団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

紅葉マーク

2008年04月10日 | Weblog
 若葉マークは運転免許を取得して間もない人が車につける。紅葉マークは高齢者が運転する車につける。

 先日散歩中、道路を横断しようと路肩で待っていた。白いカローラが止まってくれた。ボンネットに紅葉マークがあでやかに張ってあった。運転していたのは明らかに紅葉マークのおじいさんだった。

 ところがである。よくあることなのだが、反対車線の車が止まらない。道路の中間点まで進んだ私だが、どうすることもできない。おじいさんの後ろに車が次々に止まり、みな怪訝な表情をあらわにしている。おじいさんもイラだってきた。7台の車が止まらないで通過した。やっと8台目の車が止まってくれた。行きつけのガソリンスタンドの社長だった。おじいさんと社長にコメツキバッタのようにお礼を繰り返しやっと道路を横断した。

 私は反省した。これからは必ず信号のある交差点へ行き横断しよう。紅葉マークのカローラがわざわざ止まって歩行者を渡してくれる。ベンツやBMWが「あぶねえなあ。こんな所を歩いているんじゃねえよ」の顔をして平気で通り過ぎる。親切が仇となって交通事故に巻き込まれかねない。せっかくの善意を“小さな親切、大きなお世話”にはしたくない。

 車を使わないで歩くようになってから、今まで気がつかなかった歩行者の立場がよく理解できるようになった。歩いていて怖いのは車だけではない。自転車も恐ろしい。歩道をなぜ自転車が走れるのかわからない。

 歩くと道草やよそ見は当たり前の行動となる。歩く楽しみはそこにある。歩いていると車や自転車に“邪魔”な存在だと思われているのがよくわかる。交通標語に“そんなに急いでどこへ行く。むかしはみんな歩いてた”というのがあって、いたく感動した。便利になればなるほど、人間の心にゆとりが生まれるのならよい。忙しそうにしていることが、働いていることと勘違いしている人も多い。そうでなくても日本人は、せっかちで短気な国民性を持つ。

 紅葉マークのおじいさんの親切が通用するゆとりある交通マナーが浸透しますように。もっともっと歩く人が大切にされる、ゆとりある日本社会になりますように。“急いでも、着けばみんな同じとこ=場所=あの世?”
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