団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

低頭族

2012年05月15日 | Weblog

 台湾ではスマートフォンやタブレット型の機器の操作に夢中になっている人々を「低頭族」と呼ぶそうな。さすが漢字の国である。低頭には、うつむくという意味があるという。私が初めてこの低頭族という言葉を見た瞬間、閃いたことは、手をモミモミしながらペコペコするオベッカ族、もしくは私がそうだったように学校の成績が良くない人の連想だった。説明を読んで感心した。これを英語で言ったら、動物などの名前を持ってきたり、頭文字だけ並べて新語らしくする以外、3つの英単語では納まらないだろう。改めて漢字の絵文字のような表現力におそれいった。

 町に出れば、どこもかしこもスマートフォン、携帯、i-podを操作しながら歩いたり、車を運転する人で溢れている。時々自転車で携帯を使いながら走っているのさえ見かける。ここまでくると曲芸の世界である。電車に乗れば、低頭族が車内を制圧している。本を読んでいる人を見かけると、嬉しくなり声をかけたくなる衝動にかられる。日本から遠く離れた外国で、同胞に会ったような気持になる。

 私はスマートフォンなどの高機能端末を持たない。持たない、というより持てない。なぜなら高機能がゆえに私の知能と技能では操作できない、もしくは高機能を到底、使いこなすことが出来ないと判っているからである。現在持つ携帯電話でさえ、電話とメール機能以外使えない。不便を感じていない。日常生活に支障もない。ただ携帯電話にかけてくる人々から「どんなにかけても繋がらない」と始終、文句を言われる。妻には「あなたの携帯は、不携帯」とまで決め付けられている。

 私は歩く時、電車に乗って席に腰掛けている時、立っている時、姿勢に気を使う。背筋をピーンとさせていたい。普段机に向かって読んだり書いたりして猫背でいる時間が長い。せめて机から離れたら、背筋を伸ばしてやらないと可哀想と思うからだ。背筋を伸ばす一番の方法は、頭を高い位置にすることだ。つまり「高頭族」になればいい。「低頭族」と「高頭族」。中国語に「高頭族」という表現があるかどうか分からない。でもこれは何となく、高慢不遜な人々を連想させてしまう。東京電力、AIJ、オリンパス、官僚、天下り族、政治屋、宗教屋などなど。これから「高頭族」を大いに使ってみようという意欲がなくなった。二番煎じは、やはり浅はかであった。結論、「高頭族」は使わない。

 私のように、一日中ずっと一人で部屋にこもっていると人恋しくなる。だから知人や親族が訪ねてくれると嬉しくて、ついはしゃいでしまう。相手の存在を目で確認できることが何より嬉しい。相手の反応を顔色などで直接、判断できるのもこころよい。電話ではそうはいかない。外に出れば、私の内なる好奇心が暴れ出す。キョロキョロ、ウキウキ落ち着かない。道すがら、また車窓からの眺めも見逃せないスポットが多い。そんな時、私の頭の位置は高く背筋も伸びる。

 人間が自然に対するとき、心理作用でそっくり返ることもうつむくこともない。ただ視覚の都合だけである。素晴らしいことだ。できるだけ自然に目を向けることをこれからも心掛けたい。

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