団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

首里城と金閣寺

2019年11月01日 | Weblog

 以前沖縄のツアー旅行に夫婦で参加した。コースの中に首里城が含まれていた。守礼門の前で記念写真を撮った。

 10月31日深夜、首里城が火事になった。十数時間燃え続けて建物の多くが消失した。テレビ画面に燃えて崩れ落ちる正殿があった。横で妻が言った。「金閣寺」私は首をかしげながら「三島由紀夫の?」 妻が首を縦に振った。そして出勤する妻を駅へ送った。

 私の生活は、毎日同じことの繰り返しである。午前中は執筆か終活。終活はスキャナーで取り込んだ写真を項目ごとに分け、溜まりに溜まった原稿やノートや資料を選別して処分するか再びしまい込む。すでに書籍の大方は、整理したがそれでもまだゆうに数百冊はある。本棚の本を見ると、まるで超すに越せない城壁のように思える。作業しながら、朝出勤の前に言った「金閣寺」が頭に何度も浮かんだ。三島由紀夫の本は難しいと私は決めつけていた。何事もチャランポランな私は、本を買って、その多くを積読にしてしまう。その行為は私の数少ない“身の丈”に合致する。

 『金閣寺』は読んだ。しかし高校生の私には難しかった。私にパール・バックの『大地』ほどの影響を与えることもなかった。ただ主人公溝口の徒弟仲間の鶴川がやけに気にかかったことを覚えている。理由はわからない。私の記憶にある『金閣寺』といえば“放火”である。ここでやっと妻の「金閣寺」と言ったことが解けた気がした。放火。誰かが金閣寺を美の象徴としていた溝口と同じように沖縄の人々の心のよりどころでもある美しい首里城を消そうと思って火をつけた。

  テレビのニュースでもまだ出火の原因は伝えていない。一方ネットでは例のごとく、勝手な思い付きや想像でしかないことで騒がれている。妻が「金閣寺」で止めたのも、きっとまだ事実が判明していないので、ただ彼女の頭にふと浮かんだことを口に出したが、自制心がそこで止めたのであろう。人の口に戸は立てられぬ。言いたい放題の世の中である。自制心というブレーキが働かないのか。

  首里城も金閣寺も木造建築である。火がつけば、よほどの防火設備や火消しの技術がなければ消火は困難を極める。文化財であれ国宝であれ、自然災害にさらされる。さきの熊本自身で熊本の人々の誇りにしている熊本城が大きな被害を受けた。それでも大復活プロジェクトが始動して、全国から資金も集まってきている。人が作る物は、同じものを作ることはできないが、限りなく似た物を作ることはできる。首里城の消失は、取り返しがつかない悲しい現実である。一日も早い真相の判明を望む。それがわかったら、再発がないように英知を出し合い、次への始動を期待する。

  パリのノートルダム寺院は、作業員のタバコが原因なのか電気系統のショートなのかは特定されなかった。1950年の金閣寺の僧侶による放火は、解決している。首里城の出火原因がうやむやになってはならない。事件の背景に小説になるような人間の性や業が渦巻く。

  遺跡や文化遺産は、人の命のような儚さも持つ。作るも人、守るも人、壊し消すのも人。私はただ遺跡や遺産の前に立ち、その圧倒される存在に押しつぶされそうになって、感心感動感涙する人でいたい。

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