団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

枝豆

2020年08月11日 | Weblog

  「日本人はここでは豚のえさにするsoybean(大豆)を人間が食べるって本当?Soyって豚という意味だぜ。」 これは私が十代の後半カナダへ留学していた時に同じ寮にいた学生に言われたことだった。カナダやアメリカで豚のえさであろうとなかろうと、私は子供の頃から枝豆が好きだった。枝豆の美味しさを知らない失礼な学生に、その美味さを教えたやりたかった。私は、きな粉も好き。味噌や醤油のない食生活など考えられなかった。後で知ったことだが、soyの語源は、豚ではなく醤油(soy sauce)だという。偏見にはガセネタが多い。

  カナダ渡航の前、日本の軽井沢でカナダ留学のための英語を学ぶためにアメリカ人宣教師の子供が学ぶ学校に在籍した。そこで宣教師の子供達から彼らが日本のことをどういう風にどの程度理解しているかを観察することができた。カナダの学校に入学しても軽井沢の宣教師の子供達と変わらぬ偏見に落ち込んだ。

 軽井沢の学校では、子供たちが醤油のことをbug juice(虫の汁)と呼んで喜んでいた。他にも味噌のこともある物に似ていると馬鹿にしていた。豆腐のことも何の味もない奇妙な四角の白い食べ物ととらえていた。何に対しても高ピーで日本を貶すのをみて、親はろくな教育をしていないと失望した。カナダの学校でも偏見と無知に振り回された。でもあれから50年も経った今、日本の食品は、世界に受け入れられてきた。枝豆もEDAMAMEの名で世界中に冷凍で輸出されるようになった。枝豆の現地生産もされるようになった。

 8,9,10日と妻は、3連休だった。コロナは収まるどころか感染者数が増加する一方である。巣ごもり生活は、1カ月が2ヶ月に。2ヶ月が4カ月になり、すでに半年が過ぎた。我慢の自粛生活をしてきた。妻が務める病院も患者数が激減して経営が苦しくなり、減給を余儀なくされた。勤務は続いている。それだけでも感謝しなければいけない。どこでいつ感染するかの恐怖を抱きながらも二人で支えあってきた。二人だけの世界になった。二人に残されている楽しみは、食べること飲むことである。

 住んでいる所でも気温が連日30℃を超えている。夜も熱帯夜となり気温25℃を下回らない。こんな時は枝豆を食べたくなる。いつも野菜を買う村の駅へ出かけた。お目当ては数週間前にそこで買った枝豆が旨かったのでそれを買おうと思った。探したが近隣農家が出荷した枝豆がなかった。売っていたのは、群馬産の枝豆だった。どうしてこんなことをするのだろう。この辺で採れた野菜を買うのが楽しみで村の駅にわざわざ買いに来るのに、なぜ他県の野菜や商品を売るのか。数年前には有り得ない事だった。経営者が変わったのだろうか。

 帰宅して夕食の準備に取り掛かった。買ってきた野菜の下ごしらえもした。枝豆は両端を切り、茹でる30分前に塩をまぶしておいた。買い物も楽しいが、妻と二人で食材の下ごしらえもいい。モヤシの根切りとおろのきに小1時間。他の野菜も洗い、おろのく。モロコシ、オクラ、ホウレンソウ、キクラゲ、明日葉などは茹でて小分けにして冷凍。ナスは焼いて皮を剥いて冷凍する。

 夕食。妻は、レモンをたっぷり絞り入れた氷の入ったジントニック。私はキンキンに冷えた250ccのアサヒスーパードライ。つまみは茹でたての枝豆。前回のモノよりうまくはなかったが、仕方がない。

 子供の頃、親戚の田のあぜ道に植えた枝豆をもらってきて食べていた。これが最高だった。今は新潟の黒崎の『黒崎茶豆』が好きだけれどなかなか手に入らない。パンパンに熟したものより、未熟と熟しすぎの中間くらいが一番うまいと私は思う。自分で育てるしかないのか。それが集合住宅ではできない。

  近年日本への観光客が増え、ますます日本食は世界の人々に認識され愛されるようになってきている。喜ばしいことである。それにしてもマッカーサーの呼びこまれて大挙して来日した宣教師たちは、日本への布教にも成果を上げられず、日本の文化、特に今世界中で支持されている大豆を使った健康食を本国へ紹介することもしなかった。残念なことである。早くコロナが世界中で終息して、また世界の日本好きな人々に日本の味を楽しんでもらえることを願う。醤油をBUG JUICEとおちゃらかすような不心得者は、日本へ来ることはない。

 

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