団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

膿を出し切る

2019年10月02日 | Weblog

  9月30日、菅原秀一経済産業大臣は、関西電力の役員20名が、福井県高浜町の元助役から3憶6千万円の金品を受け取っていた疑いが発覚したことに対して次のように述べた。「第三者の目から原因究明を行い、膿を出し切ってほしい」

 膿。私はこのたとえ違うと思う。膿とは、芭蕉の「夏草やツワモノどもが夢の跡」ではないけれど、膿が出るところは、戦場だったのである。細菌など体に害を与えるモノを攻撃する味方の細胞との、いわば戦争が行われた場所である。現代では抗生物質が広く処方されるようになってきたので、化膿することは少なくなった。

 私は、ネパールやアフリカのセネガルにかつて暮らした。世界の最貧国である。住んだ6年間、目についたのは体のどこかが化膿している人達、特に子供たちだった。都市から出て辺地に行けば行くほどそれが目立った。人ばかりではない。私たちが日本から連れて行ったシェパード犬ウィ(写真:毛がフサフサだったウィ)には、アフリカで官舎の庭の土から蝿の幼虫が皮膚を食い破って体内に入った。フサフサだった毛が抜け、違う犬種のようになった。体全体にハエウジ病が拡がり化膿した。週末、妻とウィの体中から蛆を指やピンセットで出した。妻が言った。「化膿するということは、ウィの体内で侵入した細菌とそれをやっつけようと戦った細胞の残骸なの。だからウィの体は必死に戦っているの」 普段虫を見れば、大声を上げ逃げ惑う妻が、素手で2本の親指と爪を使って蛆を押し出し、新聞紙の上に並べ潰した。

 何故私が菅原大臣の“膿”に執着するのか。私は「膿」に感謝こそすれ、悪いものと考えていない。確かに子供の頃は、膿は汚いモノ、気持ちが悪いモノと思っていた。辞書に書いてある『膿を出し切る=組織の荒廃などの原因になっている元を断つこと』は、どうしても膿は汚い悪いモノに思えてしまう。私たち生き物を守ろうとした結果、膿が出る。

 政治屋は、言葉の魔術師が多い。今回の関西電力と高浜町の元助役の関係は、私たち庶民には知ることのできない闇の世界である。膿は、命を守るための善と悪との闘いの結果生じるものだ。関西電力、元助役、町、県、国、マスコミ、警察のどれが善でどれが悪なのか。闘いなど初めから、なかったのである。ならば、膿はでない。大人の闇世界は、まるで地球の核のマグマのようだ。膿どころの話ではない。政治屋が絡む、森友問題、秘書暴行問題、省庁への口利き問題。何一つ“元”が明らかにされていない。膿が出るのは、善と悪が戦った証拠。原因になっている元と闘わなくては、膿は出てこない。

 菅原大臣自身も2013年に国会開会中にハワイへ旅行に出かけた。「政治経済事情視察」と申請書を提出していたが、実際はゴルフ三昧だった。同行してゴルフを一緒にした人に「嘘を申請したから大丈夫」と言ったとか。こんな人物に原子力というハレモノを管轄させる政府の中も得体のしれない闇がうごめく。生物体の中には、悪い細菌や病原菌が侵入してくると、善細胞がそれらに闘いを挑む。

 どうやら人間の闇の世界は、あの小さな善細胞さえやってのける悪いヤカラを攻撃して撃退させる仕組みがないらしい。だから膿は出てこない。「膿を出し切る」と言う前に、正常に膿が出る社会になるべきだ。

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