団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

貧困児童と佐世保高1女子同級生殺人事件

2014年07月30日 | Weblog

  ネットのニュース欄で「貧困児童」という見出しを見つけた。早速詳細を読んだ。日本は子どもの貧困大国で子供の6人に1人が「貧困」に該当するそうだ。たとえば学校のクラスで6人のうち1人は、児童の保護者が日本国内の平均的文化生活を維持できない収入しかないことを意味する。国内だけの相対的な比較らしい。貧困児童という言葉は、世界の深刻な貧困との混同を招く恐れがあり相応しい表現ではない。貧困児童の問題は、給食費未払いなどの保護者の倫理観に関わっていると思う。人がどんな収入を得ていようが、生活は個人の信条価値観で成り立つと私は信じる。私が小学生だった頃、クラス60名の内57名は、間違いなく現在言われる「貧困児童」に属していた。それこそ「ボロは着てても心は錦」の希望に胸を膨らませていた。親も他人に迷惑をかけるな、恥をさらすなと見本を見せる気骨を持って子育てしてくれた。貧乏は悲しかったけれど皆で耐えた。

 貧困児童で思い出すのは、ネパールでの2年4箇月、アフリカのセネガルへの妻の転勤に付いて2年間暮らした時の体験だ。双方の国は世界最貧国で年収700ドル以下と言われていた。一歩家から外に出れば、信じられないできれば目にしたくなかった貧しさの縮図が展開していた。とりわけ貧しさ故の若年労働につかされている子どもたちに心が痛んだ。学校なんて端から選択肢に加えられていなかった。どちらの国の貧しい子どもたちも外見に共通性がある。まず痩せている。着古された服が汚れている。裸足である。物乞いする子どもたちがたくさんいた。ネパールのカトマンズで若い男性アメリカ人観光客がネパールの少額紙幣の束を手に群がる子どもたちに泣きながら手渡しているのを見た。物乞いの子どもをレストランで食事させている外国人観光客も見た。彼らの気持は理解できるが、私はごく一部の貧しい子どもを一時的に助けても解決にならず、自分の心の負担を増すだけと理屈をつけ何の行動も起こせなかった。セネガルのダカールでは一様にトマトソースの業務用サイズの空き缶を持った子どもの集団が交差点の信号で停まる車に群がった。私は一度も彼らに金を与えたことはない。日本では見られない貧しさの光景をネパールやセネガルで数多く見た。日本の子どもの6人に1人が貧困児童であるというニュースをにわかには信じられなかった。私はネパールやセネガルで飢餓がどれほどの恐怖かを思い知らされた。愛より一切れのパンのほうが重要な所もこの地球には存在する。金銭の貧しさ、食べ物の貧しさ、教育の貧しさ、人間関係の貧しさ、愛の貧しさ、どの貧しさも人間に悪さをけしかける。貧乏は犯罪だと言う人もいる。

 貧しさと同じように豊かさも人間の心をむしばむ。佐世保の高1女子同級生殺人事件の加害者は、9月からオーストラリアへ留学する予定だった。1人で父親名義のマンションに住んでいた。貧しさのかけらも見当たらない。実母が癌で亡くなり、父親が再婚した。だからと言って殺人という大罪に結びつく理由にはならない。犯人に同情の余地はない。殺された松尾愛和さんの両親は「愛和をこれまで大切に育ててきました」と告別式で言ったそうだ。予期もせぬ突然の悲劇だった。愛和さんの死は、ただ狂気にもてあそばれた。両親が15年という長い年月をかけて愛しみ育ててきた。一瞬にして密室で命を絶たれた。その無念は筆舌に尽くしがたい。他の動物と違い人間の子育ては、残酷と思えるほど長い。一方加害者の父親は、せめて加害者が独り立ちできるまで子育てに専念して再婚を待てなかったのかと残念に思う。

  私は離婚後二人の子どもを引き取り「子どもたちが大学を卒業するまでは」の一心で16年間働いた。平均以下の夫で父親だった私が一人になってもできたのだから、誰でもその気になればできると思う。子育ては大事業である。覚悟と羞恥を乗り越える図太さが必要である。まず親が子育ての重要性に目覚めなけらばならない。せめて食事だけでも会話をおかずに向かい合って温かいご飯を一緒に食べる。世界の最貧地区から見ればとてもこんな呼び方ができるはずもない日本の「貧困児童」も未成年者による殺人事件も減少するはずだと私は信じる。

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