団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

バブル期と変わらない銀行

2024年04月09日 | Weblog

  ネットのニュースにタレントの上沼恵美子さんが、最近失礼な態度をとった銀行員に腹を立て、即座にその銀行の預金を解約したとテレビ番組の中で話したことを読んだ。私の妻も、同じような理由で、先週銀行から預金を他の銀行に移したばかりだった。

 私がまだ長野県で塾を経営していた時、世はまさにバブル絶頂期だった。会社を経営していた知人と銀行借り入れの話をしていた時、「ところで、銀行のゴルフに招待されたことある?」と尋ねられた。私は、ゴルフをしたことがなかった。銀行とゴルフに何の関係があるのかと不思議に思った。知人が続けた。「銀行は、貸しても良い客とダメな客を選別していて、ゴルフに招待されるのは、銀行が認めた良い客だけなの」 知人は、もちろんゴルフに招待された銀行に認められた良い客だった。そう言った知人もバブルが弾けると会社が倒産して、家族と夜逃げしてしまった。私は、自転車操業だったが、何とかバブルが弾けた後も塾を存続させることができた。銀行とは決して良い関係ではなかった。

 私は、塾を閉鎖して、再婚した妻の海外赴任に同行した。ゴルフを夫婦で始めた。ゴルフがこれほど楽しいものだと初めて知った。ゴルフと聞くと、バブル期の銀行主催のゴルフを思い浮かべ、良い印象を持たなかった。

 銀行と良い関係を持てなかったのは、私だけではなかった。妻も銀行といろいろと問題があった。最初東京のみずほ銀行に口座を持っていた。住宅ローンのことで、みずほ銀行の女性行員の失礼な態度に腹を立てていた。ちょうどその頃、終の棲家として購入した集合住宅に静岡銀行の行員が勧誘に訪れた。私はいろいろ彼の話を聞いて、この人ならと思って、妻に静岡銀行と取引するよう勧めた。こうして静岡銀行との取引が始まった。しかしそれも長くは続かなかった。勧誘に来た行員の転勤によって、いろいろ面倒が起きるようになった。

 1カ月前、預金の件で、妻が静岡銀行の担当者に電話した。担当者に繋ぐよう交換手に告げると、担当者でない行員が電話口に出て、「〇〇さんは、退職しました」と言われた。それ以前だったら、担当者が交代すると必ず引継ぎがあった。電話に出た女性行員は、何も引継ぎがなされていなかったので、まるで話が通じなかった。

 後日、私は、妻に静岡銀行を勧めた責任を感じたので、静岡銀行へ出向いて、店長と話そうと思った。銀行の受付で「店長いますか?」と尋ねると「はい、おりますが、ご用件は?」と聞かれた。説明した。ブースに通された。出て来たのは、次長だった。店長は、私との面会を拒否したのである。妻と後日、静岡銀行の頭取に手紙を書いた。担当支店の説明を文書で申し込んだ。でも文書は、結局届かなかった。

  銀行に詳しい友人に相談した。友人は、私から見ると資産家である。彼は、「銀行なんて、10億以下の預金者なんて相手にしていないって。何かしてくれると、期待しちゃダメ。」と言いながら、銀行をすぐに代えろと彼の取引している銀行を勧めた。

  最近、テレビで銀行の新規口座開設の宣伝が多い。銀行は、預金を集めて、その金を貸して利ザヤを稼ぐのが仕事。庶民の預金だって一人10億は無理だけれど、百万円ずつ千口なら10億になる。銀行がいつまでこんな高ピーな態度をとっていられるか。政治屋の裏金問題も、銀行の不遜な営業態度も、自分たちを偉い者と勘違いしているからだと思う。やはり人は、目配り・手配り・気配りが基本で、謙虚な気持ちが大切だと思った。預金は、移すことにした。

 


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