団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

公衆トイレ

2008年04月23日 | Weblog
 カナダの留学した学校にフィジーからジョナソン・カイルンという20歳をすぎて中学3年のクラスにいた学生がいた。とても親切な人で、入学したばかりの戸惑う私に「僕はもう数学で3年落第しているけれど、この学校のことは一番良く知っているから、分からないことは何でも相談して」と言ってくれた。学校には毎日2時間の奉仕の時間がある。ジョナソンは寮のトイレ掃除をしていた。長いゴム長靴をはき、太いホースの水とブラシで便器を手際よく掃除していた。おかげで寮のトイレはいつもきれいで気持ちよかった。ジョナソンのことは今でもなぜか印象強く覚えている。        
 
 先日住んでいる町の駅のトイレに入った。男性トイレなのに鏡の前に女性がいる。一瞬私は自分がいつものようにそそっかしいが故におかす間違いかと思った。落ち着いて確かめると男性用小便器が4つ並んでいる。女性は掃除をしていたのだ。下は皮のズボンで上はざっくりした厚手のはでな花柄のカーディガン。見た目お掃除をする人にはとても見えない。用を足して終えて、手洗いで手を洗った。女性は一生懸命洗面台を洗ってきれいにしていた。私は「ご苦労様です」と声をかけた。女性は「は~い」と嬉しそうに答えた。日本のトイレはきれいになった。それでも私が利用する駅のトイレは20年前の公衆トイレと同じ古いつくりだ。女性掃除係りのおかげで、なんとか使える状態ではあるけれど、老朽化は否定できない。掃除の女性の話では近く改装されるという。

 正直私は女性が男性トイレを掃除することには反対である。東南アジア、アフリカなど発展途上国では男女の区分けがきちんとされていないことが多い。日本も昔から男女混浴があるくらい、この男女の境界があいまいである。おおらかでいいではないか、という言う人もいる。ここで私が騒いでも問題が解決されることはない。ただきれいに掃除してくれている女性に感謝の言葉は伝えたいと思った。

 日本にはオバタリアンというどうしようもない節制のない女性が存在する。男性トイレに平気でズカズカ侵入し、空いているからという理由で使用する。私が狭心症でバイパス手術を受けた病院は、病室へ男女の入院患者を一緒に収容していた。女性の患者が夜中にトイレへ行かずにオマルで用をたした。私はその現実をどうしても受け入れることはできなかった。男女混合の病室も、病室での用足しも私の母国日本のイメージを損ねた。日本は世界の多くの国々にODAの資金援助をしている先進国である。超えてはならない規範がある。まだまだ日本人が習得しなければならないことは多い。

 最近坂東美佐子著『女性の品格』や『親の品格』という本がベストセラーになっている。書店でパラパラめくってみたが、女性が男子トイレを空いていれば使って良いとも悪いとも書いてなかった。坂東氏は日本のそんな現状も知らないセレブな方らしい。

 政治がどうの教育がどうのも大切な問題だと思う。しかしもっと根本的なところで日本人の意識改革が起こらないといけないのではないだろうか。『境界のケジメ』 女性は何人たれとも、男子トイレに入ってはならない。男性もいかなる理由があっても、そこが女子トイレの機能を果たしているならば、入ってはならない。そこには越してはならない不文律がある。

 小学校で男子が堂々と大便できないのは、子供のころから男子女子の境界が不明瞭なことが原因である。人間はだれでも生きていれば排泄する。男も女も同じである。しかしあえて男女お互い、そこに踏み入らないのも文明ではないだろうか。日本のあいまいな境界に、はっきりした基準の境が、近い将来日本にも確立できますように!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする