団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

東京駅駅舎

2017年11月21日 | Weblog

①    東京駅

②    イタリア ヴェネツィア サンタ・ルーチア駅

③    信越線 上田駅

 ①     11月20日月曜日テレビ東京の『世界!ニッポン行きたい人応援団SP』20:00~21:54を観た。泣いた。ブラジルのトメアスから63年ぶりに日本へ戻った日系1世草野恒雄さん69歳が私も大好きな東京駅の駅舎の前に立った。(写真参照:東京駅駅舎と草野さん)

 草野さんは6歳の時、両親と1歳の妹と4人でブラジルへ移民した。4人子供がいて、そのうちの2人が日本に住んでいる。日系移民は、日本に見切りをつけ、夢を追って新天地へ渡った。しかし新天地は、けっして夢の地ばかりではなかった。日本政府の長期展望に基づく政策なしの、単なる口減らしのような移民政策が取られた時期もあった。草野さんの両親が入植した地も“緑の地獄”と呼ばれるような荒れ地で農地には不向きなアマゾン流域の奥地にあった。

 私は高校生でカナダに渡り、多くの日系移民の方々と接した。第二次世界大戦下、敵国人として収容所に入れられ、職業も財産も取り上げられた。それでも戦後、勤勉で努力家の日系人の多くが生活基盤を取り戻した。教育熱心で多くの2世3世達は、医者、弁護士などの職業について活躍している。その日系人たちのほとんどが、人種差別にあっている。市民権を持たない私が差別されるならまだしも、市民権があって国の役に立つ日系人が差別されるのは不当である。そして今、彼らを韓国系、中国系の移民たちが、慰安婦像の設置を推進して苦しめ始めている。このような理不尽に対して、日本政府の無力さが、さらに日系移民をも苦しめる。

 どんな仕打ちを受けても日系人の中に流れる日本人の血は、故郷への想いは消えることがない。草野さんは、カナダアメリカの日系人ほどの直接的な差別や仕打ちは受けていないようだ。しかし日本へ里帰りできるような収入は得られなかった。たった二人で東京ドーム6個分の広大な農園で働いている。月の収入は、年金こみで7万円。日本への里帰りは到底無理な話である。2世である子どものうち、二人は祖父母や父にとって新天地になるはずのブラジルから日本へ出稼ぎに来るはめになった。時代に翻弄され、裏目になってしまう。日系移民に草野さんのような方はおそらくたくさんいることだろう。母国とは、これほど薄情なものなのだろうか。

 東京駅は改築工事が終わり、建設された当時の姿に戻された。草野さんは、近代的高層ビルが林立する東京で、昔の日本の姿を見せる東京駅駅舎を見る姿が私の胸を締め付けた。少しだけだけれども草野さんの心中が察せられる気がした。

②    ヴェネツィアは私が世界で一番好きな場所である。そこの入り口へ鉄道が入江を渡って到着する。駅舎の外は、鉄道ばかりでなく、自動車の終点でもある。ここからヴェネツィアへは、水上交通しかなくなる。こんな駅は他にない。

③    信越線にまだ蒸気機関車が走っていた頃の上田駅。私は小学生の時、時間があれば、駅に行き、改札口から汽車を見ていた。改札口は4,5個あって使われていない改札口が必ずある。そこは台になっていて、普段は駅員が立って仕事をする。新幹線が通った現在の上田駅とは、比べ物にならない小さな駅舎だった。

  カナダ留学へ出発する日、母が自転車の荷台に私のたった一個の小さなスーツケースを縛り付けて家から駅まで送ってくれた。あの日の上田駅の駅舎が目に焼き付けられている。

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