団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

家族

2024年07月12日 | Weblog

  カテーテル施術を受けるために入院した。病院は東京都内にある大病院だった。建物は立派。病院で働く人の数も多い。立地もいい。しかし今までに入院した病院と比較して居心地は最低だった。

 入ったのは4人部屋だった。4つのベッドすべてが埋まっていた。カテーテル施術を受けるのは入院2日目だった。カテーテル治療は午前9時から始まるらしい。私の順番は2番目なので、9時過ぎたらカテーテル施術室の待機所で1番目の患者の施術が終わるのを待つと、前の日の担当の看護師に言われていた。ところが9時になっても10時になっても、11時になっても、12時になっても誰も来ない。看護師が迎えに来たのは、12時45分だった。遅れた理由の説明もない。過去カテーテルを7回受けた。こんな対応は初めてである。不安になった。加えて朝食抜きで昼食の時間も過ぎていた。空腹は人の感情を乱れさせる。普段家では朝食を5時30分にとっている。昼食は11時過ぎ、夕食は7時前。カテーテルを受ける前に、気持ちはひどく落ち込んでいた。

 カテーテル施術が始まった。無影灯が天井から横たわる私に当たっていた。局所麻酔をカテーテルの挿入箇所にうたれた。カテーテルが下腹部から右脚の血管内に入って行った。以前受けたカテーテルの名医師と比べると、手際が悪く、私への語り掛けも何か自信が感じられなかった。血管が閉塞している箇所に造影剤を入れても、モニターにはっきり映らないと医師が言った。まだカテーテルを始めたばかりだ。医師が「血管が詰まっている箇所が3か所とも、レントゲンに映りにくい場所なので、ステントを入れるのもバルーン拡張も危険が伴います。どうしますか?」と聞かれた。

  2001年に受けた心臓バイパス手術を受けた後、左脚の太ももから取った血管を心臓の冠動脈に移植したが、術後間もなく機能していないとわかった。さらに最後の頼みだったバイパスに使った内胸動脈がクランク状に屈折していることが判った。病院を変えた。これをカテーテルで治してくれた医師は、術中「クランクになっているところを修正するのは、血管を突き破る危険があるけれど、私、自信があるのでやってもいいかな」と私に問うた。彼の自信あふれた態度と優しい問いかけに「お願いします。やってください」と答えた。

  私は今回のカテーテルで危険を冒すのを回避する決心をした。すでに齢76である。今度の誕生日で喜寿を迎える。危険を冒して治療しても、このままの状態を維持しても余命にそれほど違いはないだろう。これだけの痛い思いをして、治療できないことはショックだった。腹も立った。最後に医師が、「この3本の動脈は確かに塞がってしまったけれど、下のほうに新しいバイパスの役目をしてくれる血管がたくさん血を供給してくれるようになっています。これは運動療法の成果でしょう。これからも続けてください」 嬉しかった。散歩が新しいバイパスを私の体の中で作ってくれている。

  妻は2回見舞いに来てくれた。カテーテル施術を受けた次の日の夕方、仕事終わりの長男と嫁さんが病院に見舞いに来てくれた。退院の日、娘が会社を休んで、私と妻を家まで車で送ってくれた。入院生活色々不満はあったが、こうして息子夫婦と娘とゆっくり話ができたこと、妻との生活がどれほど幸せなことか身に染みて再認識できた。家族っていいな。

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