団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

預かり子教育

2009年07月14日 | Weblog
 江戸時代、7、8歳から15,6歳までの子に養育料を付けて他家に預けて一定期間教育してもらったり、お互いに他家の子を預かる相互教育システムが日本にはあったという。“可愛い子には、旅をさせろ”という格言もある。大家族制から核家族化に移行した現在、個室を当たり前のように与えられ、衣食住に何の不自由もない子どもたちが、引き篭もり現象を起こしている。引き篭もることによって、完全に孤立しているかというと、パソコン、テレビ、携帯電話、ゲームなどのバーチャルで便利な最新情報通信機器により他の世界としっかり繋がっている。この現象は、決して自然な状況でないことは、だれの目にも明らかである。にもかかわらず、問題が解決される道筋は、見えていない。これに拍車をかけるように、家族単位の孤立も進んでいるように思われる。日本の社交は、冠婚葬祭が中心といわれている。家庭で家族でも親戚でもない他人を招くことは、稀である。家を要塞化して孤立するのではなく、多くの人々との交流おもてなしの場にすれば、子どもたちには、またとない人間関係を学ぶ機会となるに違いない。バーチャルで話すことのない関係より、顔を合わせて直接話す機会を創出したい。 

 私は、江戸時代の“預かり子(換え子)”の風習の復活を提案したい。今流行の海外ホームステイ制度は、この“預かり子”と同じものと言っていいだろう。ところがこのホームステイ制度、日本からアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドへの出ばかりで、受けいれがほとんどない、不平等制度となっている。現代日本の社会現象には、なぜかこのようなバランスのとれないものが多い。身勝手な成熟していない制度で、恥じるべきことなので改善されなければならない。まず国内で日本人同士の預かり子を普及させられれば、だんだんに国際的に通用する意識レベルに到達できるに違いない。白人への劣等感や、横文字文化への過度の憧れは、百害あって一利なしである。

 日本国内での預かり子は、各地商店会、日本青年会議所、各地青年団、商工会議所、農協などの組織ぐるみの事業とされることが望ましい。最初は夏休みなどの長期休暇を活用し、ゆくゆくは1年単位のものとなればよい。日本人は、個人的にも優秀である。ただ人見知り、はにかみなどという文化的国民性が、国際社会で誤解をまねくもとになっている。この性格は、核家族化がさらに拍車をかけているように思われる。“他人の家のメシを喰う”ことによって、学校、家庭教育ではできないことを、きっとこの預かり子方式は形にしてくれる。全寮制の学校や下宿することも“預かり子”と同様の効果があると思う。放っておけば、子どもたちは、どんどん育ってしまう。思い切って“虎は子を千尋の谷に落とし、這い上がってきた子だけを育てる”ぐらいの意識を持って、日本の往く末を案ずる人々の改革への一歩が踏み出されることを願う。
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