団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

沖縄の検疫

2020年08月13日 | Weblog

   コロナにひれ伏す日々である。そんな日常に変化をもたらすのが友人からのメールや電話である。関西に住む友人と電話で話した。友人は大学教授をつとめ、定年退職した。彼は退職した後も研究を続けている。年に何回も海外へ研究のために行く。ところがこのコロナ騒動で海外どころか、国内いや家の外へさえ出られなくなっている。程度に違いがあるかしれないが、彼も私と同じコロナウツのようだ。こんな時はコロナに関係ないことで彼が関心を持つことを話したほうがいい。しばらく話していると、みるみる彼が本来の元気を取り戻してきた。私と違って学識深く、話すほどに英知があふれ出す。直接会って話せたらと思うことしきり。今はこの方法しかない。先日のひきわり納豆の疑問を懇切丁寧に教えてくれた友人に続いての元大学教授の特別個人講義を受けることができた。こんなことをしてもらえる私は幸せ者である。

 私はこのところ疑問に思っていたことを次々に尋ねた。今回の新型コロナウイルスの日本国内での感染拡大は、検疫と保健所に問題があったと私は思っている。日本は島国なので水際での感染症対策が取りやすい。それなのに感染の発端になったダイヤモンド・プリンセス号の検疫で国内へのウイルス侵入を防げなかった、そう彼に私の不満をぶちまけた。私は世界の多くの国の検疫を通過した経験を持つ。ほとんどの国々で検疫とは名ばかりで大した仕事をしていないと思えた。過去にイスラム諸国で感染症があまり猛威をふるったことがないと聞いていた。多くのイスラム教国には、スークという地域があり、感染病が発生すると門を閉じて、人の出入りをできなくした。こうしてペスト、コレラなどの感染症の侵入を防いだ。このことを友人に話した。友人はまず“検疫”という言葉に関してこう話した。「ご存知だとは思いますが、検疫はフランス語でquarantaineと言い、これは40という数字を表します…。」 恥ずかしながら私は英語でも検疫はquarantaineとは知っていたが、それがフランス語で40に関するとは知らなかった。(調べてみるとquarantaineはイタリアのヴェネツィアの方言のquarantenaクワランテーナが語源) 以前検疫とは、疫病の侵入を防ぐために40日間の留め置きを意味した。

 彼が話を続けた。「それに近い話が沖縄にあったんです」 私は驚いた。なぜなら現在沖縄は新型コロナウイルスの感染が人口当たり日本で一番多いからである。私は彼の話にとても興味を持った。それが通じたのか、次の日彼はさっそく2つの論文をメールに添付して送ってきてくれた。普段、論文に関係することはない私だが、真剣に読んだ。

 毎日、テレビのワイドショーでは喧々諤々、多くの専門家が意見を述べている。思うに口で言いたい放題しているけれど、地道な論文検索もしていない。だから事態は一向に良くもならないし、終息の兆しも見えない。政治に指導力もないが、マスコミも勉強不足である。

 論文を読んで思った。人間は素晴らしい。研究というのは、目に見えないところでいかに多くされているのかと。そして沖縄で40日間の留め置きによって天然痘の侵入を防いだ事実を多くの人に知ってもらいたいと思った。特に沖縄の人々には、この過去の成功を誇りを持って学んで欲しい。

 新型コロナウイルスは、世界を変えた。そんな中でも多くの学者が過去を紐解きそこから学ぼうとしている。コロナウツの日常に、遠くで光が射し始めた気がする。

参考論文:http://hist-geo.jp/img/archive/197_047.pdf    https://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/report_pdf/2011c/c_h23_13.pdf

 

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