団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

1冊で3度楽しめる

2014年09月02日 | Weblog

  妻は集中力があり記憶力もいい。私は注意散漫めっぽう物覚えが不得意。本の読み方に私たちの違いが顕著。妻はとにかく速読である。私は遅読族の最たるもの。妻は東京へ通勤に往復2時間以上の読書タイムがある。私は妻の図書配給係をつとめる。書店図書館古本屋が書籍調達場所である。本を渡して数日で「次の本」と妻の手が私の顔の前に出る。短いコメントがつく。先週「このジェシー・ケラーマンの『駄作』は駄作だね。父親はジョナサン・ケラーマン。母親はフェイ・ケラーマンというので期待したけれど。やはり親の七光で本は書けない。どこの国の親も子には甘すぎる」と本を私に渡した。

 まず妻が読む。これが一度目である。妻の感想を十分に聞いてから、次に私が読む。私はポストイットをシオリにびっしり貼り付けて読み始める。(写真参照)以前は3色ボールペンで直接ページに書き込みや線を引いていた。しかし次に読む人に迷惑になると思い止めた。次に考えたのがページに折り目を入れるであった。これも見た目が悪いのでやめた。そして現在のポストイットになった。ページの上部に貼るのは、気に入った表現や役に立ちそうな情報の行を示す時。文章の中の言葉の近くに貼るのは、私が読めない漢字や知らない言葉。ページ下に貼って行を示すのは、出来るだけ早く自分の文章に引用したい箇所。こうして私はたっぷり時間をかけて読み進む。妻の感想に対して今度は私の感想を話す。「ジェシー・ケラーマンの『駄作』は本当に駄作だ。でも物書きには役に立つ本だった。どういう本がつまらなく読むに値しない本か教えてくれた」 これが本の2度目の読まれ方である。3度目に私はポストイットが貼られた箇所を大学ノートへ書き写す。書き終えた箇所のポストイットは剥ぐ。本は元通りきれいなままである。だれか次に読むであろう人に不快な気持ちを与えないで済む。

 本を購入する金額も馬鹿にならない。それでも私たち夫婦が同じ本を読んで感想を話しあうことができるのは、常時たった二人だけの生活には大切なことである。私が妻と再婚したいと決定づけたのは、「この人とずっと話していたい。話していられたらいいな」であった。昨日ラジオで聴いた話を夕方駅に迎えに行った帰りの車中で披露した。植野行雄さんというタレントがいるそうだ。父親がブラジル人で母親が日本人。この人顔がアラブ人に似ている。ある日動物園へ行った。ラクダの檻の前に立ってラクダを見た。ラクダが植野さんを見ると急に立ち上がって水飲み場へ行き、水をゴクゴク飲み始めた。ラクダが植野さんを見て長い旅の準備を本能的に始めた、という話だった。妻は声を出して笑った。何十人もの患者を診て、遠距離通勤で疲れて帰って来た妻が笑う。私は嬉しくなる。もっといい話を見つけて妻に話したいの思いで本を読み、ラジオを聴く。

 最近二人の会話に「あと十年くらいかな、こうして元気に一緒にいられるの」があった。命に限りがあるのは知っている。知っているけれど知らないふりして今のまま生きているのも良い。だから妻と同じ本をたくさん読んで、妻が聴かないラジオを私が聴いてネタを仕入れて、話して話し続けていたい。時々声を上げて大笑いしたい。させたい。


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