団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

莫妄想

2020年03月30日 | Weblog

  日ごとに感染者数が増加している。新型コロナウイルスの感染が止まらない。テレビ画面に映し出されるイタリアや外国の病院内の混乱や病人の苦しむ姿、懸命に治療に当たる医療関係者の姿が目に焼き付いた。

 3月19日木曜日に東京の病院へ糖尿病の定期健診を受けに行ってきた。電車は空いていた。東京駅の混雑を回避するために湘南新宿ラインに途中で乗り換えて新宿から中央線に乗った。ウイルスは目に見えない。だから妄想が妄想を産む。電車の中にいる人が皆、ウイルスをまき散らしているのではと疑う。誰かが鼻をかむ。ドキッとする。ドアの近くに座っている男性が咳をした。車内の乗客の視線がその方向を探る。ドアの取っ手やつり革にウイルスが付いているという。昨日、近所の洋品店で綿の薄い手袋を買った。でも何となく恥ずかしくて手袋を使えない。目立ちたくない。いつもは漢字パズルであっと過ぎる乗車時間だが漢字パズルにも集中できなかった。乗り換え乗り継ぎがうまくいかず病院には、予約時間を30分遅れて到着した。病院の待合室は、患者は数人しかいなかった。血液検査の結果と脚の血管狭窄の検査結果に異常も悪化の数値もみられなかった。主治医の診察で糖尿病もよく抑制されていると言われた。

 新型コロナウイルスの感染源が不明という症例が増えている。つまりいつどこでどのように感染したかわからないという。つまりだれにでも感染する危険があるということだ。潜伏期間は、1週間から2週間と言われている。東京の病院で検査診察を受けてから1,2週間は、自宅から散歩以外で出ないように気をつけていた。しかしこのところの気温の激しい変化に体が適応できずついに風邪の症状が出てきた。まず喉が痛い。鼻水がでる。妄想が湧くように出て来る。知りもしない新型コロナウイルスの症状の耳学問で素人診断にふけってしまう。そこへニュースのイタリアの教会に安置された行き場のない棺桶が目に飛び込む。自分もあのように誰にも看取られずに息を引き取るのではと思う。

 離婚騒動のさなか、私は禅寺に通い、坐禅を組んだ。朝3時に家を出て、5時からの坐禅を2年間続けた。冬は坐禅の前に身を清めるために池の氷を割って冷水を被った。禅寺の和尚から“莫妄想”の教えを得た。私たちは自ら不安、執着を作り出し、自らが作ったそういう思いに悩み苦しむと。“莫妄想”とは「妄想すること莫(なか)れ」であると。2年かかってやっと私を悩ませた自分が作り出した“妄想”から抜け出せた。その後、法的に離婚して、二人の子供を引き取り育てた。子供を育て教育資金を稼ぐために妄想に押しつぶされる暇もなく働いた。

 44歳、二人の子供が大学を卒業して、縁あって再婚できた。51歳で糖尿病による合併症で心臓バイパス手術を受けた。人工心肺装置を使って10時間以上の手術を受けた。新型コロナウイルスに感染して重症化した患者が私と同じ人工心肺で救われているという。数が足りないという。医学の進歩、医療機器の充実のおかげで多くの命が救われる。私だって人工心肺が無ければあのバイパス手術は受けられなかった。妄想する前にもう一度自分が今生きているのは、医学と人工心肺のおかげであると再認識する。莫妄想。

 

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