団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

臨時投稿 母猿

2008年04月04日 | Weblog
 私は毎朝妻を7:02発の電車に間に合うようにJRの最寄りの駅へ車で送る。昨日の朝も6:52ほぼ時間通りに、乃木商店という八百屋の角を、右から来る猛スピードの1台車が通り過ぎるのを待って。右折した。

 国道に出るとすぐ私は「あ、猿だ。何か引きずって道路を渡ろうとしている」と妻に告げた。妻は「物じゃない。あれは子供よ。赤ん坊。事故かしら。あんなに血が」

 私の前を走っていたタクシーが静かに止まった。さっき通り過ぎた車に引かれたに違いない。おそらく初めて産んだ子供であろう若い母猿は、子供を道路からつれ出そうとしている。

 子供がかすかに動く。母猿は車に対して恐怖の塊になっている。車を見る母猿の目にその様子があらわれている。子供を必死で、その危険な場所から安全な歩道に移したがっている。

 タクシーが止まったとはいえ、自分の子供が轢かれたのと同じ車という凶器が目の前にある。タクシーが何もしないことを確かめて、母猿は両手を使い、力いっぱい子供を引きずった。

 猿が人間のように手を仕えることは、状況を一層悲惨に映す。犬や猫とも違う。カラスとも違う。母猿がつかんでいるところが手なのか、頭なのか、皮なのかわからない。

 10センチ、15センチと動く。母猿は自分が何をしてよいのかわからず無我夢中で本能に従う。ガンバレ、もうちょっとだ。

 いつだって裏山の15メートルの高さの石垣を、子供を背負ったまま、いとも簡単に登っているではないか。引きずった後に血がべっとりと道路にこびり付いている。

 反対側の歩道に中年の女性がそのさまを見つけ、両手を口に持っていき立ち尽くしている。タクシーもまだ止まったまま。

 母猿は最期の力をふりしぼるようにボロ切れのようになっている子供を引いた。母猿は一切声を出さない。全力で子供を引きずる。神にも祈らない。仲間に助けを求めて叫びもしない。人間への憎しみの捨て台詞もない。ただ引っ張った。

「この子はこんなことでは死ぬはずない」と言っているがごとく子供の体を引いた。物体が引かれてズルズル動く。

 よし、歩道に上がった。母はただ子供を強く押し揺すり、「さあ山のおうちへ帰りましょう」と言っているようだった。

 妻が「あの出血量だとダメかも知れない」と言った。「そんなことはない。あの子はガンバル」見ているだけで何もできない自分にいらだつ。妻は私の心を読むように「こういう状況で人間がでたら、母猿は命がけでかかってきて、子供を守ろうとするわよ」と言う。

 前のタクシーが静かに動き出した。運転手は明らかに前を見るより、歩道の母と子に目がいっていた。彼もきっと自分が何もしてあげられない悔しさを感じているのだろう。私も彼と同じ気持ちで、血を踏まないように車を迂回させてそこを離れた。

 家に戻り、私は歩いて現場へ行った。何事もなかったように道路の血は洗い流され、猿の親子の姿は、どこにもなかった

 最近、人間の母親の子供殺しが続いている。私はあの母猿に申し訳なく思う。

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