団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

タケノコ チョコチョコ グングン

2024年04月25日 | Weblog

  数週間前からエアコンもデロンギのオイルヒーターも使わなくなった。1年で春と秋にくる快適で好きな季節がやってきた。追い打ちをかけるように、裏の竹林のあちこちからタケノコが顔を出し始めた。去年は、タケノコ、ほんの数本しか出なかった。今年は、我が家の前だけで10本以上出て来た。

 15日に毎年タケノコを届けてくれる友人から電話がかかってきた。タケノコの準備ができたので届けてくれる連絡だった。友人にタケノコ採りの名人がいて、早朝に山に入って日が昇る前にタケノコを掘ってくるという。太陽が出てから採るとエグミが強くなるそうだ。名人にはこだわりがあって、タケノコへの思い入れを感じる。友人は、ただタケノコを採ったまま私に渡すのではない。届いたタケノコを夫婦で剥いて、特別な野外のかまどに大きな鍋で茹でる。鍋の中に、米ぬかなどのアク抜き用の家伝の配合物をいれる。茹でてすぐいただけるわけではない。友人は、ゆっくり茹でたタケノコを鍋にいれたまま冷ます。大変な作業である。山菜は、どれも下ごしらえが大変である。頭がさがる。いただいたタケノコは、サシミ、筑前煮、タケノコご飯にした。春を舌でも味わった。

 タケノコは好きだが、竹があちこちで他の樹木の林や森を侵食しているのは心配だ。私の散歩コースの川に竹のジャングルがある。まったく手入れされていない。茂り放題である。密生してしまい、陽を浴びない竹は、枯れてしまう。その荒れた姿を見るたびに、京都や修善寺の手入れされた美しい竹林を思い浮かべる。私が子供の頃、農繁休業があって、農家の子以外の生徒は、割り振られて農家の手伝いに行った。報酬は、お昼ご飯、白いご飯の食べ放題だった。稲刈りでは、鎌で指を何か所も切ったが、それでも良い経験だった。何より白いご飯が嬉しかった。私は、学校教育の一環として、竹林の管理を生徒たちがしたらいいと考えている。生徒たちは、その代償として、毎年整備された竹林の中で、タケノコ採りを楽しむ。今の教育現場で、あのような農家支援をしたら、反対意見続出であろう。経験を伴わない、危険を回避してばかりの教育に未来を期待できない。

 集合住宅の我が家の裏の竹林、我が家は1階にあるので、同じ高さで見ることができる。毎日、妻と「チョコチョコ出てきたね」「グングン伸びるね」と緑色の竹の中に濃い茶色の皮をまとったタケノコを眺めている。その伸び方が気持ちいい。まるで童謡の『せいくらべ』の歌詞のように私は感じる。『せいくらべ』は、人間の背が伸びる喜びを歌う。竹に比べたら人間の成長は遅い。竹は数週間で10メートルにまで達する。ドジャースの大谷選手でさえ192㎝である。竹の成長は、驚異的である。

 今日、雨の中、もうすっかり成長したタケノコは、もはやタケノコとは言えない。竹にもまだ早い。青年という感じである。裏の竹林は、造園業者が管理してくれている。だから安心して竹林の美しさを楽しめる。

 今の政治の世界は、荒れ放題の竹林にみえる。自分たちで良いようにやり放題して、挙句の果てに国民の首を絞める。荒れ放題にさせたのは、間違いなくそういう政治屋をのさばらせることを許す有権者である国民なのだ。荒れたジャングルを整備してスッキリとさせ、次に出てくるタケノコ、もとい若い人材を守り育てたいものである。


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