団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

ペットの思い出

2017年10月10日 | Weblog

①    ベオグラード空港事件

②    ゴルフ場の猫

③    妹のひよこ

①    妻の最初の海外赴任地はネパールだった。親戚のつてで優秀な警察犬の親の血を引くシェパードのオスを連れて行った。名前は“ウイ”。ネパールで3年半そしてセネガルで2年“ウイ”は、私たちを守る警備犬、愛すべきペットだった。旧ユーゴスラビアのベオグラードへの転勤が決まった。犬の輸送に定評があるスイス航空を選んで私たちと同じ便でベオグラードに向かった。

 10月9日午前9時羽田空港で、一時、滑走路が閉鎖される騒動があった。乗客から預かった飼い犬が滑走路の周辺を40分余りにわたって逃げ回った。犬は飼い主の協力を得て保護されたが、旅客機が着陸をやり直すなどして合わせて14便に遅れなどの影響が出た。

 このニュースを観て、ベオグラード空港での私の経験を冷や汗と共に思い出した。無事ベオグラードに到着して入国手続きも終え、出迎えの人々と挨拶を交わしていた。そこへ空港警察官と空港職員がやって来た。「あなたの犬が貨物室でケージから出て荷物が降ろせなくて困っている。すぐ一緒に来て犬を捕まえて欲しい」と言われた。私は彼らと飛行機に戻った。貨物室は機体の下部にある。地面から3メートルほど高い。荷物を積み下ろすリフトに乗った。貨物室は荷物でいっぱいだった。ウイのケージがあった。無残にもケージは、壊されていた。作業員は犬を恐がり外にいた。私は「ウイ、ウイ、もう大丈夫だ。出て来て」と声を出した。貨物室の奥から「ウーゥウーゥ」と獣の攻撃態勢の唸り声が聞こえた。私は怖くなった。それでもニオイで私と分かったのか、だんだん唸り声がいつもの甘え声に変わった。そしてついに私に向かって体当たりするように抱き着いてきた。首輪を押さえながら、機外へ出た。10人くらいユーゴ人のごつい作業員がリフトの下で拍手をして待っていた。ちょっといい気分だった。

 犬をペットにしている人は多い。人間以上にお犬様として接している人もいる。私の経験から言えば、犬も獣である。あのケージを壊したのは、おそらく機内の音や速度など普段と違う環境から本能的に逃げようとしたのだろう。大型犬用の頑丈を売りにしたケージはひとたまりもなかった。セネガルで車の下に逃げ込んだネズミを追い、ウイは車をボコボコにしてしまった。犬はペットとして最高である。犬の扱いには、細心の注意が必要だ。

②    セネガルのゴルフ場で経営者のペルシャ猫が子猫を生んだ。父親はゴルフ場に住み着いていた野良猫だった。経営者夫婦が子猫を埋めようとしていた。私はお願いして子猫をもらい受けた。ちょうど妻が猫を飼いたいと言っていた。それに彼女の誕生日だった。プレゼントにした。“福”と名付けた。しかしまったく私たちに慣れることはなかった。セネガル人のメイドさんだけには慣れた。メイドさんは福をかわいがってくれた。後任者に福は引き取られた。その後また後任者に引き取られ福はおとなしいペットとして可愛がられた。

③    私が小学生の時、妹がお祭りでヒヨコを買ってきた。メンドリで大きく成れば卵を産むと言われたそうだ。妹はとてもかわいがっていた。ある日私はコタツに潜り込んだ。何か尻の下でグニャとしたような気がしたが、それ以上探ることもなく寝てしまった。妹の泣き叫ぶ声で目を覚ました。妹は泣きじゃくっていたが、何を言っているのか聞き取れなかった。「・・・殺し・・・」だけ聞こえた。私はコタツに入れてあった妹のヒヨコをつぶしてしまった。ずいぶん長い間妹は私を許さなかった。そして私は「殺し」の呪縛から解放されなかった。

 ペットは人間にとって素晴らしい癒しの存在である。しかし生き物であり、かつては野生動物だった。やはりそのことを忘れずに飼わなければならない。面倒を見切れなくなって、捨てたペットが繁殖して、日本の生態系を壊している。ペットが逃げ出して、人間に危害を加える事件も多い。まず「うちのペットに限って~」の考えを捨てることだ。犬の怖さは、想像以上である。いつ何がきっかけで変身するか分からない。私は壊された車、ケージな無残な姿を時々夢でみる。

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