団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

お前もその年が来るんだよ、ばかやろう

2024年04月01日 | Weblog

 次の衆院選への不出馬に関する会見で記者から「このタイミングで次の衆院選の不出馬を決められたっていうのはやはり、政治資金パーティーの問題不記載であったことの責任を取られたと考えていいのか。それとも、(二階氏の)ご年齢の問題なのか」と問われたことに対し、二階氏が「おまえもその年、来るんだよ。ばかやろう」と答えた。

 私は、二階俊博元幹事長(85歳)がテレビに登場するたびに、歩き方や肌の色や髪の毛などに年齢相応の変化を見ていた。今回の会見で言い放った「おまえもその年、来るんだよ。ばかやろう」に私は強く反応した。思い出した。哲学者で文筆家池田晶子の遺稿『週刊新潮』の『墓銘碑』に書かれていたローマの墓銘碑「次はお前だ」。あの会見が映画なら二階さんの演技は、宇野重吉や志村喬なみだった。特に「ばかやろう」には、二階さんの万感が閉じ込められていた。“ばかやろう”は、決して良い言葉ではない。他人に言ってはならない言葉である。あの“ばかやろう”は、二階さんが自分に、どうにもならない人間の老いに苛立ちに発した言葉ではないだろうか。

 私自身、コキロク(古稀+6歳=76歳)で脚は原因不明の痛みと痺れなど年齢による劣化を日々感じている。昨日、住む町でマラソン大会があった。二千人以上の参加者があったらしい。たまたま散歩コースにマラソンコースが一部含まれていた。朝10時のスタートだった。15分前頃マラソンのスタート地点を通った。胸にゼッケン番号をつけた老若男女がウォーミングアップで準備体操したり走っていた。同じ人間には思えない。特に老人と思われる参加者の顔や皮膚は老人でも、脚や筋肉などは、サイボーグのようだった。老人といってもいろいろな年の取り方がある。私は、自分の現状を素直に受け止めようとしている。あきらめていると言った方が、正しい。

 子供の頃、周りに年寄りは、今ほど多くなかった。時に70歳80歳だという人に会うと、絶対に歳をとってあのような姿になりたくないと思った。すでにコキロクになった。子供の頃、絶対なるのが嫌だと思った老人になった。妻はまだ働いているが、私は家にいて、待つのが仕事で散歩が日課。テレビでアメリカ大リーグドジャースの大谷翔平選手の活躍や、選抜高校野球球児たちの躍動、大相撲の力士たちの活躍を楽しんでいる。もう自分にはない若さを静かに傍観している。

 後ろを向けば、若い頃の失敗ばかりがよみがえる。どんない悔やんだところで取り戻すことなどできやしない。今に向き合えば、これもできないあれも無理。将来に向き合えば、拡声器から「次はお前だ」のシュプレヒコール。散歩は、そんな雑音を消してくれる。目が耳が桜の開花を、鳥のさえずりを、ツバメの飛行を、木々の芽吹きをとらえる。杖がなければ歩けないが、それでも小さな歩幅で前に進む。最近、万歩計の数が増えた。歩幅が小さくなってしまったせいかもしれない。万歩計の数字に一喜一憂する。

 二階俊博元幹事長(85歳)を政治家として評価はしない。あのタイプは、好きになれない。でも同じ老いを背負っていることには、共感する。どんな生き方をしても必ず終わりがくる。今年も見事な桜を見ることができた。穏やかに生きて、来年も桜を見られたら嬉しい。

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