行きチェックし始めた。妻がインターネットで調べてくれて25日発売とわかった。25日に書店へ行ったが入荷されていなかった。ベストセラーではないようだ。26日やっと手に入った。本の世界に引き込まれるように没頭した。ハラハラドキドキしながら私にしては凄い速度で読み進んだ。だんだん結末に近くなるにつれて、「これで終わってしまったらさみしくなるな」という思いと早く結末を知りたいがせめぎ合った。結局、読む速度にブレーキがかかった。惜しむように一語一句一文を読んだ。そして読み終わった。数日間活字中毒から解放された。読書家だった亡き児玉清もこんな読後感を書いていた。

 私は今までにキリスト教、仏教と関わった。現在は神を信ずることができない状態でこの世を放浪している。カナダのキリスト教の高校で学んだ。離婚前後には長野の禅寺へ2年間坐禅に毎日通った。私自身が空中分解しそうなほど精神的に混乱した時期である。長い暗黒時代を通過して現在の妻と結婚した。妻の仕事の転勤について海外で12年間5ヶ国に暮らした。宗教でいうとヒンドゥー教、イスラム教、セルビア正教、イスラム教、最後にロシア正教の国であった。どの宗教をも第三者として傍観できた。宗教は阿片だ、という冷淡な立場で観察してきた。

 27日土曜日、突然の噴火で大勢の犠牲者を出している御嶽山は信仰の山である。日本人は八百万の神、自然を信仰の対象とする。私の心にも否定できない自然への信仰に近い畏敬の念がある。イスラム教徒にとっては偶像崇拝の極みであろう。どの宗教も異教徒、無神論者、自分の信仰を明言しない人間を敵視する。イスラム教はとりわけ異教徒に厳しい。その上アジアのモンゴライド人種には差別的である。私自身どれほど「シノワ」と吐き捨てるように言われ侮辱されたか。私は理由を探った。ひとつには“シノワ”がイスラム教と最もかかわりの少ない人種だから。もうひとつは英国フランスなどの旧宗主国が中国人を安い労働力として植民地のイスラム諸国に入れた。ちなみにシノワはフランス語で中国人の意である。その“シノワ”でもイスラム教に帰依した者は、数は少ないが嘘のような待遇を受けるのを何回も目の当たりにした。

  ISISイスラム国というイスラム教組織はイラク・シリア・イスラム国の名前の通りにイラクとシリアの中で活動する。英国、ヨーロッパ諸国、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどへ移民して市民権を持つ若者が3千人参加しているという。彼らの多くは、キリスト教徒が多数を占める西洋諸国で教育を受けた。今までのイスラム教組織とここが違う。彼ら外国人部隊はインターネットを駆使した近代的手法で仲間を募り宣伝流布する。市民権を有する国からの情報も取りやすい。接し方にも長ける。キリスト教社会で苦労したのでイスラム教への信仰も厚い。手ごわい相手である。テレビのニュースではイスラム国の兵士たちが荷台に機銃を設置したトヨタのトラックに分乗して車列を組んで意気揚々と行動する光景が映る。

 『ピリグリム1・2・3』はアメリカとテロ対策でイスラム過激派との戦いを描いている。よくあるアメリカ良い者、テロリスト悪者と決めつけたアクション物語ではない。現在のイスラム国を頭に思い浮かべて読むと臨場感と深い宗教への洞察に圧倒される。命がけでイスラム教を信仰するピリグリム(巡礼者)が小説に登場する一方、それを珍しいもの見たさで覗き込む私のようなただの流浪者でしかない読者がいる。英語のPilgrimには巡礼者と流浪者二つの意味がある。そこには“宗教的な”と但し書きがつくと私は理解する。そして私がそうである流浪者には、但し書きがない。


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