団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ブランドとネーミング

2014年09月22日 | Weblog

  食品スーパーの野菜売り場のトマトコーナーへ行くとその種類の多さとそれぞれについた名に驚く。今年は天候異常で野菜の値段が高騰している。日本では野菜栽培の工場化が進んでいて衛生面から温度肥料光量などの環境までもコンピューター管理され、土を使わない水耕栽培もある。生産したら売らなければならない。競争が始まる。ブランドやネーミングの出番である。聞いたこともない名前が多い。私はトマトが買いたいのである。ブランドや名前は関係ない。料理の材料に旨いトマトは期待しない。旨いというのは、甘いと同義らしい。

 しばらくトマト売り場で客がどういうトマトの買い方をするのか観察してみた。まず私と同年輩の女性買い物客が「高いわね」と一番値段の安いパックを選んでカゴに入れた。次に仲良さそうな母娘「トマト種類が多くて」 「ママ、綺麗なのがいいよ。あれどう?赤、黄色、緑、紫。綺麗!」 「高すぎるわ。4個で500円。一個100円以上よ」 結局母娘は180円の“桃太郎”を1個触って、比べて慎重に選んだ。今度は老夫婦。夫は迷いもせず一箱6個入りの“アメーラ”1580円をカゴに入れた。10分ぐらいの観察で、客は家族の健康のことを思いトマトを値段で選ぶのが主流らしいと判断した。種類が多く選べることは良いことだ。私は料理に使うトマトとサラダに入れる値段が安くて赤の濃い艶のあるトマト2種類を買った。あえて名前に注意を払わないようにした。

 町や駅の飲料自動販売機の商品の名前もどんどん変わる。“金の微糖”があったと思ったら今度は他社が“至福の微糖”ときた。敵もさるもの引っ掻くもの。消費者はメーカーの売らんかの策による言葉遊びに心乱される。受けては不利だ。微糖と言っても他人によって量の基準は違う。亡き義父はコーヒーに5グラム袋入り砂糖を3つから4つ入れた。海外でもコーヒーカップの半分ほどの砂糖を入れて飲む国が多かった。飲料メーカーはいろいろ調査研究して製品を販売する。競争が激しいのであろう。時々消費者を通り越して、企業同士のつばぜり合いしか目に入らない私は何もかもメーカーに任せず、コーヒー豆の種類砂糖の量ミルクを入れるか入れないか自分で決めたい。だからどうしても外で水分補給しなければならない時は水を買う。

 大量生産大量消費が世界に浸透するにつれてブランドの力が失われてきた。ソニーはとうとう配当をゼロにする。私は1993年まだソニーが世界のブランドだった頃、妻の海外赴任に同行して日本を出た。海外での日本ブランドの評判と勢いに胸躍らせた。しかしそれ以降転勤して違う国に移るごとに日本ブランドの凋落ぶりを目の当たりにした。2000年チュニジアにいた頃、家電売り場のブランドは韓国と中国になり日本製品は消えていた。

 世界市場は平均以下の消費者層人口が圧倒的である。アフリカ、東ヨーロッパ、南西アジアなどでは購入意欲が爆発的に拡がっている。韓国中国企業は、標準をまずそこに絞った。製品が普及すれば、消費者は次の質を求める。かつてのトヨタのコマーシャル「いつかはクラウンに」の発想を持つ。今は普及段階なのでブランドもメイド・イン・国名やブランドは関係ない。値段が一番の関心である。設備があって従業員がいれば、大量生産はどこの国のどの企業でもできる。もう日本スタイルのモノづくり輸出立国は成り立たない。稼げない。世界の数パーセントの金持ち相手の個人や小さな町工場で芸術的高額商品をコツコツと作るか、モノでなくアイデアやシステムやノウハウを売るしかない。ロボット工学、生産システム、農業、バイオ化学、先端医療など有望な分野が日本にはある。生産はどこの国のどの企業でもできるが、材料の製法、生産方式、人工頭脳の設計設置,おもてなし、観光、教育などのソフトはそうはいかない。

 あまりに多いトマトの種類と名前、飲料自動販売機の缶コーヒーの種類と名前を思い出しながら、私は日本が現状から一歩前に踏み出し新しい領域に活路を見出すことを願っている。

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