団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

渡部建さん、宮崎謙介さん

2020年12月11日 | Weblog

 最近ニュースでファンでもない興味もないタレントの渡部建さんの会見を観た。全部聴いたわけではないが、聴いた限りでは、会見の仕方が下手だなと感じた。相手の発言をさえぎり、ダラダラ話し、泣いたり、質問なのか糾弾なのか、目がうつろで、お行儀が良くない、きちんと話せない、聞けない、一貫性がない、決めつけが激しい、礼儀も何もあったものではない。会見は、議論ではないが、ここに議論のルールというフィンランドの小学5年生が書いたものがある。会見の模様をピタリと表している。

  議論のための10のルール:①相手の発言をさえぎらない。②話す時は、ダラダラ喋らない。③話す時、怒ったり泣いたりしない。④わからないことはすぐに質問する。⑤話をする時は、相手の目を見る。⑥話を聞く時は、他の事をしない。⑦最後まできちんと話を聞く。⑧議論をひっくり返さない。⑨どのような意見も間違いと決めつけない。⑩議論は礼儀正しく親切に。

  テレビに出まくる芸人やタレントの多くは、テレビカメラに映る、テレビカメラに撮られる度胸だけだと、私に思えることが多い。テレビでは、ワイワイガヤガヤやってるが、実は中身が薄っぺらである。渡部建さんの会見は、議論ではないが、10のルールを一つずつ渡部建さんの会見に当てはめてみると理解しやすい。渡部建さんだけでなく、質問する記者たちにも、このルールは当てはまる。

  日本の教育は、高水準なものだと思う。しかし正しい議論の仕方が、学校教育の中に組み込まれていない。残念だ。芸能人、政治家、役人、経営者どの職業に就く人でも、議論やスピーチの訓練は、必要である。最近ドイツのメルケル首相がコロナ感染の拡大に関するスピーチは、素晴らしかった。日本の首相、官房長官のあのシラッとした、目が泳いでいる話し方とは違う。

  渡部建さんが何をしたかに興味はない。私はカナダで学生時代暮らした。ネットフリックスやアマゾンプライムで観る映画やドラマは、留学時代の生活を彷彿させる。私が留学中に感じたのは、人間が性欲を持つのは、自然なことだということだった。高校はキリスト教の厳格な全寮制だった。ここではもちろんモーゼの十戒にある“汝、姦淫するなかれ”をはじめとした、がんじがらめな校則があった。あのような厳しい学校があるのは、他が厳しくないからである。アメリカでもカナダでも多くの家庭に招かれて滞在した。親の子供の性に関する態度に共通性を私は見出した。自分もそうだったから子供がそうでも当たり前。とても自然でわかりやすかった。

  私が日本で通った高校は、いわゆる進学校だった。見方のよれば、日本の高校の方がカナダの厳格なキリスト教の高校よりもっと修道院のように思う。日本の高校にも性に関してませた生徒がいた。性の経験を自慢げに話していた。世間では、そういう生徒を不良と呼んだ。アメリカやカナダの多くの子は、日本でいう不良なのだろう。宮崎謙介さんの不倫のニュースを観て、日本の高校での性体験を自慢していた生徒とダブった。

  ネットフリックスでもアマゾンのアメリカ映画やドラマでも、トイレでの殺しやセックス場面が多い。渡部建さんもアメリカ映画やドラマの影響を受けたのではと思ってしまう。性に関しても犯罪行為は、もちろん許されない。芸能人であれ誰であれ、法を犯さない限り私生活に、なにびとであっても立ち入るべきではない。日本での渡部建さんの会見を観ていて、どうして男と女の関係だけを、こんない厳しく取り上げて、男と男や女と女の関係は取り上げないのだろう、と思った。テレビには、多くのLGBTや性同一症の人が出演している。彼ら彼女たちの性スキャンダルは、まずマスコミは取り上げない。平等であるべきではないだろうか。不思議に思える現象だ。

 アメリカ人の友達の父親の性に対する言葉「自分たちもそうだったから。自然なことだから」と、 私が日本で預かって半年同居したアメリカ人高校生が避妊具を私に見せて「お母さんが私に持たせて、絶対、女性を妊娠させてはダメよ,と言われた」と彼が言ったことを思い出す。日本の人口が増えない理由の一つに、行き過ぎた性の抑制と罪悪感のような不自然さがある気がしてならない。

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