団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

『命の嘆願書』

2023年09月20日 | Weblog

 【都合により9月22日投稿予定を本日投稿】

 私は、小学校6年生の時、パールバックの『大地』を学校の図書館から借りて読んだ。王龍(ワンルン)の妻阿蘭(オラン)が農作業中に産気づいた。阿蘭は、家に戻り出産した。すぐに生まれた赤子をツブラ(藁製の赤ん坊を入れておく籠状の物)に入れ、ツブラのヒモを口に咥えて、這って引っ張って畑に戻った。4歳の時、生母を失くした私は、阿蘭の母親としての凄さに圧倒された。いつしか自分の生母と阿蘭を重ねた。泣いた。本を読んであれほど泣いたことはない。長い間、私が読んで一番感動したのは、『大地』だった。

 15年ほど前、小林多美男著『忘れられた墓標』(全3巻 人間の科学社発行)を読んだ。衝撃を受けた。『大地』を読んだ時のようだった。妻にも友人たちにも読んでもらった。妻も感動した。私は、小林多美男に興味を持った。わざわざ京都府の舞鶴の引揚者記念館へ調査で行ったこともある。小林がシベリアから1951年に舞鶴に帰って来た時、小林は、アメリカ軍によって数週間にわたって取り調べを受けた。何か手がかりをつかめたらと願った。まず記念館では、親族以外に資料は公開できないと言われた。友人の大学教授にアメリカの公文書図書館で小林の資料文献を探す方法を教えてもらったが、実現しなかった。

 小林多美男について多くのページを割いて書かれた本『命の嘆願書』(井手裕彦著 集広舎発行 8800円+税)を多美男の長女がわざわざ届けてくれた。厚さ6.6㎝重さ2.8㎏文字数135万字。注:(小林多美男 1914年横須賀に生まれる。1934年渡満 翌1935年憲兵、主として東北満地方で満州国治安対策、対ソ諜報勤務に従事、その間ロシア語を専攻する。1946年7月末熱河省承徳に転勤。終戦を迎え、特命憲兵少佐を命ぜられ、軍使となって終戦処理に当たる。その後ソ連に抑留、外蒙古、シベリアを転々。1951年帰国 1985年小説『忘れられた墓標』1部2部3部を人間の科学社から出版) 出版後、数年のちに他界した。

 『命の嘆願書』の著者井手裕彦氏は、この本を3年間で書き上げたという。もちろん現役の新聞記者であった当時から資料を集め、証言を書き留めていたであろう。本を出版するのがどれだけ大変なことか私も経験した。資料集めや関係者への取材に、常に高い壁が立ちふさがる。それを越えてこそ、一冊の本が誕生する。小林多美男は、70歳を過ぎてから書き始めている。家族にも話さなかったことも赤裸々に綴った。井手裕彦氏もおそらく小林の著書を読んで影響を受けたと信じる。

 まだ読み始めていない。毎日、『命の嘆願書』を持ち上げ、重さを感じる。私が小林の足跡を知りたいと願って、舞鶴へ行ったり、アメリカの公文書館へ調査に行こうと思って、実現できなかった。でもこの『命の嘆願書』に大きな期待がある。私が知ろうとした小林多美男の事の多くが文字になっているであろう。最近、集中力の欠如か、本を長い時間読むことができない。そんなことは言ってはいられない。読めなくなる前に、どうしても読んでおきたい。

 妻も読む気満々だ。冗談で、妻に通勤の電車の中で読んだらと言うと、「鞄の中の弁当だけでも重いのに、どうやってそんな重い本持ち運ぶの?でも読みたい」 しばらくは、私たち夫婦の多くの時間が『命の嘆願書』を読むのに割かれ、話しもする。嬉しい贈り物である。

 小学生の時の『大地』。同じくらい感銘した『忘れられた墓標』。『命の嘆願書』はいかに。

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