団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

80歳のヒッチハイカー

2014年07月28日 | Weblog

 車の“車外温度”表示は32度と出ていた。私は人家も田畑もない山の中の国道を冷房の効いた車を運転していた。西瓜ジュースをつくろうと農家の直売所で10キロを超える2個の西瓜を1個500円で買って帰宅途中だった。

 道路脇に手を振る人がいる。「ヒッチハイカーか」と一瞬私は思った。待てよ、両手を高く上げて振っている。痩せた男性だ。身なりはきちんとしている。路肩に余裕なく2車線の道路の交通量も多かった。炎天下、道路の車との接触危険、熱中症の危険、何らかの犯罪の危険。私はエアコンのお蔭でそれなりの速さで危険度検討できた。

 緊急停車を後続車に知らせるハザードランプを点滅させて、できるだけ路肩に寄せて車を停めた。助手席側の窓ガラスを自動スイッチで開けた。「どうされました?」「すんません、車がパンクしてしまって。悪いけれど乗せてもらいますか?」「いいですよ。どうぞ」

 助手席は目いっぱい前に移動させてあった。後部座席の床に特大サイズの西瓜が鎮座している。「すいません。西瓜を後ろに置いているのでシート・・・」と私。「大丈夫ですよ」しばらくすると男性はエアコンの冷気に促されるように何が起こったのか説明し始めた。途中、私は彼が車のロックをしていないこと、カバンを置いたままであることを知った。「戻りましょう」と私はUターンして彼の車まで引き返した。車もカバンも無事だった。

 ことの顛末はこうだった。パンクした。路肩に車を停め、自分でパンクしたタイヤを予備のタイヤに替えようとした。あまりに長年パンクしたことがなかったのと、道具が軽量化簡素化されていて使い方が分からなかった。携帯電話で自分の会社へ電話しようとしたが繋がらない。車を停めて乗せてもらおうとしたが誰も停まってくれなかった。

 男性は市場を経営する会社の会長で80歳だという。朝3時に起きて市場へ行きその帰りだという。飄々と語る姿に風格さえ感じた。会長という肩書と乗っていた高級乗用車を見ていたので、失礼な質問をしてしまった。「運転手に運転は任されたらどうですか?」 彼は以前同じ道路で運転手が運転する車の後部座席に乗っていて運転手が居眠り運転をして電柱に激突する事故に遭った。消防署のレスキュー隊が押しつぶされた車から彼を救出するのに数時間かかった。脚を怪我しただけで他は何もなかったそうだ。30分ほどで彼の会社の前に到着した。降り際、彼は名刺を差し出し「助かりました。これお渡ししておきます」と頭を下げた。

 その晩妻にこの話をして彼の名刺を見せた。妻がタブレットで検索すると昭和44年に男性は船で大島沖の太平洋を12日間漂流して助かったことがあるという。80歳を迎えるまでの男性の人生に興味を持った。パンクしてヒッチハイクで私と出逢ったどうということもない小さな運、12日間太平洋を漂流して救出された強運、事業展開における数々の強運、大事故で助かった強運。私も彼との出逢いで少しでも運のおすそ分けをいただけたならと念じながら、西瓜の切り身をガーゼに入れ、力一杯絞ってジュースつくりに精をだした。

 

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