団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

小学校の思い出

2022年04月19日 | Weblog

  近くの小学校でも入学式が終わったようだ。新しいランドセルを背負った学童を見受ける。まだ小さいのでランドセルが異様に大きく見える。

 あのランドセルの中には、いったい何が入っているのか。私の記憶では、入学のお祝いで親戚からもらった文房具のセットが、入っていたように思う。あの頃、町の文房具屋で、入学シーズンになると、鉛筆、ノート、下敷き、線引き、消しゴム、などが入った特別に包装されたものが、売られていた。値段によって中身に違いがあった。親戚が奮発してくれたのか、私がもらったセットは、豪華版だった。保育園で使ったモノは、見当たらなかった。使ったこともない触ったこともない物ばかりに、興奮した。夢ではちきれそうだった。

 なにげなく毎日を過ごしていた生活から、学習という何だか重苦しい世界に、これから足を踏み入れなければならない不安を感じた。小学校の教室は、保育園の雰囲気がなかった。小学校に入ったばかりの頃、私は、時計の時間の読み方がわからなかった。周りの大人が、何時何分と言っても、何時というのは、わかったが、それ以外は理解不能。朝になったから、1日が24時間、1時間が60分、1分が60秒…。宇宙の彼方に放り出された様だった。分を読む時1なのに5分、2なのに10分、3なのに15分…。頭の中がこんがらかってしまった。しかし小学校での学習が、見事に私に時計の時間の読み方をわからせた。こうして何とか学ぶ世界に居場所を見つけることができた。

 小学校の中で好きな場所は、図書館だった。大きな部屋の中に本がたくさんあった。学年が進むにつれて、語彙も増え、読書が楽になっていった。読書が楽しくなった。加えて、学校で図書室の本を1カ月に何冊読んだかの行事があった。それが刺激になって多くの本を読んだ。本を読むと、大人への階段を一歩また一歩と上がっていける気がして嬉しかった。

 団塊の世代の先頭にいた。1クラスに50人以上の生徒。更に生徒が転校などで増え続けて、とうとう4年生から5年生になるとき、クラス替えがあって1クラス増えた。5,6年の担任は、私の学童生徒学生生活の中で最悪の教師だった。教師がいかに生徒の人生に影響を与えるかを経験した。

 小学校5,6年の教室でのことは、思い出したくない。5,6年生の思い出は、何と言っても春と秋の農繁休みだ。農家の子以外は、学校が割り振った農家へ手伝いに行った。学年クラスが別々な5,6人がグループになって農家へ行った。この楽しみは、昼食だった。農家が用意した美味しいご飯が食べ放題。白いご飯。家では食べられないものだった。私の手の指には、稲刈りの時、鎌で切った切り傷がしっかり残っている。

 今度のロシアのウクライナ侵略で世界の食糧事情が一変した。日本の食料自給率は、低い。私は、再び小学校中学校は、自校農園を持って、生徒たちを動員して、せめて自校の食料は、確保できるくらいになるべきだと考える。自国の防衛は、軍隊ばかりではない。国民の食糧を確保するのも防衛である。勉強は、教室で学ぶだけでは不十分である。

 小学生の私でも農家の手伝いができた。休耕田や放置田畑は、増える一方。立ち上がれ、全国の小中学校。やればできる。もうすぐあちこちで田植えが始まる。

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