団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

小島一朗容疑者の叔父の証言

2018年06月27日 | Weblog

 「空腹に寝つけぬ夜半の獄の床 親子丼の幻浮かびて」 郷隼人著 『獄中からの手紙』 23ページ 幻冬舎刊1400円+税

  私が10歳の頃、近所に裁判所が市内から移ってきた。私をよくいじめたガキ大将だったシゲルちゃんの家が自転車屋から拘置所の差し入れ屋に商売替えした。店の前にノレンがあった。私は食堂だと思っていた。時々シゲルちゃんのお父さんが岡持ちを持って自転車で裁判所の方へ行った。岡持ちの中の食べ物を拘置所で拘留者がどんな気持ちで口にしているのかを思った。

 1995年から1997年までの2年間アフリカのセネガルで暮らした。ダカールに大きな刑務所があった。刑務所の入り口の門の前に多くのセネガルの民族衣装をまとった女性がプラスチックでできたタライを頭に乗せて集まっていた。なんとセネガルの刑務所では食事が供されないので、受刑者の家族が一日に一回届けるのだという。その風景を見て、10歳の時と同じことを思った。

 6月9日の夜新幹線のぞみの車内でナタを振り回し3人を殺傷した小島一朗容疑者に関する諸々の情報が出てきた。私が注目したのは、容疑者の母親の兄である叔父の証言だ。「“人を殺して刑務所に行く”とも言っていた。“働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ”と。私が、お前、生きたいんじゃん、死にたいんじゃないだろうと言ったら黙ってしまってね」  私は、実の父親、実の母親、祖母の発言には反感をおぼえたが、叔父の反論「お前、生きたいんじゃん」は、鋭い指摘だと感心した。そしてアメリカ合衆国元大統領アイゼンハワーの言葉「刑務所は一番安全だ。食べ物も服も医療も事欠かない。ないのは自由だけだ」を思い出した。私は小島容疑者がアイゼンハワーのこの言葉を信じて罪を犯したのではないことを願う。現実はそうはいかない。もう遅いが、刑務所の中の事を知りたければ、郷隼人著『獄中からの手紙』を読めば、映画『ショーシャンクの空に』を観れば、2度と「刑務所に行きたい」などとふざけたことは言わなくなる。

 最近毎日のように恐ろしい殺人事件が起きる。死にたければ自分一人で死んでいけばよいものを、見ず知らずの他人の命を奪うのは許せない。他人を巻き込む卑劣な犯罪は、現代人の教養を身に着けようとする意欲と信念と奉仕精神の欠如だと考える。小島容疑者は「社会に不満があった」と言う。現代の人の多くは、「(本を)読まない、(人の言うことを)聞かない、(規則や常識を)守らない」。子育ては命がけの事業だと私はまだ信じる。社会に子育てはできない。できるのは、まず親であろう。子に人の命の尊さを教え込むには、大きな犠牲、長い時間、耐え難いほどの我慢、適切な助言、小さな微笑みが必要とされる。

  小島容疑者の言う“社会”とは、もしかして“両親”への「もっと私を知ってほしかった。かまって欲しかった」という不満の叫びではなかったのか。私は自分の子育てを振り返り、後悔ばかりが押し寄せる。

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