団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

冬の散歩

2016年01月27日 | Weblog

  ここ数日滅多に氷点下にならないこの町でもマイナス2度になった。

 散歩をしなければならない理由はある。糖尿病に対する3療法の食事療法、運動療法、薬物療法のひとつだからである。しかしあれこれ理由を見つけては家にこもることが多い。ずぼらで意気地なしの私と違って朝早くから散歩やジョッギングをする人々がいる。妻を駅まで車で送るが、その時間はほぼ毎日同じである。同じ人に同じ時間に同じ場所で出会うと何かとても安心するから不思議である。5人いる。

 まず駅に向かう時、車どうしですれ違いができない細い市道をおじいさん二人が横に並んで道を塞いで歩いている。私はクラクションを使わない。いつも妻にこのことで叱られる。なぜ使わないかというと自分が心臓に持病をかかえていて、パニックに弱いからだ。歩いていて後ろから突然クラクションを鳴らされると心臓が止まってしまうかと思うほどビックリする。クラクションを使わずにどうするかというと待つのである。歩行者が気が付くまで徐行する。妻は出勤前けっこう苛立っている。「なんでこの人達は道いっぱいに交通妨害してまで散歩するの。早く鳴らして。遅れちゃう」 それでも私は鳴らさない。細い市道ではあるが、車がすれ違うことができる場所がところどころにある。いくら鈍い人でも車の気配は1分以内には感じるものだ。だいたい7、8割の人は車に気付いて道の隅にどいてくれる。ダメな時は広くて追い越せる所までノロノロ運転する。

 イライラさせた妻を無事駅で見送って家に戻る。川沿いの決まった場所に夫婦で柵に持たれて川を覗き込んでいる夫婦を見かける。1年365日は大げさかもしれないが、毎朝この夫婦を見かける。この時間に散歩しているのだから、すでに退職しているのだろう。それにしても若々しく見える。オシャレとはいわないが、それなりの身支度はしている。身長も高いほうだ。何より二人とも脚が長い。春夏秋冬季節季節に相応しい格好で歩いている。健康そうである。夫婦仲好さそうである。なぜそう思うかと言うと、時々歩くのをやめて、まるで天皇陛下と皇后陛下のように適当な空間を挟んで穏やかに話している。夫婦仲良きことは良いことだ。お幸せに。

 日中、私はひとりで過ごす。ほとんどの時間書斎のパソコンの前に座っている。散歩に出るか出ないかの決断に時間がかかる。いくつかの条件を満たさなければならないからだ。まず晴れていること。朝の体重測定で体重が増えたこと。血液検査の結果がかんばしくない事。前日にちょっと食べ過ぎたかなと思った時などである。家を出るまでが大変だが、いったん家を出るとかつての道草王子は、好奇心を始動させる。冬の散歩は春夏秋と違って、観察する生き物植物が少ない。だからこそ冬の寒さの中でも元気に動き回ったり、健気に緑の葉をつけていたり花を咲かせていると嬉しくなる。

 昨日の散歩では、小さな日陰の畑で元気なキャベツがギュッと玉になっているのに見惚れた。道の脇の花壇の土が霜柱に持ち上げられているのを発見した。川べりの小さな住宅の屋根の煙突から煙が上がっていた。

 世の中、賄賂だテロだ暴落だといろいろ騒がしい。散歩に出て、子どもの頃のように道草感覚で自然に目を向ける。しばし自然に吸収されて、自分が人間であることを忘れる。家に戻ると暖房をしていなくても暖かい。ほっとする。さて今夜は何を作って夕飯で疲れて帰宅する妻を喜ばそうか。

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